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森本秀樹さんという画家―特攻隊だった父の優しさ

2007-07-07 23:24:24 | 美術
 森本秀樹さんという画家がいます。
 船橋で制作をしておられますが、生まれは四国の宇和島です。
 お父さんは旧日本軍の特攻隊の指揮官でした。
 死ぬ機会を失ったことに苦悩(くのう)しながら、残酷な短い半生を生きられました。
 父のその苦しみを思い出して森本さんはいま父と過ごした故郷の絵を描きます。
 心の深い、優(やさ)しい絵です。
 展覧会が7月14日から長野県の東御市(とうみし)梅野記念絵画館で開かれます。

 特攻という展望のない作戦へ絶望的な出撃を強(し)いられた若者たちの悲劇はぼくらの記憶に焼き付いています。
 けれど若者たちに死の命令を下した上官たちの心の闇(やみ)はなかなかつかむことができません。
 場当たり的な指令を大本営から出し続けた中央の将官たちにどれほどの痛みがあったか、そんなものをぼくはどうもあまり信じる気にはなれませんが、でも最前線で死の飛行を命令した現場の指揮官たちがどんな負い目を担って戦後を生きたか、それは心にとどめておきたいと思います。

 森本さんのお父さんも隊の上官として若者たちと出撃を重ねました。
 しかし彼の責務は死の世界に突入しながらただひとり死んではならないことでした。
 攻撃の結果を確認して、報告のために帰還する任務があったのです。
 その悲痛な立場を支えたのは、やがて番が来れば自分も戦艦に体当たりして彼らの後を追うという、死を先取りした厳粛(げんしゅく)な覚悟でした。
 ところがいよいよ彼の突入が目前に迫ったとき、日本の敗戦が決まります。

 森本さんの幼年時代の記憶は、苦悩する父の姿とともに始まります。
 父の奥底に近寄りがたい闇があるのを、こども心にも感じました。
 出撃で負った頭の負傷で頭痛に苦しむ父の姿は、父の体でまだ戦争が続いているように見えました。
 心の痛みと体の痛みをやわらげる唯一の方法は酒でした。
 地獄のような日々だったといえるでしょう。

 ですがいま森本さんの記憶にもっとも強くよみがえってくるのは、そんな父がときおり示してくれた底知れないやさしさです。
 人生に絶望しながら、しかし闇の奥の炎のように、せめてわが子にだけは光を届けようと必死に務めた父の心、その心をもっと理解すべきだったといまになって思うのです。
 できればその父ともう一度生き直したいと考えながら故郷の絵を描くのです。
 森本さんは今回の展覧会にこんなタイトルをつけました。
 「父の見ていた風景―宇和島」と。

 東御市梅野記念絵画館は0268.61.6161 http://www.umenokinen.com/