個人的評価:■■■■□□ (最高:■■■■■■、最低:■□□□□□)
ジェイミー・ベル:「俺はジャンパーじゃない。ダンサーだ!」
ヘイデン:「俺だってジャンパーじゃない。ベイダーだ!」
・・・と二人は言い合ったらしいです。(100%ほど事実でない表現が含まれています)
****ダグ・リーマン論(?)--過去作品のおさらい****
悪の匂いがほんのり漂う超能力少年ヘイデンが、サミュエル・Lと戦う、というどっかで観たようなシチュエーション
企画の安直さが匂ってくるが・・・とにもかくにも意外と私とは相性のいいダグ・リーマンの最新作である。
ボーン・シリーズは世間ではポール・グリーングラスの手ぶれカメラ演出の二作目、三作目の方が人気がある。たしかに脚本は明らかに2作目、3作目の方がデキがいい。1作目のクライマックスに向かうにつれテンションが落ち、緩慢になっていく展開はほめられたものではない。
それでもボクは、ダグ・リーマンの第一作が好きだ。
手ぶれカメラなんか使わず、カット割りも2~3作よりずっと大雑把で、結果としてアクションスター・マット・デイモンの魅力が最大限に発揮されている。
グリーングラスなら殺陣で多少下手こいても編集で誤魔化してくれそうだが、ダグ・リーマンはそんな俳優の怠慢を許さない。
マットが相当鍛錬をつんだであろう格闘術をこれでもかと見せびらかし魅了する。セガール映画と同じような興奮を覚えたものだ。
リアルさ狙いの暗い映像と手ぶれと早すぎるカッティングで何が起こっているのかわからないグリーングラス演出は映像的にはお洒落でかっこいいかもしれないが、アクションスターとしてのマットの魅力は半減している。誰だっていいじゃん。
俳優の演技もダグ・リーマンはじっくり丁寧に撮る。記憶はないのに体が殺人技を覚えていて戸惑い苦悩するというしょーもないシチュエーションで見せるマットの全身全霊本気汁ぐちゅぐちゅ染み出すような演技にワハハと笑えたのは第一作だ。
スタイリッシュな映像とかスパイアクションにいらないから
「スミス夫妻」も、話題の二人競演という超安直企画で、スパイ夫婦が殺し合いの末に愛を確かめ合う、という、どうでもいいにもほどがあるストーリーだが、無駄に金かけた大エンターテインメントに仕立て上げたところが素晴らしい。虚飾の夫婦生活を象徴するような豪華邸宅を、大小様々な重火器や火炎放射、さらには殺し屋軍団大襲撃で、バキバキにぶっ壊し、挙句木っ端微塵に大爆破して愛を取り戻す・・・という展開に、家族と家と愛のあり方への深いテーマが隠されている気がしてつい深読みしてしまいたくなったが、もちろんそんな高い志のもと作られた映画ではないことくらい判る。→「Mr.&Mrs.スミス」の深読み映評はこちら
それにしてもこの映画も家が吹き飛んだところを最大のクライマックスにすればきれいにまとまったのに、その後もダラダラとアクションシーンが続いていった。
ダグ・リーマンはオーソドックスなカメラを根底に置きつつも、適度に現代的な技術見せびらかしも散りばめ、凄いアクションをちゃんと凄く見せることが得意な、良くも悪くも極めてハリウッド的な監督である。
欠点は映画のバカ丸出しノリノリなテンションが最後まで持続しないことだ。100分程度の尺にもかかわらず、見ていて飽きてしまう。
その点では「ジャンパー」は弱点を克服し、最後までバカテンションを持続させることに成功している。
クライマックスにすべきシーンを誤らず、エピソードの時間配分も、物語の方向性を変え展開にメリハリを与える「プロットポイント」の配置もそつなく、根本的にストーリーがバカすぎるとかその辺はさておいて、脚本はダグ・リーマン作品最高の完成度に達していると言えよう。
****ジャンパー脚本分析****
脚本の分析をしてみる。
----
物語スタート直後・・・みんながあこがれるジャンパーの優雅な生活ぶり。世界中どこにでもいけちゃうんだぞ。
開始から5分くらいで、物語の第一目標提示→「好きなあの娘とラブラブになろう」(目標がこれだってあたりがバカっぽい)
