北朝鮮の核問題が発覚した時、日本は細川政権で米国はクリントン政権であった。
結局は米国のカーター元大統領が特使として手玉に取られただけだった。その時、米国側から良く聞かれたことに、「日本は北朝鮮の気持ちがわかるであろう」と言うことだった。なぜかと言えば「北朝鮮の体制が日本の開戦直前に非常に似ている」からと言うことだった。開戦直前の日本、昭和10年代前半から始まる日本は、それまでの日本とは大きく異なっている。大正デモクラシーから昭和恐慌を向かえた日本では、それまで肩身の狭い思いをしていた軍人が台頭してきた。北朝鮮軍は大日本帝国陸軍をそのモデルとしている。それは現在も司令官等への食事のサービスが、極似していることからもわかる。配膳盆を目線より前に掲げて息がかからないように運ぶ。まるで神事のようだ。
北朝鮮も軍を前面に持ってくると核開発を始めた。当時の日本も大和級戦艦を隠していた。また、重巡洋艦を軽巡洋艦としロンドン軍縮条約違反を犯していた。このような似た状況だから、北朝鮮の気持ちが日本にわかるだろうということだ。
しかし当時の日本人の心理が現代人の日本人に解るわけがない。ここに大きなジェネレーションギャップがある。同様に日露戦争当時の日本人の心情と大東亜戦争時の日本の気持ちが解るはずもない。しかし、現在、右翼の意味も理解してない右翼の方はこの時代の部下=目下のものは自分に反論しないいう状況を望む。それは決して日本の伝統ではない。昭和10年~20年までの大日本帝国陸海軍の姿である。負け戦の真似をして何の意味があるのだろうか?もし伝統と言うのであれば、階級の飛び級もある実力主義が評価された日露戦争時代の陸海軍を真似たらどうだろうか。こちらは勝利している。