昨日というかなんというか。
まずニジンスキーの方の補足。
ちょと忘れていたものがあるものですから。
ニジンスキーは35年ぶりに英国三冠をとったんですが、その35年前の1935年に英国三冠をとった馬はバーラムであります。
以前書いたと思うんですが、この年はABC殺人事件が書かれた年です。(重要か?)
ABC殺人事件は、Aで始まる名の土地でAで始まる名の人を殺す、次はBで・・・というふうにいくわけですね。
その最後の場所がD、ドンカスターでDで始まる人を殺す話です。
んで、その予告の日はドンカスター競馬場でセントレジャーが行われる日だったわけです。
書かれたのは35年ですが話の舞台は36年です。未来です。
話にはセントレジャーのレース(ゴールシーン)が出てきます。勝ち馬の名前もでます。
小説ではハーフラッキーという名前の馬が勝ちます。わら
で、実際の36年のセントレジャーのレースはボズウェルという馬が勝ってます。
ここまでなら特に何もないんですが、あのデヴィッド・スーシェのポアロシリーズでは、不思議なことにバーラムが勝つのであります。
とにかく不思議でっす。
1935 - Bahram wins the Epsom Derby
映像は、セントレジャーではなく、英国ダービーでバーラムが勝ったところです。
1933 - Hyperion wins the Epsom Derby
もうひつつ。その2年前のダービー。3秒の映像です。(わら)
いや、まったく関係ないんだけど、ハイぺリオンなんて血統表でしか見たことないから、ちょっと面白くて。。。
あれですよ、ダン・シモンズのSFではありません。(これ、SF好きな人は必ず読んでね)
もうひとつ、クラークのダイアスパーシリーズっていうかそんなのがあったですね。
人類の未来の姿として、宇宙に進出していろんな星を開拓して住む、そういう繁栄した姿をまずは思い浮かべたいわけですが、
アシモフのスペーサーみたいにあまりに他の人たちとの関わりがなくなって、対人恐怖症みたいなことになる(ようするに人口密度がひくすぎるんだなあ。)とかいうひきこもり状態というのも「繁栄」とちょと違う方向なんだけど、
ダイアスパーみたいに人類という「種」による「ひきこもり」状態というのは、まったく「繁栄」とは異なる姿ですね。
しかし、これって結構想像できてしまうんですよね。アンチユートピア小説なら、いくらでもありそうなわけだ。
人間て、こういうの好きなんじゃないかなあ。集団ひきこもり。
なんかこう狭い世界で生きたがる傾向があるような気がするんだよね。
あんまり狭いのは嫌だけどあんまり広いのも怖いというか。。。
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日付が変わってしまいましたが、お亡くなりになりました。
Boys be ambitious!のおじさんではなくて、スリランカに住んでいたSFの人であります。
わたくしてきには、クラークっていうと、まずは「幼年期の終わり」であります。
クラークの凄いのは「わくわく度」なのであります。
「幼年期の終わり」は、始まりがインディペンデンス・デイのように、巨大円盤が世界中の都市の上空に停泊するというものであります。
(いうまでもなく、「幼年期の終わり」のほうが先であります。)
こんな始まりなら「いったいこれから何がおきるのだろう」と誰でも思うでありますね。
んで、その後はわりと地味であまり意表をついていない展開だなあ、と思いきや意外な事実(ってフィクションだけどさ)が判明したり、最後はもうなんだかわからんぜ、と言う展開で最初の「わくわく度」を裏切らない話になっているのであります。
なんというか終わり方としては、ネタばれになるので書きませんが(わら)、ある種の悟りまたは絶望あるいは諦念というかそういうものを抱かざるを得ない話になっておりまして、とにかくかつてナンバーワンの海外SFとされてきたものであります。
Pink Floyd - Childhood's End
日本語の題名は違うけど(「大人への躍動」)、原題が同じChildhood's Endというだけで内容は関係ない・・・
ついで、「宇宙のランデヴー」ですね。
これも「わくわく度」という点では凄いものがあるであります。センス・オブ・ワンダーというSFのもっとも重要なものがこの小説にはぴったりとついて回るのでありますが、非常に意表をついているのは、まったくオチがないことであります。
「え?これで終わりなの?」という展開です。ま、結局はシリーズで4作目まで作られましたが。さすがに、あのまま終わっちゃいかんよね。
だって、あれでは犯人がわからないまま終わった推理小説みたいなものだもの。(要するに何も解決しない)
さて、もうひとつあげるとすると、2001年ではなく3001年であります。
いや、はっきり言って、今、生きている僕らがですね、1000年後に文明がどうなっているかなんてことは想像もできないよなあ、と思わずにはいられない話であります。
これが面白いのはいまの僕らの視点で描かれていることであります。主人公が2001年の人なんですね。3001年の人じゃなくて。
一応、シリーズ最終作なので、ケリはついているんだけれども、何かが足りないということはいえます。
「宇宙のランデヴー」と共通したところがあって、推理ものが好きな人にはまず物足りないです。「結局、どういうものなのよ。」とか「どんなやつ?」とかそこがわかんない。
犯人はわかったけど、そいつがどんなやつなのかわからない、あるいは、凶器は見つかったけどどのように使用されたのかがわからないとかそういう感じ。
2001 - Also Sprach Zarathustra
ではでは。
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