図ったわけじゃないけど開始から7~8分で、最初のジャンプ
テレポート能力を利用した銀行強盗を、苦悩して無駄に尺を使ったりすることなく、すんなり遂行。成功。
開始から15~20分くらいで、サミュエル登場。
リッチな主人公はジャンプ能力でぽんぽん移動し、ロンドンでジェイミー・ベル登場。まだ主人公とはからまない。
サミュエルが地球のどこかで、別のジャンパーを捕まえ殺す→第二目標の提示。これからサミュエルVSヘイデンの戦いが始まることを提示。
そんなこんなで開始から30分もたたずにサミュエルとの第一次バトル勃発。
からくも逃げ出し、故郷に帰って愛しのあの娘に再会。「前置きなしでね」とさっさとローマ旅行に出発
ジャブ程度の軽いセックスシーンがあって、観客をローマ観光に誘うデートシーンもそこそこに、みんなが大好きコロッセオに移動。
「ここで多くの剣闘士たちが戦っていたのね・・・」と感慨深い彼女だが、俺も「ブルース・リーとチャック・ノリスもここで戦っていたんだよね・・・」と感慨深くなったことはどうでもいい。
ともかく、計ってないけど、ちょうど40分くらい、物語の中間地点で、第二のジャンパー・ジェイミー・ベルが登場し、ジャンパーとパラディンの戦いについての解説をしてくれる。
とりあえず女の子をアメリカに返し、ジェイミー・ベルとの共闘を実現すべく、テレポート世界旅行をしまくる後半。
東京ロケシーンも入れて、興行収入の鍵をにぎるジャパンの人々への媚び売りも怠らない。
でもって、渋るジェイミーになんとか共闘を認めさせ、あとはクライマックスにフルパワーでなだれ込むためのタメの展開をみせる。
60分経過くらいからの女の子ピンチ。
パラディンの魔の手から女の子を救うため、一緒にテレポート。
ところがワームホールをくぐり抜けてくるサミュエルとの第二次バトル。
テレポート能力バンバン駆使したハイテンションバトルの末、女の子が連れ去られるのが多分70分経過後くらい。
そのまま仲間割れバトルが展開し、なんとかジェイミーを行動不能にさせて最終対決へとなだれ込むのが、80分目くらい。
んで女の子救出という超わかりやすいクライマックスのドタバタバトルがあって90分で映画終了
-----
主人公の大目標→女の子と仲良くなる
中目標→サミュエルとの対決
これらを物語の冒頭できちんと提示した上で、それを大括りにして、10~15分おきに設定されていく、さしあたっての小目標(エピソード)。
目標提示と主要キャラ紹介を最初の15分以内に→最初のバトルを30分までに→中間地点で新たな展開をみせ→適度にアクションを盛り込みながらクライマックスへのタメとなる伏線配置やら、大目標を阻む障害(イザコザ)やらの散りばめを70分くらいまでに完了させ→一挙にクライマックスになだれ込み→エピローグはささっとすませる。
システマティックな、ハリウッド式面白い脚本の法則に見事にのっかった娯楽シナリオである。
この通りの構成に乗っ取って、脚本を作れば、ある程度の面白さは保証されるのだ。
ただ逆に観客としてもシステマティックに楽しんでいるに過ぎず、「ああ面白かった」と言って後は記憶からもテレポートしてしまう空っぽな面白さしか感じさせない危険もあるハリウッド方式の脚本法則である。この手の娯楽脚本がビジネスとしては有効だが、アーティスティクな面からは見下されるのは、システマティックで没個性だからである。
*******
その他我が心をくすぐる面白すぎる(バカすぎる)ところについてツラツラと・・・
****テレポートシーンのある意味凄い特殊効果について****
さて、テレポーテーションがウリの映画である。そのテレポート映像はいったいどんな凄いものになるだろう・・・ハリウッドお得意の凄いCGを駆使して物凄いスピードで超空間をビヨンビヨン飛び回るようなトリップ感溢れる映像がくるのか・・・と思っていたら映画開始から5分もたたず川でおぼれかける主人公。ついにきたかジャンプの瞬間!!その初ジャンプの映像処理は・・・・・・・
編集で別のシーンとつなげるだけだった!!
