白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

変わらないように見えて 

2017年11月14日 17時09分00秒 | 日記

毎日毎日が、何も変わらなくて、特にリタイアした身にとっては同じことの繰り返し。

そんな風に思い込みそうになっていた。

だが、何かきっかけがあれば、一気に事態が変わっていく。

それは、気が付かないうちにひずみが溜まって、ある時突然想像を超える大地震が引き起こされるのに似ている。

量の蓄積が質の変化を引き起こす。

 

父親が亡くなって14年、母親が亡くなって8年が過ぎる。

両親は二人暮らしだった。

車で5分ほどのところに、僕らの家族は住んでいる。

父親が亡くなった時、土地、建物の相続登記はしないままだった。

母親が亡くなり、実家は空き家になった。

相続登記はしないまま8年が過ぎる。

相続人は3人の子供たち。

妹は埼玉、姉は栃木にいる。

必然的に僕が空き家の管理をすることになる。

草木はあっという間に伸び、人の済まない家は目に見えて傷んでいった。

建物内部には、戦中戦後の時代を生きた人の常として、何でもしまい込んであった。

僕ら家族は、月に1回、実家整理日を決めた。

夏は庭の草取りをメインにし、他の季節は内部の片づけ。

洗濯機も、冷蔵庫も、テレビも、タンスも、布団も、恐れ多いことだが仏壇も、すべて我が家に運んで解体処理をした。

このまま、自分の子供たちに、これを残すわけにはいかないと、相続の手続きと、売却先を探すことにした。

空家問題は、現代の大きなテーマだ。

人口は減る一方で、空家は増え続ける。

不動産はもはや、財産ではなく、負債だ。

この言葉は、空家シンポジュウムで聴いた。

実家は昭和40年代に造成された団地。

面積は70坪くらいしかない。

都会ならいざ知らず、田舎では車を停めることすらままならない狭さだ。

田舎では自家用視野が必需品。

一人1台が普通。

これでは不動産屋でも買ってはくれまいと思っていた。

どうしたものだろう。長い間悩み続けた。

それでも、亀の歩みで片づけを続けた。

ここで、ようやく片づけの目途が付いてきた。

そんな折、隣家が売って欲しいと言ってきた。

それも2軒も。

駐車場もなく、どうしても欲しいという。

そうか、悪条件が幸いしたんだ。

みんな、同じように困っていたんだ。

そこで、話を進めながら、相続手続きも進めた。

普通は専門家に任せるらしいのだが、幸いにもリタイアした身、時間だけはある。

方々の役所に足を運び、必要書類を揃え、法務局にも3度足を運んだ。

商売人気質ではないので、金儲けには罪悪感を感じる損な性分。

負債とさえ言われる不動産を処分できるならと、格安の値段で売却することにした。

後で2軒で分けるという。

一昨日売却の話がまとまり、昨日法務局で相続登記の書類が受理された。

今日、最後の片づけ物のタンスを解体処理した。

処理した木材はロケットストーブの燃料になる。

8年の、少しづつの積み重ねが、ここに来て、一気に質の変化をもたらした。

これで、死ぬ前の気がかりが一つ少なくなった。

我が家の庭も、大きな木は何本も切った。

いろんなものを持ちすぎていても、あの世には持っていけない。

一頃流行った断捨離という言葉は好きではないが、立って半畳、寝て一畳ということだ。

自分にとって宝物でも、他人にはガラクタでしかない。

そのようにして、身の回りの物も整理しつつある。なかなか進まないのではあるが。

何ものにも囚われず、何ものも持たないすがすがしさ。

花鳥風月を愛でて、できるだけ誰にも迷惑をかけず、ひっそりと隠遁生活を楽しみたいものだ。

 

お詫び

当ブログは無料の範囲でやっているので、写真フォルダがいっぱいになりそうで、古い写真は順に削除してしまっている。

ふと気が付けば、かなり古い日付の記事を読んでいただいている場合があることに気づいた。

記事だけは残っているが、対応する写真が削除されてしまっていることがあり、お詫び申し上げます。


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