「個人は質素に社会は豊かに」石川島重工業の蘇生、石川島播磨重工業の合併、東芝の再建、経団連会長、臨時行政改革推進審議会の会長と歴任された故土光敏夫氏の言葉の一つが、「明治の若者は『義の人』に憧れ、昭和の若者は『スポーツ選手や芸能人に憧れる』嘆かわしいことである」と言うのが確かあったと記憶していますが自信はありません。出典は別として昭和の若者であった私は「ギョッ」とするものがありました。この明治の「義の人」とは、日本で最初の公害事件と言われる「足尾鉱毒事件」を問題にした田中正造のことです。その当時財閥の足尾銅山が垂れ流していた鉱毒を問題にしたことにより、命も狙わることもあったようです。その時、多くの若者が毎晩尋ねてきて守ったようです。田中正造はその若者たちと無言で酒を酌み交わしていたそうです。
しかし、昭和の若者はそのような大義に行動するものには興味がないとお叱りをいただいたのがこの発言です。平成の若者は、昭和の若者より、「かわらない」「良くなった」「ヒドクなった」のいずれでしょうか。
現在の若者に限らず、日本国民は平和で安定した社会が何もしないで続くと無意識の底に刷り込まれています。主権在民を手に入れてから60年余り経過しますが、自分たちで勝ち取ったものでなくGHQから与えられたものなので、そのありがたみが理解できてない方が多いようです。何のために「選挙」制度あるのか、どうして「選挙制度」は生まれたのか、もう一度考えて見る必要があるのではないでしょうか。
しかし、昭和の若者はそのような大義に行動するものには興味がないとお叱りをいただいたのがこの発言です。平成の若者は、昭和の若者より、「かわらない」「良くなった」「ヒドクなった」のいずれでしょうか。
現在の若者に限らず、日本国民は平和で安定した社会が何もしないで続くと無意識の底に刷り込まれています。主権在民を手に入れてから60年余り経過しますが、自分たちで勝ち取ったものでなくGHQから与えられたものなので、そのありがたみが理解できてない方が多いようです。何のために「選挙」制度あるのか、どうして「選挙制度」は生まれたのか、もう一度考えて見る必要があるのではないでしょうか。