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「古事記・日本書紀」いわゆる「記紀」は日本の正史とされ、「国家神道・日本軍国主義ファシズム」の「聖典」とされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%…E%E9%81%93
日本国は万世一系の「天皇家」の統治する国であることを「教育勅語」で教え込まれた。
その根拠とされたのが「古事記・日本書紀」という「聖典」であった。
これは太平洋戦争終結までのこと。
現在では「天皇家」の万世一系を信じる者はほとんど居ないといってよい。
少なくとも歴史学者で「天皇家の万世一系」を唱える者はいないといってよいだろう。
これは太平洋戦争の集結によりそれまで「聖典」とされた「古事記・日本書紀」研究が「タブー」では無くなり、「天皇人間宣言」により天皇が「現人神」ではなく「人間」となり「国民の象徴」になられたことによる。
ここから科学的、考古学的、歴史学的検証が始まったからだ。
その結果「古事記・日本書紀」には多くの矛盾と疑問点が存在することが明らかになった。
少なくとも「国生み神話」時代から「崇神天皇」までの時代の記述が科学的、考古学的検証とは矛盾することがはっきりしてきたからだ。
さらに武烈天皇の猟奇的悪行の後の後継者断絶による継体天皇、継体王朝の不思議。
聖徳太子の上宮家の滅亡の記述に疑われる真実性。
「大化の改新」前の記述に疑われる、蘇我氏の真実性・・・などなど。
少なくとも「古事記・日本書紀」は日本の正史とは言いがたいと思われる疑問がたくさん浮かび上がってきたからだ。
ことに「神武天皇」については、その実在性と治世年代につては諸説紛々で、現在では「神話」の領域の「不在」の創作人物であるというのが、ほぼ定説となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%…9%E7%9A%87
自分もほぼそれが真実であろうと考えている。
「ほぼ」という理由は「神武天皇」は「一人の人物」としては存在しなかったが、ヤマト建国に至る数人の豪族王の事跡を「神武天皇」の事跡にまとめあげたものであろうと考えられるからだ。
事実のヤマト建国王は崇神天皇ではないかと考えられるのだ。
その理由は、建国王としての「ハツクニシラススメラミコト」の名を持つ天皇が「神武天皇」と「崇神天皇」の二人であること。
「神」という名を持つ天皇が「神武天皇」と「崇神天皇」の二人であることだ。
ほかにも数え上げればきりがないほど矛盾と曖昧な記述に満ちているのが「古事記・日本書紀」なのだ。
神武天皇もさることながら大陸の正史「魏志・倭人条」に記述される「邪馬台国女王・卑弥呼」を「古事記・日本書紀」はなぜか曖昧・不明にしてしまっていることがある。
ともかく曖昧・不明瞭・矛盾に充ちた「古事記・日本書紀」は<古代日本史の参考文献>と位置づけるのが妥当だと思う。
とても「日本の正史」といえる文献とは言い難いと考えている。