おい!カット変えるだけかよ!!
病院の屋上とかで戦っていたライダーと怪人が、とぉ!!っとジャンプすると、カットが変わりどっかの採石場に着地するのと同じレベルである。
だがそれを観て私は怒りを感じることはなく、笑った。
その後続く序盤のテレポートシーンはほとんどカット変えるだけ。「こ・・・これなら俺でもできそうだ・・・」と思わせる辺りにアマチュア映画制作者魂がくすぐられるのである。
後半はけっこうCG使って、二階バスがぶっ飛ばしアタックをサミュエルがかろうじてかわす、とか俺には絶対できない凄いことになってきたけど・・・
****ストーリーのどうでもよさと主人公のある種爽快なバカっぷりについて****
普通、人を感動させる物語というやつは、主人公が成長したり変化したりして、精神的に強くなったり自信を取り戻したり生きることの素晴らしさを実感したり・・・するのものであるが、この映画の主人公は物語冒頭部分からラストにいたるまで、ほとんど何も成長しない。変わったことといえば、かわいいあの子との仲が深まったくらいである。この徹底的なキャラのバカさが凄い。
サミュエルとの決着も、別のジャンパーとの共闘も、母との関係も、すべて放り出し、テレポートで遊びまわり社会の役に立とうとする気などさらさらないところも少しも変わらない。
ここまで徹底的にバカを貫いたヒーローは珍しいのではないだうか。
テレポート能力に目覚めた主人公は、テレビで洪水に見舞われ助けを求める人たちのニュースを見てニヤニヤしている。
しかし彼のやることときたら、ロンドンナンパ旅行に、サーフィンに、スフィンクスでの日光浴、1~2mはなれたところに置いてあるテレビのリモコンをとるためにテレポートとか、ほんとロクなことに使わない。
そんでとうとう物語の最後にいたるまで彼はその力を自分のためか恋人のためにしか使わない。
その力を使えば、007にもスーパーマンにもなれるというのに、人のためにも国のためにも正義のためにも一切役立とうとしない超自己中キャラである。
さらに、もう1人のジャンパー、ジェイミー・ベルに、マーベルコミックかなんかの2人のヒーローが期間限定で同じ漫画で大暴れする企画になぞらえ、共闘を呼びかける。「おいおい、お前たちはヒーローじゃないよ」と心で突っ込む私だが、そんなことは脚本家も監督もよくわかっていた。
仲間割れでテレポートバトルをはじめるのである!!
悲惨な内戦の続くチェチェンで、戦火にさらされる市民を助けたりせず、虐殺を指揮する悪いロシアの将軍をやっつけたりもせず、たんにエンターテインメントのネタにしているだけ。その政治的意図のまるでない空っぽさゆえ、腹も立たない。所詮ヒーローではなかったバカで無反省なガキどものキャラを一層際だたせる効果的な舞台設定だ。
そして、これ以上無いほど「とってつけた感」のただよいまくる、母(ダイアン・レイン!!)との悲しい親子愛エピソードとか、その豪快な大女優の使い捨てっぷりに爽快感すら覚える。
アンチヒーローというよりテレポート能力身につけた正義の心はかけらも無いただのバカ青年が、ついに正義に目覚めることなく、ラストにおいてはテレポートで今日も彼女と世界旅行。
バカ汁がぐつぐつ煮えたぎっているようなノータリンムービーだが、凄いことにハリウッド的お約束は全て表面的に踏襲している。
ひょっとして「良質なハリウッド映画」をチャカしてやろうという、わりと高い志で作られた映画なのかもしれない!!!
