社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

曖昧な社会

2007-03-16 15:45:28 | Weblog
 「日本語は細やかな表現が優れ、情緒表現に優れている」と言われています。反面、論理性やYES・NOが曖昧であるとの批判もあります。
 第二次世界大戦の反省点の一つに日本語の「曖昧」性が上げられることが多いのも事実です。外交ではない軍事行動で「以心伝心」や「上官の意をくむ」などの「腹芸」は、幕末の軍隊ではいざ知らず20世紀の軍隊では全くの時代錯誤でしかなかったようです。さて第二次世界大戦の反省の上にたった戦後の20世紀後半や21世紀ではどうでしょうか。軍隊だけではなく社会もそうです。
 表現が曖昧なため、お互いの誤解が生じることを避ける工夫が必要です。社会科学では、言葉の定義を確認して討論を行ないます。現在その最たるものに「教育的」と言う言葉等があると思われます。「教育的と言う言葉の定義」を学校現場やPTAで無記名アンケートした場合、多くの回答があるです。このような「玉虫色」の言葉は責任逃れをするときは便利な言葉です。日本人はかなり無責任な民族になってしまったようです。アメリカでは銀行の経営失敗の責任者は200人以上が刑務所にいきました。日本はバブル崩壊の責任をとる者は0に近い状況です。また、「ゆとり教育」等の失敗の責任をとる行政官も政治家も全くおりません。責任とは「訓告」の事なのでしょうか。個人に於いては飲酒の問題が2006年の法改正までそうでした。「ビールぐらい飲んだ内に入らない」と言う方が大多数ではなったではないでしょうか。また、「酒の上のことだから」と言う言い訳がまかり通る世の中でした。個人が責任を回避するための方便として「曖昧」な表現を選ぶようです。しかもそれが日本では「日本的」「大人である」など、根拠もなく評価されています。
「日本的」とは責任回避の表現であり、「大人である」とは何の根拠もないと言うことではないのではないでしょうか。その場は波風立てず「和を持って尊としす」で、全員賛成で、「後で影で反対意見を表明する」、決議の前に決議の場で反対しないのでは意味がないと思います、しかし、それが「大人」なのでしょう。
 法律の解釈をどう行なうかの判断は裁判所が行ないます。決してマスコミが行なうものではないのですが、時折身勝手な解釈を行ないそれが世の中の常識となっているようです。
 「信賞必罰」が政治の基本だと私は考えています。それを明確にするため、明確な「表現」が必要だと考えます。

コメント
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