白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

忘れる訳ではないけれど

2016年03月10日 20時58分25秒 | 日記

あの日、僕は新築中の家の上がり框に腰を下ろし、缶コーヒーを飲んで一服していた。

突然、眩暈を感じた。天井が回っている。

頭の中の血管でも切れたのだろうか。不思議と冷静に、そんなことを考えていた。

落ち着こう。冷静に対処法を考えよう。

コーヒーを一口飲んだ。

再び、眩暈が襲ってきた。

 * * * * *

聞いていたラジオが、東北で地震があった事を告げた。

その時になって、ようやく、あれは地震だったんだと、僕は理解した。

ラジオから流れてくる情報は、次第に緊迫度を増し、僕の想像力をはるかに超えた。帰宅後のテレビは、現実離れした、ゴジラの映画のセットが壊されていく架空の世界のような光景を映し出した。

さらに、その深夜、信州の北部では震度6の地震が起きた。

それに続く原発事故の狂想曲。対応の拙さも手伝って最悪の事態に陥っていった。

 

確かなもの、確かだと思ったものがあっけなく、崩れ去っていくのを、僕はどうしようもなく見ていた。

あの時、人生で何が一番大切なのか、どんなふうに生きるのか、何をすればいいのか、そんなことを真剣に考えた。

社会の中で、自分が果たすべき役割というようなことも、考えないではなかった。

それとともに、人生なんていつ幕を閉じるかわからない、と改めて、強く思った。

もう、人生の後半。やりたいことをやろう、思い残すことなどないように。

僕はその年、六十歳で、会社を辞めた。

年金も満額もらっても、とても生活ができる額ではないし、まだ、その年齢でもない。

それでも、アルバイトをしたり、家庭菜園で野菜を作ったり、旧街道歩きをしたり、登山をしたり、そばを打ったり、そんな生活を選んだ。

そういう意味では、確かに僕の生き方を変えた出来事だった。

 

あれから5年が過ぎる。

僕は今でも、あの時の、残された時間を大切に大切に生きようと思った気持ちを、持ち続けているだろうか、と自分に問う。

毎日のありふれた日常の中で、そんなことはほとんど意識していない自分に気づく。

だが、確実に人生のカウンターは減り続けている。

 

そして、あの震災に会い、原発事故に直面し、風にもてあそばれる木の葉のように、なす術もなく翻弄された人たちのことを思う。

みんな同じように、カウンターは進んでいる。

故郷を追われ、諦念の中で、日々を過ごしている人達もたくさんいるのだろう。

政治は、そうした人たちを救わなくて、一体何をしているのだろう。

一日、137億円。一年で5兆円。

これは、戦争はしない、軍備は持たないという憲法を持つ日本の、軍事費だ。

このうちの何割かを、どうしてこの人たちのために使わないのだろう。

保育園を作るためにも使わないのだろう。

政府と電力会社は、まるで人ごとのように、原発の再稼働を推し進めようとしている。

やるべきことは『企業が世界で一番活躍しやすい国を作る』のではないだろう。

 

忘れる訳ではないけれど、どうしても、あの時の記憶というものは、日々の暮らしの中で色彩を失っていく。

年のせいだと、少し哀しげに笑ってみることもできる。

だけど、やっぱり、芯は残る。

この日が来るたびに、この問いが突きつけられる。

『お前の、今の生き方は、本当にそれでいいのか』と。

まだ、『カウンター』を意識しなかった自分から、今は、どれくらい遠くに来てしまったのだろう。

 

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本日の走行距離 20.6キロ    3月の月間走行距離 115.8キロ

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2 コメント

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着々と (nob)
2016-03-12 22:12:15
菜園の作業が進んでいるようで、いいですね。土をいじっているとき、野山に出かけているとき、いらぬ将来の不安など吹き飛んでいます。どうあがこうと、なるようにしかならない。今を将来の不安の中に漬け込んではいけない。今できることを、楽しくやる。そんなことを自分に言い聞かせつつ、生きています。もう、春ですね。
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こんにちは。 (yuitojj)
2016-03-12 08:54:22
あの時から5年思うことは近いようです。
人生のカウントダウン中のじぶんがこれからどうしたらいいのか、まだ仕事をしながらですが家族との時間、
自分を見つける時間どんどん失っているような毎日になっています。
これからもよろしく。
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