自分で自分を生んだ人はだれもいない

2005年10月05日 | メンタル・ヘルス

 現代科学から見えてくるコスモロジーについてお話しすると予告しました。

 でも、その前に出発点として、近代科学や現代科学がどういう仮説を述べているかということと関わりなく確実なことを確認しておきたいと思います。

 さて、私たちは今生きているわけですが、これはかつて生まれたからですね。

 そこで考えていただいたいのですが、みなさんの中に、自分で自分を生んだ方がおられるでしょうか?

 「え? 何をバカなことを聞くんだ?」といわないで、ごく単純に事実を確認していただきたいのです。

 自分で自分を生んだ人は、この世界には1人もいないんじゃないでしょうか?

 みんな「生まれた」のであって、「生んだ」んじゃないんですね。

 現代の日本人の多くがふだんほとんど意識していないようですが、私たちのいのちは自分で生んだり作ったりしたものではなく、生まれたもの・与えられたものです。

 これは、特定の思想や主義ではなく、私の主観でもなく、さらに科学で証明される必要もない単純明快な、だれでもいわれれば認めざるをえない「事実」だと思うのですが、いかがでしょう?

 思春期に親と口ゲンカして、「頼んで生んでもらった憶えはない」といったことのある方も少なくないでしょう。

 実際、私たちのいのちは頼んで生んでもらったものではありません。

 「命」という漢字がそのことをよく現わしているようです。

 確かにいのちには、頼んだのではなく、「命令」された・強制されたという面があるといっていいでしょう。

 けれども大切なことは、「頼んで生んでもらった憶えはない」というのは子どもだけではないということです。

 親もその親に頼んだのではないし、あらゆる人が例外なく頼んだわけではないのです。

 さらに大切なことは、いのちは頼んでいないというだけでなく、自分は何の努力も貢献も支払いもした憶えがないのに、無条件かつ無償で与えられたということです。

 つまり、いのちにはもう一つ、「無条件・無償で与えられた贈り物」という面があるといっていいでしょう。

 私たちがいのちの出発点、つまり生まれたという事実を、ただ当たり前と思うか、あるいは「頼んだものではない=強制されたもの」と取るか、または「贈り物」と受け止めるかによって、人生観が決定的に変わってくる、と私は考えています。

 「強制」と取れば、「生んだ以上、~のことはしてくれて当たり前だ」といったふうな権利意識を持ちがちになります。

 そして自分の要求が満たされないと、不平不満でいっぱいになるでしょう。

 しかし、自分のいのちを無条件・無償の贈り物と受け取ると、人生は基本的にいつも感謝すべきものと感じられてきます。

 人生の基本が不平不満であるのと感謝であるのとでは、どちらが気持ちいいでしょう? どちらが、人生の質(クォリティ・オヴ・ライフ)が高いでしょう?

 といってもここで、「だから、感謝しなさい」というお説教をしようとは思っていません。人生の基本的な「事実」を確認したいだけなのです。

 さて、自分で自分を生んだのではなく生まれたものだということは、出発点において人生は私の勝手でないことはもちろん、自由でもないということです。

 そういう意味で、「人生の原点は自由ではない」と私は考えていますが、みなさんはいかがでしょう?

 この「いのちの出発点・原点は自由ではない」という事実が、コスモロジーに関して決定的に重要だと思われます。

 さて、私たちは「生まれた」わけですが、誰から生まれたのでしょう。

 「つまらない、当たり前のことを聞くな」といわないで、1つ1つ一緒に確認してください。

 シンプルな事実の確認の積み重ねが、たぶん、やがてあなたのコスモロジーを根本的に、肯定的なものへと大転換させることになると思います。

 それは、実際の授業の進行についてきてくれた学生の90%が体験することです。

 元にもどりましょう。

 私たちは、いうまでもなく両親に生んでもらった……「もらった」というのが嫌なら、「両親から生まれた」と言い換えてもかまいません。

 どんなに嫌いな親であっても、どんなに恨んでいる親であっても、まちがいなく親から生まれたのです。

 感情的に受け容れられない方は無理をする必要はありません。

 ただ、単純に事実を確認していただくだけでかまいません。

 では、両親はだれから生まれたのでしょう。

 両親は、そのまた両親から生まれたんですよね?

 そして、そのそれぞれの両親は、そのまた両親から……と果てしなく続いていきます。

 このいのちの連続性の数を、電卓でも使って計算してみてください。

 これは2×2……つまり2の累乗で計算できます。

 そうですね、10代遡ると1千24人、20代遡ると104万8千576人の先祖がいるということになります。

 そして、当たり前といえば当たり前、不思議といえば不思議なことに、この中の誰一人欠けても、今日ここに私はいなかったんですね。

 さらに、これは20代で終わりではありません。さらに続いていくのです。

 30代遡ると10億7千374万1千824人……すなわち10億以上、40代遡ると10兆以上になるようです。

 そしてさらに……いのちのつながりは40代で終わるわけではありません。

 とすると、今日ここに私1人が存在することに不可欠だったご先祖さまは、いったい何人なのでしょうか?

 もう、「無数」とでもいうほかなさそうです。

 これは、気がついてみると、ほんとうに驚くべきことではありませんか。

(といっても、例えばいとこ同士で結婚した場合は祖父母は重なっているので、これはあくまでも延べ数で実数ではありませんが。)

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コメント (7)
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