Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
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中には「日本のは翼賛体制であってファシズムとはいわない」など言う人もいますが、そこはどうでもいいです。
あの当時のイタリアとそっくりそのままのものなんかそうそうないでしょう。
ニッポソ式でもニッポソ風でも、なんでもええねん。

とにかく「空気を読むんで長いものに巻かれる」のがニッポソ式ファシズムなんですよね。
まいどいってますけど、「判断しない」わけです。
なんかよくわかんないけど「テレビで吉村さん頑張ってはる」とかいってるから、頑張ってるんだろう、みたいなやつですね。
「みんなが『安倍さんなら日本を守ってくれる』と言っているから安倍さんを支持します」
「選挙で維新が議席を伸ばしたし、なんか維新がよさそうですよね」

CMで「今一番売れてます」みたいな宣伝が非常に多いですね。実に日本人に向けたキャッチコピーだと思います。まあ、そういう商品なら買って失敗したとしても、まさに「自己責任」ですけどね。
ただ吉本の芸人がいいと言ってるから大阪のチンピラの会に投票したとか、テレビが野党は頼りないって言ってるから公文書改ざん党にいれたとか、会社の社長があるいは地域の業界のドンがアベノマスク党
こういうのはただアホとして生きて死ぬだけですよね。

まずですね、日本は主権者としての教育がなされていないんですよ。
批判的思考というのがありますが、日本の教師は抜きんでて、批判的思考を促していなと考える教師が多いようです。
これは、批判的思考を「自分としてはもっと教えるべき」だと思ったという話ならまだ正常ですが、今の日本だと実際に「批判は悪」ですからね。
権力者に対しての批判ほど悪くみられる。
大阪だと維新はほめたたえる存在。
出来上がるのは暗記パンマン。
まあ、そういう人は科学も政治もダメでしょうね。

批判もせず空気を読んで生きているというのは、家畜として生きる上ではかなり楽だろうと推測されます。
毎度ですけど、自分で判断しないということですからね。
自分で何かしら判断するということは、その判断に責任を持つことになりますから、間違えたことがはっきりわかれば自分の判断が悪かったということになりますが、判断しなければ自己の内部で責任を持たなくていいということになります。
ただのちゃらんぽらんな人間。
まあ、大阪人は楽でしょうね。

政治部の記者がひどいということはいつも言っていますね。大本営の垂れ流し。
まあ、自民や維新に批判的な事を書くとものすごい嫌がられがあるのでそうなる面もないことはないんですが、垂れ流しをやっている時点で責任を完全に放棄しています。
普通、記者になった以上はジャーナリストとしての責任が生じるわけですが、それがないんですよね。

科学ライターや医療ジャーナリストなんかも「業界」の人間と仲良くしているだけで、インタビューはただの垂れ流しですよね。何の責任も持っていない。

日本の学校で生徒はひたすら従順さだけを求められるので(たまに学力)、もちろん批判的思考なんて促されるはずがないし、当然、自分の判断に対する責任感というものは生じてこないわけですが、でも部活のキャプテンなんかは負けると責任とらされたりしますよね。従順な奴ほど。
とっても大日本帝国的。
明日に続くのだ。

Bach - Harpsichord Concertos
ええと、既出(がいしゅつではない)だったらすみません。

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