今日、いつも北朝霞で見かける黒人のジャズギターリスト、ピーターと池袋の駅で話をした。彼も、青柳さんが北朝霞で歌っている事を覚えていて、握手もかわすことができた。いい付き合いになるといいな。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
お茶の水は、もう30年位、週一の割合でパトロールを続けている街。昔は、欲しい楽器やレコードに目がくらんでよくわからなかったけれど、実は、ちょっと歩くだけても楽しめる街なのだ。その魅力は、 樹木と古くて趣のある建物が多いことである。写真を見て欲しい。結構、素敵ではないか。路上音楽情報活動的・青柳文信
「まだ、手袋ははやい」という人もいるかもしれない。しかし、青柳さんは、少し前から、手袋のお世話になっている。しかしながら、それと時を同じくして、アレルギー症状のくしゃみも始まった。上着のポッケには、手袋と一緒に、大量のディッシュを入れるようになった。これがいけない。たまったディッシュと一緒に手袋を捨ててしまうことがあるのだ。おかげで、この時期にして、赤の手袋と灰色の手袋を1個ずつ、間違って捨てて しまった。本当に、「しまった」と思うのだ(笑)。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
池袋のイジバシにあったチラシ。来るんだな。ボブ・ディラン。しかも、会場は、クラブチッタ。大物にしては、小さい会場だ。恐らく、青柳さんは、行かないけれど、ファンの人達は、楽しみにしてんだろうな。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
夏休みの時期から、雨が多い。台風の直撃もあって、イベントの企画は、途中変更を余儀なくされた。でも、まるまる1日、雨だった日ってあっただろうか? 実は、そんなになかった気がする。雨は、止まない。もうすご、12月。傘の向こうにクリスマスツリーが見える。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
大学時代、貧乏だった。今でも、大して、状況は変わらないのだけれど(笑)、身分不相応の高い楽器を呼ばれるがままに買っては、ローン地獄にはまってた。電話も、よく止められたし、家賃を滞納したこともある(笑)。その頃の救いは、曲を作ってバンドで演奏することと、ライブハウスに通うこと。年末には、よいカードが組まれるので、喜んで、渋谷の屋根裏やライブイン、新宿だったらロフトに通った。あの頃から、変わらないね。「年末のライブハウスの空気」が好きだ。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
他で買うより安いかと、しようがなく買う編集部の自販機。今日、機械を見ると「マテ茶」があった。「まずかったら最悪」とは思ったが、いつもの麦茶も飽きたので飲んでみた。これが癖がなくてうまい。パッケージを見ると「世界のお茶シリーズ」とある。次は、何を入れてくれるのだろう? 路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
人様に弾いてもらう音は、最高に好きなのだけれど、とても弾く気になれないマーチンのギター。ギルドのD-55をメインにする青柳さんにとっては、どうも低音がゆるくて、気持ちよくないのた。だけど、今日、お茶の水の街で弾かせてもらったコア材のマーチン(00-18k?)は、違った。小さいボディなごら、豊かな音が出て、音の輪郭はシャープ。こんなマーチンであるなら、弾いてみたいな。でも、結構、いい値段だけれどねぇ。「夢のギター」かな。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
人様に弾いてもらう音は、最高に好きなのだけれど、とても弾く気になれないマーチンのギター。ギルドのD-55をメインにする青柳さんにとっては、どうも低音がゆるくて、気持ちよくないのた。だけど、今日、お茶の水の街で弾かせてもらったコア材のマーチン(00-18k?)は、違った。小さいボディなごら、豊かな音が出て、音の輪郭はシャープ。こんなマーチンであるなら、弾いてみたいな。でも、結構、いい値段だけれどねぇ。「夢のギター」かな。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
「本当に、よいギターは、1960年代までかな」と思ったり、言ったりしているけれど、1960年代の世相や風俗に、そう詳しい訳ではない。正確に言うと、60年代の初頭
から、楽器メーカーの凋落の兆しは、素人の青柳さんでも感じとることができる。週末は、きっと雨で、屋外競技はきっと楽しめそうにない。ちょっと調べてみようかな? 1960年代。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
から、楽器メーカーの凋落の兆しは、素人の青柳さんでも感じとることができる。週末は、きっと雨で、屋外競技はきっと楽しめそうにない。ちょっと調べてみようかな? 1960年代。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信