「年越し派遣村」。
派遣切りで職と住を失ってしまった人にとって、これは助かったでしょう。こういう緊急のことこそ、権力・財力を持っている政府や地方自治体、大金持ちの個人や企業がやることなのに、これを組織したのは、湯浅さんらの「もやいの会」や、派遣労働者の首切りや就職相談・生活相談に応じているユニオンや弁護士達、遅ればせながら労働組合の中央組織連合、野党政党も協力したのかな、だった。
ここで年を越した人は大変だったろうけど、1つ得たことがあると思う。それは人は「連帯」して生きる、助け合って生きる、そこにこそ、生きる喜びや、勇気が生まれるということを。私はそんなふうに考えた。
権力・財力を持って今の日本を支配している側は、そんな人々の「連帯魂」に火をつけてしまった。ここ20年ほど、人々はそういうことを忘れ去りながら生きてきたように思うけど、それを再び思い出しつつある。
年末から年始の討論番組で、これほどまでに人権を無視された「派遣」という働き方というか、働かせられ方を、従順にと見えるほど、派遣労働者たちが受け入れてきたのはなぜなのか、と思っていたら、「反貧困運動」をやっている雨宮カリンさんというまだ若い女性が、「若い人たちは、自分が働く時になって、そういう現実しか知らなかったから、人間としての権利を主張していい、すべきだ、なんて思いもよらなかった現実がある」と解説してくれた。
これはDVの被害者の状態とよく似ている。
アメリカ・オバマ大統領のキャッチフレーズだった「CHANGE」。今年こそ、日本でもそんなDV的労働のあり方をCHANGEさせる元年にしなくては。
こんな、それこそ未曾有の(この言葉をみぞうゆうと読んだ麻生(アホウ)首相だが、妙にこの誤読は印象に残って、これからみんなみぞうゆうと読むようになってしまうのでないか、とちょっと思っている)事態に、無能ぶりをさらしているのは、政府、派遣斬りを率先して行った大企業経営者、そして大企業正規労働者のことしか念頭にしてこなかった連合傘下の労働組合だ。
政府・与党の無能ぶりは、常に誰かが批判しているので、今更ここに書かないけど、今回、偉そうに日本の経済界をリードするフリをしてきたトップ経営者、例えば、経団連会長御手洗富士夫とか、前経団連会長奥田氏とかは、サラリーマン社長の典型なのだとつくづくそう思った。
大きな組織でとップに到達する人間は、有能でリーダーシップに優れていたために、みなに押されてそうなるのではなく、根回し、ゴマスリ、調整が得意がゆえにそこに立っているということだ。
小さくても町工場の社長とか中小企業の社長は、自分で事業を立ち上げ、自分の判断で仕事を積み重ねてきた人、つまり自分の責任で物事をやって来た人たちであり、やる人達なのだ。
サラリーマン社長にその権限、矜持(この言葉、アホウ総理の好きな言葉だそうだけど。読み方むつかしいですが)は残念ながらない。
「大きくなることはいいことか」考えてしまう。
トヨタは、創業者一族の父子で1600万株の株式を保有し、今度経営に復帰し、建て直しにのりだすそうだが、このような義理人情に欠ける会社、(元々そうだったのだが、業績を伸ばしていた時は、みなその批判を口にしなかった。)今回、わかりやすい形で明らかになってしまった。みなさん、従業員と下請けに冷酷なノルマを課すこんな会社の車、これから買いますか。
連合というところもホントおかしな組織だ。
私は、ある会社でパート勤務したことがあるが、そこには主婦を中心にして、若い女性パート社員もいたが、大勢働いていて、その人達なしに業務は成り立たないのに、労働組合は当然のように、そんな人たちの労働条件や、賃金には無関心だった。
これはホントおかしいことだ、と思ったが、そういう問題意識がないことが、今日の無制限の「派遣労働」の遠因だ。
こういう労働組合の怠慢に対しては、経営者の横暴より憎悪を感じるから不思議だ。「同じ仲間なのに、何で仲間を切り捨てるんだ」という怒りだ。
連帯の対極にあるもの、同階層・階級の無関心・無知。
リストラのおかげで何年ぶりかの親子3人の生活が始まりました。そのうち何とかなるだろうと思っていますが---。
貧困の連鎖は、個人的努力ではもはや断ち切れないところまできてしまった。
自分の世代(中高年)の責任を感じます。