歌い初めは、写真の場所で。そう言えば、ここ数年、
最初の演奏はここ。その度に懐かしい人に会う。
今回は、3年位前に、志木でよく演奏を聴いてくれた
人。当日は学校を卒業したてで、色々と悩んでいたけれ
ど、今は、ちょっと貫禄を感じる。お客さんの「変化」
を感じるのも道端の歌い手の楽しみだな。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
追記・最初に止まってくれた人からは、「へそごま」とい
う懐かしい名前も聞いた。ギター弾きの彼は、残念ながら
他界された。歌い手の彼は、今、田舎の山形にいるという。
彼には、もう10年以上前にインタビューした事もある。ち
ょっと波長が合わなかったけれど、ニット帽の似合う誠実
な歌い手だった。歌い続けていてくれるといいな。
追記2・今年は、春を目指して、2册目の路上研究本を出す
よ。全国の道端のみんな、よろしくね。
そう言えば、年末に路上取材を開始したばかりの頃、よく
取材していたマンホールの久家くんに会ったり。神様も、
「しっかりやってくれよ」と言っていると受け止めます。
いくぜ、ギンギンによぉ。不況なんかぶっ飛ばしてやる。
急に当時大好きだった「へそごま」を思い出し、検索して驚きました。
ギターの方とは、お互い19才だった頃に半同棲していましたが…他界していたのは知りませんでした。
酒好きだったので、事故だったのでしょうか…?
ご冥福をお祈りします。
Vo.のタケさんの声も大好きでしたが、地元に戻られてしまったんですね。
「へそごま」は19才当時の、ワタシの青春の1ページでした。
ありがとう。
ですか。へそごまがいた時代は、面白かった
ですね。歌い手やミュージシャンが街にあふ
れて「順番待ち」をして演奏する形でした。
あの頃の人達はみんなあのトンネルから放れ
ていきました。でも、歌い手にとっては歌わな
いという事も歌う事です。いつか巣だった彼ら
が楽器を抱えて戻ってくるのを待っています。
あの頃のミュージシャンで、今、音楽活動を
しているのは、キクという女性ミュージシャン
くらいでしょうか。そして、歌い手や絵描きは
去っても、「鶴を一羽。広島・長崎に鶴を折っ
て下さい」と叫ぶあの女性だけはまだきます。
月日の流れるのははやいですね。私は路上25
年の冬を渡っています。あの頃と変わらず寒い
でっせ(笑)。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
あの狭いウイロードを、2~3分割していたなんて…ずいぶん昔の話に思えます。
(実際10代だった私が、もう中年ですからね)
タケさん、今でも歌ってて欲しいです。
実は、検索したのはCDを売ってないか調べていたんです。
急に「ほわ~とした歌詞・曲調」の、へそごまが聴きたくなってしまって。
当時はカセットでしたからね。
始発まで立ち飲み屋で、みんなで夢を語ったけれど…夢は開くことなく30代半ばになりました。
個人的な事になりますが、タケさんの本名をご存知でしょうか?
あの頃は全員が下の名前で呼んでいたので、検索したいのですが出来ずにいます。
(タケさんから電話加入権買ったのに、フルネーム覚えていないなんて…)
当時の路上歌うたい(新宿・池袋)の人たちは、みんな普通の生活に戻ってしまったんですかね。
今でも連絡を取れる人の中で、今でも歌っているのは(路上でなくてライブハウスですが)、二人だけになってしまいました。
時間の流れを今更ながら感じています。