APEC開催を機に突然浮上したTPP(環太平洋連携協定)。
参院選を前に突然「消費税上げ」を言い出した時と同じ菅氏の悪い癖。
TPPに参加するということは、例外なく「関税0」に突き進むということであり、米や乳製品など高い関税によって、維持されている農業関係者は大反対。
自動車や電機といった輸出大企業=経団連の意向が強く働いているであろうことは素人にもわかるこの論議。
日本の農業が今のままでいいとは誰も思わない。だがどうしていくべきかはそれこそ「熟議」しなくてはいけない。
TPPをどこよりも望んでいるアメリカのご機嫌取りだけのために参加を決めることではないはず。
以前、NHKは教育テレビで「なぜ希望は消えた」というタイトルで、第二次大戦後の、農水省主導の「農業政策」の歴史を、山形県の農村を例に考える番組を放映した。
大地主から実際に耕作する農業者に農地を配分する「農地解放」を断行したのはアメリカ占領軍だったが、60年、農水省は、農業の大規模化により、農業所得の倍増をめざすとして、「農業基本法」を打ち出した。
山形のこの村では、村挙げて耕地整理に取り組み4年間で集落農地を機械耕作ができるように作り変えた。
たしかに東北地方をバス旅行したりすると、見事に「圃場整備」ができていて、それはこの60年代から始まった「土地改良事業」の結果だったのだ。
だが大規模化は進まなかった。意欲ある、後継者のいる農家に農地を譲り、それ以外には「挙家離農」を促し、工場労働などの都市労働に移行してもらうというもくろみだったが、圃場整備の済んだ耕しやすい田畑を手放す農家はなかった。
作りやすく、価格が保障されている米だけを作り、後の時間を出稼ぎや、近隣に進出してきた工場などに勤めて現金収入を得る「兼業農家」が農村の姿となった。
耕地整理の済んだ農地は水路や道路が整い、住宅地に転用しやすく、サラリーマン生活になじんだ農家の中から、住宅地として土地を手放す者が増加するようになる。小学校の周辺から宅地に変わっていった様子がCGで示された。
60年代後半、宅地転用を抑制するための「調整区域」を設ける新都市計画法を策定するが、工業生産が飛躍的に伸びていった「高度経済成長時代」に入り、豊かな生活を国民が手にして行く中で、米だけをおなかいっぱい食べれば満足という時代ではなくなったことと、機械化、化学肥料の投入により「コメあまり」となっていく。
ここからは、減反、工業製品輸出と引き換えの農産物市場解放の要求を徐々に呑んでいかざるを得ず、「防戦一方」の日本農業になっていく。
農業従事者の高齢化による耕作放棄は日本の国土を荒廃させ、その影響は土砂災害やクマの出没という形で現れ始めている。
しかし安い外国からの輸入品を食べればいいじゃないかというわけにはいかないのだ。
日本に農産物関税0を迫っているアメリカの大規模農業、畜産業には国からの多額の補助金が入っている。
そして「動物工場」と呼ばれるアメリカの大規模畜産業の実態は恐るべきもので、この動物虐待から「人類の滅亡」は始まると思わせるに充分だ。
豚は狭く、換気の悪い小屋に押し込められ、排泄物の悪臭、質の悪いエサ、周辺の地域も環境汚染が進み、川の魚は死んでいく。
豚や鶏が原因の感染症は、このまま見過ごしていれば、確実に人類を蝕んで行く。
そんな安いかもしれないけど、汚染された、動物達の呪いの塊のような肉を使ったハンバーガーや牛丼を食べるのは、貧しい人々というわけだ。
「経済成長」「経済成長」と、叫び、滅びの道に人々を追い込む資本家や政治家のワナにはまってはいけない。
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