(もちろんそんなわけない)
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ジェイミー・ベル:「俺はジャンパーじゃない。ダンサーだ!」
ヘイデン:「俺だってジャンパーじゃない。ベイダーだ!」
・・・と二人は言い合ったらしいです。(100%ほど事実でない表現が含まれています)
****ダグ・リーマン論(?)--過去作品のおさらい****
悪の匂いがほんのり漂う超能力少年ヘイデンが、サミュエル・Lと戦う、というどっかで観たようなシチュエーション
企画の安直さが匂ってくるが・・・とにもかくにも意外と私とは相性のいいダグ・リーマンの最新作である。
ボーン・シリーズは世間ではポール・グリーングラスの手ぶれカメラ演出の二作目、三作目の方が人気がある。たしかに脚本は明らかに2作目、3作目の方がデキがいい。1作目のクライマックスに向かうにつれテンションが落ち、緩慢になっていく展開はほめられたものではない。
それでもボクは、ダグ・リーマンの第一作が好きだ。
手ぶれカメラなんか使わず、カット割りも2~3作よりずっと大雑把で、結果としてアクションスター・マット・デイモンの魅力が最大限に発揮されている。
グリーングラスなら殺陣で多少下手こいても編集で誤魔化してくれそうだが、ダグ・リーマンはそんな俳優の怠慢を許さない。
マットが相当鍛錬をつんだであろう格闘術をこれでもかと見せびらかし魅了する。セガール映画と同じような興奮を覚えたものだ。
リアルさ狙いの暗い映像と手ぶれと早すぎるカッティングで何が起こっているのかわからないグリーングラス演出は映像的にはお洒落でかっこいいかもしれないが、アクションスターとしてのマットの魅力は半減している。誰だっていいじゃん。
俳優の演技もダグ・リーマンはじっくり丁寧に撮る。記憶はないのに体が殺人技を覚えていて戸惑い苦悩するというしょーもないシチュエーションで見せるマットの全身全霊本気汁ぐちゅぐちゅ染み出すような演技にワハハと笑えたのは第一作だ。
スタイリッシュな映像とかスパイアクションにいらないから
「スミス夫妻」も、話題の二人競演という超安直企画で、スパイ夫婦が殺し合いの末に愛を確かめ合う、という、どうでもいいにもほどがあるストーリーだが、無駄に金かけた大エンターテインメントに仕立て上げたところが素晴らしい。虚飾の夫婦生活を象徴するような豪華邸宅を、大小様々な重火器や火炎放射、さらには殺し屋軍団大襲撃で、バキバキにぶっ壊し、挙句木っ端微塵に大爆破して愛を取り戻す・・・という展開に、家族と家と愛のあり方への深いテーマが隠されている気がしてつい深読みしてしまいたくなったが、もちろんそんな高い志のもと作られた映画ではないことくらい判る。→「Mr.&Mrs.スミス」の深読み映評はこちら
それにしてもこの映画も家が吹き飛んだところを最大のクライマックスにすればきれいにまとまったのに、その後もダラダラとアクションシーンが続いていった。
ダグ・リーマンはオーソドックスなカメラを根底に置きつつも、適度に現代的な技術見せびらかしも散りばめ、凄いアクションをちゃんと凄く見せることが得意な、良くも悪くも極めてハリウッド的な監督である。
欠点は映画のバカ丸出しノリノリなテンションが最後まで持続しないことだ。100分程度の尺にもかかわらず、見ていて飽きてしまう。
その点では「ジャンパー」は弱点を克服し、最後までバカテンションを持続させることに成功している。
クライマックスにすべきシーンを誤らず、エピソードの時間配分も、物語の方向性を変え展開にメリハリを与える「プロットポイント」の配置もそつなく、根本的にストーリーがバカすぎるとかその辺はさておいて、脚本はダグ・リーマン作品最高の完成度に達していると言えよう。
****ジャンパー脚本分析****
脚本の分析をしてみる。
----
物語スタート直後・・・みんながあこがれるジャンパーの優雅な生活ぶり。世界中どこにでもいけちゃうんだぞ。
開始から5分くらいで、物語の第一目標提示→「好きなあの娘とラブラブになろう」(目標がこれだってあたりがバカっぽい)
