古代ローマの哲学者皇帝マルクス・アウレーリウスが、こんなことをいっています(神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫、7・47)。
星とともに走っている者として星の運行をながめよ。また元素が互いに変化し合うのを絶えず思い浮べよ。かかる想念は我々の地上生活の汚れを潔め去ってくれる。
これは、まるで今私たちが学んでいる現代科学的なコスモロジーとそっくりですね。
悩みとか落ち込みとかは、いわば心の汚れです。そういうときには心が爽やかじゃないわけですからね。
そういう時、彼は、自分は星とともに走っている、宇宙の中で宇宙と共にダイナミックに運動している、そういう存在として星の運行を眺める、という大きなスケールでものを見ようとします。
私たちは、今この感覚器官で見える範囲だけを見ていると、何かが起こると、そこだけで喜んだり悲しんだりしているというスケールしか見えません。
特に落ち込んでいる場合は、ほとんど法則的に視野が狭くなっています。
こんど自分が落ち込んだ時、思い出してみてください。「ああ、オレ/私、落ち込んでいるなあ……で、宇宙スケールのことを考えているかな?」と。
だいたい落ち込んでいる時には自分の身のまわりの、かなり狭い範囲のことしか考えていませんね。
そういう時、起こっていることはすべて大きな宇宙の摂理というか、宇宙進化の方向性の中の小さなエピソードなんだという視点を自分の中に持つことができたら、かなり楽になります。
自分たちが喜んだり悲しんだりしていることも、物質レベルでいうと宇宙の元素の変動であると見ていくと、それにはまり込んでしまった時の落ち込みとか苦しみに比べて、ずっと楽になります。
これを心理学用語では「ディスアイデンティファイ(脱同一化)」といいます。
自分の心の中で自分と苦しみが一体化しているのではなくて、一回それを離して向こう側に見てみる。
離して向こう側に見るといっても、ほんの少しのことではなく、例えば太陽系スケールで見るんです。
太陽系の中の一つの星である地球の、その中のちっぽけな日本という島の中の、その○○という地名の、ここにいるこのちっぽけな私……でもその私が星とともに宇宙の動きを形づくっている、と見ます。
しかも結局は、いろいろな苦しみや破壊や悩みがあっても、宇宙はある大きな目的に向かってダイナミックな運動をしていて、自分はそれに参加しているんだ、その自分の苦しみにもそういう意味があるんだ、と見ることができたら、ずいぶん気持ちが大らかに、楽になるでしょう。
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*写真は『星の風景」(http://www.asahi-net.or.jp/~vd7m-kndu/)から転載させていただきました。