白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

蕎麦会

2021年01月26日 18時04分09秒 | 日記
24日に今年初の蕎麦会。
4人の参加。
僕は一応指導係で打たない。

まずは粉の準備。
年末に地産地消で、この村で採れた蕎麦粉を使って年越し蕎麦を打った。
その時の感想を聞いてみた。
「ぼそぼそとした感じでなかなか纏まってこなかった」
「これまで打っていた粉と違って短く切れてしまった」
「味は悪くなかったが、香りが感じられなかった」
蕎麦粉に関してはどうしたものか僕も迷っていた。
地元産で、新蕎麦、値段も安い。できれば使いたいと思っていた。
その蕎麦粉はふるさとセンターに置いてある。
店内は暖房が効いていてかなり暖かい。
店番のおばさんに、蕎麦粉を涼しいところに置いてもらえないか聞いてみた。
蕎麦粉は熱に弱い。夏場は冷凍庫で保管するし、石臼で挽くのは熱が発生しにくいからだ。それを一日中暖房の効いた部屋に置くのはもったいない。噛んで含めるように説明したが、生産者が自分で持ってきて置いていくのだという。
見本を一つだけ出しておいて、他は裏の倉庫の涼しいところに置いてほしいと話してくれるように頼んでおいた。
半月はどして、再び訪れた時もそのままだった。
おばさん曰く、生産者には話しておいたんだけど...。生産者のおじさんから直に連絡してもらうから電話番号を教えて、というから教えておいた。
それから何の連絡もない。
僕はこれまでだなと見限った。
僕が普段使っている蕎麦粉は、1キロの袋でその中には脱酸素剤が入っている。その製粉所は最近玄蕎麦の冷凍倉庫を作った。-20度で保存するので劣化しない。値段は少し高いが、質から言えば申し分ない。いくつもの銘柄があり、その蕎麦粉ごとに標準加水率が書いてある。初心者にも打ちやすい。
温度に注意が払えないような生産者の蕎麦粉なんか使えない。また前の製粉所の蕎麦粉を使うことにした。

その旨をみんなに説明し、蕎麦打ちに入る。










みんな何回か打っているので、それなりに上達はしているのだが、指導係が悪いのか、どうにも歯がゆい場面が多々ある。数打つことが上達の道とわかってはいるが、僕は教えることよりも自分で打つことの方に向いているらしい。
ただ、みんな真剣で楽しそうなのが救い。
一人ひとりの課題が違うので、それに合った的確な助言をしなければいけないなと。教えるのって難しい。
共通して言えるのは時間がかかりすぎること。水回し、延しで普通の2~3倍の時間をかけているので、蕎麦がどんどん乾いてしまう。

今日、自宅用の蕎麦打ち。
使った蕎麦粉は玄挽。粗挽き蕎麦粉で、透明感があり、プリンとした触感が最高。他の蕎麦粉では味わえない美味しさがある。わが家では一番人気だ。
蕎麦ちょこも自慢の一品。
蕎麦の聖地、戸隠で大々的にそば祭りをやっていた頃手に入れたもの。裏側には戸隠の詩人、津村信夫の『あけずの間には 村の娘が お茶をたてている』という詩句が書かれている。内側には紫陽花の花と葉が描かれている。
蕎麦の楽しみは食べるだけでなく、打つこと、道具を楽しむこと。このざるは戸隠の竹細工の一品。
昨日ホームセンターで、米ツガの32ミリ丸棒を見つけた。柾目が通り、反りもない。憑りつかれたように購入し、磨き上げ、えごま油を塗って、麺棒を作ってしまった。
麺棒は武士にとって刀が命のように、蕎麦打ちにとって麺棒は命。手に馴染ませて自分の意のままに扱えるように、というか自分の体の一部のようにしたい。蕎麦打ちとは、まことに常人には予想もつかない変な人ではある。

それにしても今日の玄挽きは美味しかった。
その辺の蕎麦屋では決して味わえない蕎麦だと思う。
値段を付ければ、せいろ一人前1,300円でも決して高くはない。それくらいの蕎麦だ。
それもこれも、すべては使う蕎麦粉にかかっている。しつこいようだが、暖房の効いた部屋に長い間放置するような感覚ではとても使えない。地産地消に甘えてはいけない。質が悪くてはどうしようもない。
この村が、蕎麦の里としてやっていくには生産者の意識改革が必要だ。