図ったわけじゃないけど開始から7~8分で、最初のジャンプ
テレポート能力を利用した銀行強盗を、苦悩して無駄に尺を使ったりすることなく、すんなり遂行。成功。
開始から15~20分くらいで、サミュエル登場。
リッチな主人公はジャンプ能力でぽんぽん移動し、ロンドンでジェイミー・ベル登場。まだ主人公とはからまない。
サミュエルが地球のどこかで、別のジャンパーを捕まえ殺す→第二目標の提示。これからサミュエルVSヘイデンの戦いが始まることを提示。
そんなこんなで開始から30分もたたずにサミュエルとの第一次バトル勃発。
からくも逃げ出し、故郷に帰って愛しのあの娘に再会。「前置きなしでね」とさっさとローマ旅行に出発
ジャブ程度の軽いセックスシーンがあって、観客をローマ観光に誘うデートシーンもそこそこに、みんなが大好きコロッセオに移動。
「ここで多くの剣闘士たちが戦っていたのね・・・」と感慨深い彼女だが、俺も「ブルース・リーとチャック・ノリスもここで戦っていたんだよね・・・」と感慨深くなったことはどうでもいい。
ともかく、計ってないけど、ちょうど40分くらい、物語の中間地点で、第二のジャンパー・ジェイミー・ベルが登場し、ジャンパーとパラディンの戦いについての解説をしてくれる。
とりあえず女の子をアメリカに返し、ジェイミー・ベルとの共闘を実現すべく、テレポート世界旅行をしまくる後半。
東京ロケシーンも入れて、興行収入の鍵をにぎるジャパンの人々への媚び売りも怠らない。
でもって、渋るジェイミーになんとか共闘を認めさせ、あとはクライマックスにフルパワーでなだれ込むためのタメの展開をみせる。
60分経過くらいからの女の子ピンチ。
パラディンの魔の手から女の子を救うため、一緒にテレポート。
ところがワームホールをくぐり抜けてくるサミュエルとの第二次バトル。
テレポート能力バンバン駆使したハイテンションバトルの末、女の子が連れ去られるのが多分70分経過後くらい。
そのまま仲間割れバトルが展開し、なんとかジェイミーを行動不能にさせて最終対決へとなだれ込むのが、80分目くらい。
んで女の子救出という超わかりやすいクライマックスのドタバタバトルがあって90分で映画終了
-----
主人公の大目標→女の子と仲良くなる
中目標→サミュエルとの対決
これらを物語の冒頭できちんと提示した上で、それを大括りにして、10~15分おきに設定されていく、さしあたっての小目標(エピソード)。
目標提示と主要キャラ紹介を最初の15分以内に→最初のバトルを30分までに→中間地点で新たな展開をみせ→適度にアクションを盛り込みながらクライマックスへのタメとなる伏線配置やら、大目標を阻む障害(イザコザ)やらの散りばめを70分くらいまでに完了させ→一挙にクライマックスになだれ込み→エピローグはささっとすませる。
システマティックな、ハリウッド式面白い脚本の法則に見事にのっかった娯楽シナリオである。
この通りの構成に乗っ取って、脚本を作れば、ある程度の面白さは保証されるのだ。
ただ逆に観客としてもシステマティックに楽しんでいるに過ぎず、「ああ面白かった」と言って後は記憶からもテレポートしてしまう空っぽな面白さしか感じさせない危険もあるハリウッド方式の脚本法則である。この手の娯楽脚本がビジネスとしては有効だが、アーティスティクな面からは見下されるのは、システマティックで没個性だからである。
*******
その他我が心をくすぐる面白すぎる(バカすぎる)ところについてツラツラと・・・
****テレポートシーンのある意味凄い特殊効果について****
さて、テレポーテーションがウリの映画である。そのテレポート映像はいったいどんな凄いものになるだろう・・・ハリウッドお得意の凄いCGを駆使して物凄いスピードで超空間をビヨンビヨン飛び回るようなトリップ感溢れる映像がくるのか・・・と思っていたら映画開始から5分もたたず川でおぼれかける主人公。ついにきたかジャンプの瞬間!!その初ジャンプの映像処理は・・・・・・・
編集で別のシーンとつなげるだけだった!!
