日本経済の失われた10年が20年になってしまった。これも日本的事情であろうと思われる。問題点を皆が認識しても「猫に鈴をつけるねずみがいない」と言う状況である。「特攻隊をなぜとめられなかったのか」戦後生き残った海軍士官が話し合ったことがあった。「止める『空気』ではなかった」と言うことがその会合での公式な答えである。社会の「空気」と言う目に見えない力に支配されていたそうだ。現在もこの「空気」が益々マスコミの発達により強力になった。
相撲の八百長も国民も皆認識していたハズである。国技だそうだから。プロ野球の閉鎖性もこの日本的「空気」なるものの表れでしかない。
しかし、これを打破する事例はサッカーのような国際試合と国際ルールがあるものではないだろうか。国際的に通用するここで大事なことは国際的であり決してアメリカ的ではないことだ。まして中国的では日本の未来はない。ヨーロッパ的なモノが良いとは一概に言えないが、少なくとも歴史はある。