Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
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タイトルはちょっと受け狙いですが、わりと近いんじゃないかと。
昨日は、あちこちの段落をばらばらに書いたので、全くまとまっていないと思いますが、考えてみればまとまっていないのはいつも通りなので気にすることでもなかったですかね。
今日も同じパターンになりそうです。
時短なんですよね(笑)
なるべく短い時間で書くために、とりあえず思いついたことをさっと書いておくと。
何がしかの順番を守って書くと、書いているうちにかなり忘れるのです。
同じ段落内にあって、接続してあたかもつながっているように見える部分もじつはまったく別々に書いたものをならべて接続詞(など)でつなげただけだったりするんですが、まあ、そんなこともどうでもいいか。これは書いている側だけの問題で読む人には関係ないですね。

さて、日本の臣民の皆様が実際に心の座右の銘としていつも自分自身に言い聞かせている言葉は「長いものには巻かれろ」と「自己責任」ではないでしょうかね。
日本の社会は上にいくほどバカ。上にいくほど無責任。
現場の非正規が責任を取ると。
男尊女卑な社会なので、たとえば女子高生が妊娠すると、たいてい退学になりますね。男のほうは大抵お咎めなし。まあ、注意ぐらいはされるでしょうが。
女子高生が妊娠しても誰にも相談できず出産までしてしまい、その新生児を遺棄して捕まる事件がありましたが、女子高生ではなくても同種の事件が後を絶たないわけですよね。
男のほうは何の責任も取りません。あらゆる責任が女性側にかかるわけですね。「そんな男にかかわったお前が悪い。『自己責任』だ」と。
男性が上だと見るバカなじいさんたちが、社会の中心にいるからです。

少なくとも君主が「野党は頼りない」などと考えることはありえないわけです。全く完全にどうでもいいことですよね。
君主が生活保護叩きの維新や自民を支持することはあるんですかね。
安倍や吉村を持ち上げることもあり得ないわけです。
安倍も吉村も有害ですからね。有害なものは君主道徳では悪なんですよ(笑)
だいたい橋下などは、知性も教養もないわけでそういう方面への異常なルサンチマン丸出しで、維新全体がそうですが常に敵を作りだして叩いていますよね。とにかく攻撃。文化・芸術・教養。
他にも野党叩きに必死、朝日新聞叩きに必死。ようするに中身がネトウヨなんですが。
これはまさに奴隷道徳そのものでしょ。
まあ、ニーチェがキリスト教に対してやったこととあまり変わらない気もしますが。

「ニーチェ読み」がみな同じ解釈をしているかどうかは知りませんが、そもそも支配者と被支配者という分け方がひどく頭悪いですよね。
彼の生きていた時代だって、それはかなり古い感覚だったと思いますが、キリスト教に対するルサンチマンが強すぎて変な方向にこじらせてしまったものだと思います。
そして、通俗道徳に浸りきったニッポソの臣民が極端に頭が悪いと思うのは、支配者でもないのに、支配者に都合のいい「道徳」に従っているの点で、だからお前は臣民なのだと。
「自己責任」という言葉は、そういう言葉ですよね。

あれらは階級社会に慣れきっているんですよね。支配されることに慣れきって、そのかわり自分たちよりも弱いものを叩くことで、なんとかアイデンティティを保っている状態。
これも何度も書いていますが、いじめ社会そのものでもあるんですね。
強いものには逆らわない。さららうといじめられますからね(笑)
自分がいじめられないために、自分より弱いものをいじめると。実にゲスな生き物が通俗道徳のしみついた皆さんの生き方ですね。
そういう通俗道徳を一般市民に植え付け続けているのが自民党で、最近では維新ですね。
大阪人とか通俗道徳で生きてますよね。
あの行政のひどさで維新を良く支持できるものだと感心しますよ(棒)

いちおうですね、君主道徳を良いものだと解釈して(笑)、かつ現代に当てはめてみると、ぼくらは主権者ですから(にっこり)、そこに君主道徳を当てはめてみるべきでしょう。いや、道徳という言葉を使うのはおかしいかもしれないですが。
つまり良い主権者であるべきだということになります。
社会の問題に主体的にコミットしていくと。
安倍や吉村はわたくしたちのしもべですからね。
それが国会をろくに見もしないで「野党は頼りない」「野党は批判だけ」「吉村さん頑張ってる」「外交の安倍」とメディアが言っているのを無批判に刷り込まれて

たとえば、公文書改ざんなんて先進国では重罪なんですよ。アメリカだと無期懲役まであります。
でも、そんなにひどいことだと思っている人は少ないですよね。みんな(メディア)が騒がないからです。
単に空気を読んで生きているだけなので、自分でそういう判断をしないからなんですね。
重要な問題かどうかという「判断」は、騒ぎになるかどうかどうかにかかっているという人が多いわけですね。

学校で批判的思考を教えていない件ですけど、たしかに悪の塊のような与党を批判する人は少ないですが、いっぽうで、野党のことは簡単に批判するし、小室圭のことは叩きますよね。
ようするに単に空気を読んでいるだけなのです。

まあ、何道徳でもいいんだけど自分で判断しない人はまず間違いなく臣民ですから、主権者になるべくせめて判断できる程度の能力はつけるべきだと思いますね。

ちあまり関係ないかもしれませんが、最近は組織の責任者の森の男尊女卑発言をそれは組織の問題で森のせいではないと擁護するなど、病的に長いものに巻かれ続ける茂木健一郎が、また謎の発言。
謎の茂木健
以上のような理由で、私は、特定の主張をするアカウントがあること自体が民主主義を揺るがすという論にあまり共感しない。政党が資金を出していたりしたらそれは事実として報じるべきだと思うが、問題なのはそんなことで影響を受けてしまう単純な有権者の群れとそれを生み出す日本の教育の失敗だろう。
認知が歪み過ぎていますね。
「政党が資金を出していたり」ということからこれはDappiの話だと思われます。
しかし、Dappiへの批判・非難に「特定の主張をするアカウントがあること自体が民主主義を揺るがすという論」などというものを主張している人を見たことはありませんね。
政治的発言をする人に文句を言うバカはいますが、それは確実に臣民ですからね。
誰もが特定の(あるいは特定でなくても何らかの)主張をしていいのが民主主義であって、この異常な認知の歪みは何かを必死に擁護しているのでしょうね。
Dappiの場合は、性質の悪いデマを流しまくって特定の政党を擁護あるいは攻撃し続けることと、そこに政党からの資金、もしかすると国民のお金が入っているかもしれないんですね。
どうも内調がかかわっている可能性がけっこう高いのです。
Dappiに関するしりょうがあるかどうか、Wada氏が開示請求をかけたところ、他の部署は「文書不存在」だったのに対し、内調だけは開示しないという答。
おかしいですよね。

コープランド。
Copland - Appalachian Spring

Copland - Quiet City

Copland - Hoedown


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