個人的評価: ■■■■■□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
小細工いっさい無しの真っ向勝負三国志。まさにジョン・ウーならではの三国志に仕上がっていて面白すぎた。
ジョン・ウー的お決まり映像に乏しいのが残念だが(例えば二丁拳銃は無理としても二刀流の武将を出すとか、周瑜と孔明がお互いの眉間に剣を突きつけ合うとか、そういうの)、久々のジョン・ウー節復活に心が躍る映画だった。(それでも無駄にかっこいいストップモーションやスローモーションや、渡米後に特に象徴的になった白い鳩などのジョン・ウー印はたっぷり観ることができる)
当初はユンファ=周瑜、孔明=トニー・レオンで企画された本作。ユンファ&ウーの伝説のコンビの復活だ!!「ハードボイルド」以来のユンファ・トニー・ウーの組み合わせだ!!と大期待だった本作は、ユンファ降板というあまりに残念すぎるニュースに落胆し、さらに「ユンファがドラゴンボールで亀仙人を」というニュースに怒りすら覚え、フタを開けてみれば、トニー、金城武、チャン・チェンというウォン・カーウァイ映画のようなキャスティングになってしまった本作。不安を抱いての完成、そして公開となった。
ジョン・ウー。呉宇森。
彼が好きで好きでたまらなかったという三国志。
その言葉に嘘はなく、「男たちの挽歌」と同時期に監督した「ワイルド・ヒーローズ 暗黒街の狼たち」の冒頭シーンでマフィアの幹部が京劇による三国志の桃園の誓いのくだりを観劇しているシーンがあった(はず)。
しかし裏表なし、小細工なしの真っ向勝負ばかりを描いてきたジョン・ウーにとって、知謀・策謀がウリの一つでもある三国志、特に孔明登場以降の陰湿な謀略戦が主体となる三国志ほど向いていない題材もないかもしれない。
「レッドクリフ Part I」を観た三国志演義ファンは、あれやこれやと文句や不満をぶつけらるだろう。
-----
趙雲が玄徳の子供を命からがら連れ帰った時、玄徳が「ええい、我が国の大切な将軍を危険な目にあわせおって!!」とか言って幼い嫡子を地に叩き付ける場面がないじゃないか
孔明が、「ところで周瑜殿、知っておりますか。なんでも曹操はこの国にいる小喬という絶世の美女にご執心で、このたびの戦の真の目的はその・・・おや?どうしました?何をそんなにお怒りでございます?え!!?小喬どのは周瑜どのの奥方であらせられたか!!?これは知らぬこととはいえ余計なことを・・・」・・・などとわざとらしく話して開戦を渋る周瑜を翻意させるくだりがないじゃないか
周瑜が「そうそう孔明どの、実は矢が不足しておりましてな。なんとか1万本ほど都合付けてくれますかな?・・・な・・なに!?10万本を三日で揃えるというのか?その言葉に二言はござらんな!!もし三日後に矢が10万本から1本でも足りなければ軍法に照らして処分しますぞ」などなど、何かにつけて孔明に無理難題を引っ掛けては孔明を亡き者にしようとするくだりがないじゃないか
-----
・・・そういった不満を漏らす人は少なからずいるだろう。(矢の件はPart2で描かれるらしいが・・・)
序盤の長坂の戦いでの孔明などオロオロするだけの無能無策な軍師にしか見えず、馬のお産を手伝ったくらいで孔明を全面的に信頼してしまう周瑜はただのお人好しにしか見えない。
しかし、それがジョン・ウー版三国志なのである。
前述の趙雲と玄徳と赤子のエピソードなど、「狼 男たちの挽歌最終章」でユンファに自らの危険も顧みず傷ついた女の子を病院に担ぎ込ませたほどの子供好きのウーに出来るはずもない。
赤子をかかえて単騎敵中突破する趙雲の姿に、ウーの香港時代の最後の作品である「ハードボイルド」の赤子をかかえながら武装マフィアと戦い爆発する病院から脱出するユンファの姿がダブって見える。俺はやっと中国に戻ってきたぜ、とウーが宣言しているようではないか。
知謀・策謀の三国志が観たいならチャン・イーモウにでも頼んでみなよ。そんな映画が撮れるくらいなら、「男たちの挽歌2」でユンファたちに武装マフィアの邸宅に正面玄関から歩いて乗り込ませたりしない。「ワイルドブリット」のトニー・レオンに堂々と友の遺骨を持ってマフィア幹部会に乗り込ませたりしない。
