母なる地球の胎動

2005年10月25日 | いのちの大切さ
 46億年前、太陽系の第3の惑星として地球は生まれたのですが、私たちのこの地球は、他の惑星にはない特徴を与えられた星でした。

 それは、金星や水星のように、太陽からの距離が近すぎて熱すぎ、水がぜんぶ蒸発してしまうこともなく、火星や木星、さらに遠い惑星のように、遠すぎて冷たすぎ、水がぜんぶ凍り付いてしまうこともなかったということです。

 他の惑星とちがって地球は、液体状の水がたっぷりとあるので、「水の惑星」と呼ばれています。

 ここで、私たちの体の七〇パーセント近くが水だということを思い出しましょう。

 つまり、細胞の大部分は水であり、ということは、水なしにはあらゆる生命活動がありえないということです。

 もし、地球が太陽にもっと近かったり、遠かったりしたら、水の惑星でなくなっており、そうすると、あらゆるいのちも、もちろん私のいのちも存在しなかったのです。

 太陽と地球の絶妙の距離が、いのちがいのちであること、私が私であることを可能にしているのです。

 何と不思議なことでしょうか。

 これは、単なる偶然なのでしょうか?

 それとも、そこに宇宙の摂理のようなものがあるのでしょうか?

 それはともかく、生まれたばかりの地球は灼熱地獄のような高温で、すぐに生命が生まれるような状態ではなかったとかんがえられています。

 小さな惑星が激しい衝突によって集まり、その熱で惑星の内部の水や二酸化炭素が放出されます。

 創発直後の地球は、水蒸気や二酸化炭素の厚い大気で覆われていたようです。

 それは、今問題になっている「温暖化」の原因とされる二酸化炭素の濃度とは比較にならないほどだったのです。

 その厚い大気の「温室効果」で、熱の放散がほとんどといっていいほど妨げられ、地表の温度はどんどん上がり、溶けて、「マグマの海」状態になります。

 しかし長い長い何億年もの時間をかけて、ようやく次第に温度が下がってきて、マグマは固形化しはじめます。

 それにつれて、大気の温度も下がってくると、地球は大気中の水蒸気が凝集してできた厚い雲に覆われます。

 ようやく一部が固形化しはじめ、ある部分ではまだマグマが燃えているという状態の地表、そしてその上には厚い雲に覆われた真っ暗な空という地球を想像してみてください。

 さらに温度が下がると、その厚い雲が熱い雨になり、地球の表面あらゆるところが絶え間ない土砂降りというすさまじい状態になります。

 しかし地表の温度はまだ下がりきっていませんから、雨は、焼けたフライパンに注がれたお湯のように跳ね上がって蒸発し、水蒸気そして雲になり、また少し冷えると雨になって降り注ぐ……。

 雲は静電気を帯びていて、絶え間なくイナズマが閃き、カミナリがとどろきます。

 地球の表面は、年中嵐どころか、何千年も何万年も、さらに数億年の間、信じられないほど暗く荒々しい嵐の世界だったようです。

 さらに時が経ち、焼けたフライパンのような地表がようやく冷えてくると、水の蒸発が少なくなり、地球の表面のくぼんだ部分に溜まってきます。

 「原始の海」が創発したのです。

 地球を覆う大気とこの熱湯状態の原始の海の水には、生物にとって必要な元素すべてが含まれていました。

 もちろん、ばらばらの原子としてではなく、ほとんどがすでにそうとうに複雑に結びついた様々な分子として存在していたようです。

 ここで、まだ生命は一つも生まれていない、しかしまちがいなく生命の誕生に向かって、長い長い激動――まさに誕生に向かう「胎動」、産みの苦しみ――を続けている地球を想像してみてください。

 そういう想像をすると、私は、感動せずにはいられませんし、古代の人々が大地を「母」あるいは「母なる神」と呼んだことの意味がいっそうよくわかる気がします。

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コメント (7)
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