今から25年ほど前、「横綱『北の海』はマージャンをしないので星の貸し借りがない」と言う噂が流れたことがあった、「だから、角界で孤立している」と。
最も「国技」と勝手に名乗るところがおかしい。日本に「国技」なるものはない。「財団法人だから」と擁護される方がいるが、「財団法人日本プロ野球協会」や「財団法人日本陸上協会」などの財団法人のスポーツ協会はなぜ「国技」ではないのであろうか?
「歴史や伝統が」と発言されていた方は、伝統とは「ドロドロした膿が溜まる」と言う事実をご存じないようである。イカサマでなく「八百長」という語彙そのものがその悪しき歴史を意味している。
相撲協会は最早自ら財団法人格を返上し、ゼロからやり直すべきである。今までマスコミで相撲を擁護されていた方々も同罪である。「すべて膿を出し切って・・・・・」と言うことは、八百長の歴史を本当にオープンとするのだろうか?「騙されていた?」評論家としてメシを食べている以上、騙される方が悪い。そういう原則が崩れた社会では、その社会の崩壊を示す良い事例である。
古くは、力道山との真剣勝負を「国民のため」と言って鬼の木村(柔道)に負けを強要したり、ドラフトの江川事件だったり、八百長やイカサマを強要した読売新聞社が他紙と同様に相撲の八百長を叩いているところに滑稽さを見出すことができる。
自浄作用の無い伝統が多すぎるように思える、日本人の文化水準とはこんなものであったのかと悲しくなる。