だいたい今さら知謀・策謀の映画を撮るくらいなら、あの時「ミッション・インポッシブル」をあんな映画にしたりしない。
ウー映画のキャラたちに嘘の気持ちはない。真っ正面から唾はきかけながらこれでもかと熱い台詞を叩き込み、ここぞという時にニヤッと笑えばもう完全に理解。
裏表のある人物などウー映画では敵にしかいない。人を騙す奴などウーの一番嫌いな奴。そんな奴らは「最後に生き残るのは悪人だと信じていたのか?」などの捨て台詞とともに銃弾を撃ち込まれるのがオチだ。
よって「レッドクリフ」の場合、主役である周瑜と孔明になんとか相手を出し抜こうとする策士としてのキャラクター、ジョン・ウー的に言えば「誇りのない悪党」のキャラなど付与するハズがない。ウー映画の主人公には「高潔さ」が必要なのだ。
レッドクリフの劉備・孫権連合軍の武将たちは、バカ丸出しなほど自らをさらけ出し、愚直なまでに相手を信頼し、策もへったくれもなく信じるもののために前に突き進む。
映画としては破綻している気もする。
いったいジョン・ウーは三国志の何を気に入っていたのかと突っ込みたくもなる。
だがそれでいい。
ちまちました小細工など上手く描ける男でないことぐらい判っている。
物語としての三国志の魅力を投げ捨ててでも自分が理想とする男たちの戦い様を描きたかった。
世界一のバカ巨匠は、世界一のロマンチストだ。
極限まで理想化されたかっこ良すぎる男たちの戦いっぷりに、ただただ酔いしれる映画だ。
ただし、高潔な男たちの戦い様を描くには、内省的なトニー・レオンという俳優は向いていなかったかもしれない。
当初の企画通りユンファで撮っていれば・・・そこが残念でならない。
****
陸戦に勝利した劉備・孫権連合軍の前には、長江を埋め尽くさんばかりの曹操の大船団が待ち受ける。
孔明の飛ばした鳩を追うように孫権軍の城から対岸の曹操軍の城までをカメラはワンカットで飛ぶ。映画的にはかっこいいショットだが、「長江せまっ!!」とか「敵軍近っ!!」というような突っ込みを入れたくなるラストシーン。あれだけ近いところに密集していると、第二部まで待たずとも今すぐ火を放てば孫権軍が勝ってしまうんではないかと思ったりもするが、ともかく壮絶な水上戦が展開されるであろう第二部への期待は嫌が応にも高まるのだった。
***キャラクターについて***
劉備玄徳のキャラが面白かった。
幼な子を責めるなど考えも及ばない、わらじ作りが趣味の、ただの人のいいオヤジ。しかし彼をしたって豪傑たちが集う。
まるで「挽歌」シリーズのタクシー会社のキンさんみたいだ。
そして劉備の国家運営も、数人の天才に頼り切ったシステムとしては崩壊した国っぷりが面白い。
「危ないからお前らは壁になっておれ」と言わんばかりに、戦いにおいては単身突出し文字通り一騎当千の力を見せる関羽、張飛、趙雲。関羽の武器は槍一本。戦いが始まったらすぐに投げ槍として使い、この後どうすんのと思ったら、怪物的握力と膂力で敵の槍を奪う。
張飛にいたっては槍すら持たない。敵が槍を突き出しても逆に槍がぶっ壊れる。
最強だ。MI2のトムが3人になったような圧倒的最強さ。挽歌2のユンファ、ティ・ロン、ディーン・セクのトリオなみの他を寄せ付けない強さ。
ジョン・ウー映画ではいつも女は添え物にすぎない。しかし今回のヴィッキー・チャオ演じる尚香はウー作品では珍しく男とともに戦い、戦闘に欠かせない重要なピースとして立ち回るのが興味深い。ジャパンの少年漫画に出てきそうな女戦士キャラの登場にジョン・ウー映画のほんのちょっとの進歩を感じたのであった。
***ジョン・ウー作品におけるトニー・レオンの役割について***
さてトニー・レオンである。
ウーとは「ワイルドブリット」「ハードボイルド」に続く3度目の出演。ウー映画に主役級で三回以上出演したのは他にはユンファとレスリー・チャンくらい。名実ともに「ウーの盟友」と呼ぶべき俳優となった。
ユンファとトニー・レオンはどちらもジョン・ウーのお気に入り俳優であるが、2人の演じる役には大きな違いがあった。