おい!カット変えるだけかよ!!
病院の屋上とかで戦っていたライダーと怪人が、とぉ!!っとジャンプすると、カットが変わりどっかの採石場に着地するのと同じレベルである。
だがそれを観て私は怒りを感じることはなく、笑った。
その後続く序盤のテレポートシーンはほとんどカット変えるだけ。「こ・・・これなら俺でもできそうだ・・・」と思わせる辺りにアマチュア映画制作者魂がくすぐられるのである。
後半はけっこうCG使って、二階バスがぶっ飛ばしアタックをサミュエルがかろうじてかわす、とか俺には絶対できない凄いことになってきたけど・・・
****ストーリーのどうでもよさと主人公のある種爽快なバカっぷりについて****
普通、人を感動させる物語というやつは、主人公が成長したり変化したりして、精神的に強くなったり自信を取り戻したり生きることの素晴らしさを実感したり・・・するのものであるが、この映画の主人公は物語冒頭部分からラストにいたるまで、ほとんど何も成長しない。変わったことといえば、かわいいあの子との仲が深まったくらいである。この徹底的なキャラのバカさが凄い。
サミュエルとの決着も、別のジャンパーとの共闘も、母との関係も、すべて放り出し、テレポートで遊びまわり社会の役に立とうとする気などさらさらないところも少しも変わらない。
ここまで徹底的にバカを貫いたヒーローは珍しいのではないだうか。
テレポート能力に目覚めた主人公は、テレビで洪水に見舞われ助けを求める人たちのニュースを見てニヤニヤしている。
しかし彼のやることときたら、ロンドンナンパ旅行に、サーフィンに、スフィンクスでの日光浴、1~2mはなれたところに置いてあるテレビのリモコンをとるためにテレポートとか、ほんとロクなことに使わない。
そんでとうとう物語の最後にいたるまで彼はその力を自分のためか恋人のためにしか使わない。
その力を使えば、007にもスーパーマンにもなれるというのに、人のためにも国のためにも正義のためにも一切役立とうとしない超自己中キャラである。
さらに、もう1人のジャンパー、ジェイミー・ベルに、マーベルコミックかなんかの2人のヒーローが期間限定で同じ漫画で大暴れする企画になぞらえ、共闘を呼びかける。「おいおい、お前たちはヒーローじゃないよ」と心で突っ込む私だが、そんなことは脚本家も監督もよくわかっていた。
仲間割れでテレポートバトルをはじめるのである!!
悲惨な内戦の続くチェチェンで、戦火にさらされる市民を助けたりせず、虐殺を指揮する悪いロシアの将軍をやっつけたりもせず、たんにエンターテインメントのネタにしているだけ。その政治的意図のまるでない空っぽさゆえ、腹も立たない。所詮ヒーローではなかったバカで無反省なガキどものキャラを一層際だたせる効果的な舞台設定だ。
そして、これ以上無いほど「とってつけた感」のただよいまくる、母(ダイアン・レイン!!)との悲しい親子愛エピソードとか、その豪快な大女優の使い捨てっぷりに爽快感すら覚える。
アンチヒーローというよりテレポート能力身につけた正義の心はかけらも無いただのバカ青年が、ついに正義に目覚めることなく、ラストにおいてはテレポートで今日も彼女と世界旅行。
バカ汁がぐつぐつ煮えたぎっているようなノータリンムービーだが、凄いことにハリウッド的お約束は全て表面的に踏襲している。
ひょっとして「良質なハリウッド映画」をチャカしてやろうという、わりと高い志で作られた映画なのかもしれない!!!
(もちろんそんなわけない)
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
素晴らしい。尊敬いたします。
でも、薄っぺらも印象はそのままでした。
結構深い意味があったのかなあ・・。
深い意味があったと信じていけば、きっとより良い明日がきます
映画より、しんさんのレビューの方が面白かったです。
トラバさせて頂きますので、よろしく!