足利南高校を卒業した後、
文京区の白山で暮らすようになった。
なかなか東京に馴染まないヤツで、
ドラムの自宅スタジオで
バンドの練習もしたかったから、
よく足利に帰った。
でも、東京に馴染んでいないから、
いつも浅草ルートで帰った
(ここ何十年は、そんなバカなことは
しない。最短の南越谷ルートを選ぶ)。
年末年始もそう。
だから、年末年始は、
浅草の空気を思い出す。
一緒にバンドをやっていた
荒井良幸と浅草で
待ち合わせて帰ったこともあった(笑)。
それで、「最近、どんな感じ?」と
浅草へ。
海外から観光できた人達の姿は
増えたけれど、あの頃のまま。
どっぷりと、年末の気分に
なったのでございます(笑)。
路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信
追記。最近は、近いとさえ感じる
足利と東京の距離。
あの頃は、絶望的に遠かった。
足利南高校の頃、バンドコンテストの
東京本選に進んだ友達が、
「東京のヤツらには、
絶対に負けねぇ〜」と言っていっけ(笑)。
文京区の白山で暮らすようになった。
なかなか東京に馴染まないヤツで、
ドラムの自宅スタジオで
バンドの練習もしたかったから、
よく足利に帰った。
でも、東京に馴染んでいないから、
いつも浅草ルートで帰った
(ここ何十年は、そんなバカなことは
しない。最短の南越谷ルートを選ぶ)。
年末年始もそう。
だから、年末年始は、
浅草の空気を思い出す。
一緒にバンドをやっていた
荒井良幸と浅草で
待ち合わせて帰ったこともあった(笑)。
それで、「最近、どんな感じ?」と
浅草へ。
海外から観光できた人達の姿は
増えたけれど、あの頃のまま。
どっぷりと、年末の気分に
なったのでございます(笑)。
路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信
追記。最近は、近いとさえ感じる
足利と東京の距離。
あの頃は、絶望的に遠かった。
足利南高校の頃、バンドコンテストの
東京本選に進んだ友達が、
「東京のヤツらには、
絶対に負けねぇ〜」と言っていっけ(笑)。
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