周瑜を演じる俳優がユンファからトニーに変わった影響はでかい。
ユンファはウー作品に5回主演している。ジョン・ウー映画を語る上で、決して外してはいけない、最重要俳優である。
彼はジョン・ウーの理想を全て完璧に体現できるスーパースターでスーパーヒーローだった。
だがしかし、ウー映画でのユンファのキャラは、ジョン・ウーにとっての憧れの存在であって、ウーが自分自身の姿を投影したものではない。
何があってもくじけず、あきらめず、信念を曲げず、友のためならニヤッと笑って命を投げ出し、強くて、ダンディなキャラであり続けたユンファこそ、ウーの憧れの人物であり、逆に言えば実際のウーその人からは遠くかけはなれた人物なのだ。
ウーはもっと弱い人間に、友と家族との狭間で悩み苦しむ人間に、自分を投影させる。
「男たちの挽歌」においてウーが自分自身を投影したのはティ・ロン演じるホーさんであろう。
台湾で服役し香港に戻るというホーさんの設定は、台湾で鳴かず飛ばずの映画監督として過ごし、ツイ・ハークに招かれて香港に戻り「晩歌」を撮ったウーの姿を容易にオーバーラップさせることができる。ホーは弟を守りたい、弟に許されたい一心で黒社会から足を洗うが、一方で親友を助けるためには黒社会の抗争に再度飛び込まねばならず苦悩する。
「挽歌」で扱ったテーマをさらに膨らませ、そこに「時代」「戦争」「青春」まで加味した香港時代ジョン・ウーの集大成的作品が「ワイルドブリット」だ。
この作品ではユンファは出演せず、主役はトニー・レオンであった。トニーは妻と親友の狭間でゆれて友を選んでベトナムに行き、ベトナムでは2人の親友の狭間でゆれる。「挽歌」のホーとキットの兄弟を合わせたような役回りである。
時代設定は60年代後半。ベトナム戦争の真っ最中で、香港でも学生運動のデモと機動隊の衝突がある。前半部の恋と友情と時代の動乱、そして主人公がダンスのインストラクターを仕事にしているらしい設定など、ジョン・ウー自身の60年代の青春模様をこの映画に重ね合わせていることが伺える。ウーの分身としてトニー・レオンはウー映画デビューを飾った。
トニーはウーの次作「ハード・ボイルド」でユンファと共演する。ここではユンファが怖いもの知らずのクレージー・スーパー刑事を演じる一方で、トニーは極秘潜入捜査員に扮する。彼は刑事としての務めと、黒社会のボスとの仁義の狭間で揺れるばかりでなく、正体がばれたら殺される恐怖と、自分の正体を知らない刑事に殺される危険にも震えて精神的に追い詰められる。人間的に弱い存在であった。
「ハード・ボイルド」でジョン・ウー式俳優起用の方程式「憧れのヒーロー=ユンファ、ウー本人の感情移入対象=トニー」が鮮明になったと言える。
黒澤映画で言えばユンファは三船敏郎、トニー・レオンは寺尾聡といったところだろう。
ユンファはウー作品で苦悩してこなかったかといえばそうではない。ユンファに限らず香港時代のウー映画のキャラクターたちは誰だって苦悩していた。だがユンファの苦悩は、いつも自分以外の他の誰かのための苦悩であった。
「あんたと戦いたい」、「あんたならできる」、「なぜわからないんだ」・・・といった具合に他人の本質がわかるのに、当の相手が気付かないことにたいする歯がゆさを熱い言葉で表現していた。
「ハード・ボイルド」でもトニー・レオンに対し、「一番の敵は自分なんだ!、自分と戦え!」みたいな言葉をはきかける。
友や仲間、恋人や家族らを、彼らが進むべき方向へ導こうと苦悩する、いわば熱いおせっかい焼きだった。
対して、「挽歌」のホー、「挽歌2」のルン、「ワイルドブリット」と「ハードボイルド」のトニー・レオンは違う。内向きの苦悩である。俺は何者なんだ?本当にこれでいいのか?なぜこんなに苦しまねばならないんだ!?と苦悩の叫びは自分に向けられる。他人に叫ぶユンファとは正反対だ。
以上のように考えた場合、「レッドクリフ」の主演俳優がユンファからトニーへと変わった事実は深い意味を持つ。
単に俳優が変わったというだけの話ではなく、主人公が「憧れのヒーロー」から、「自分の分身」へと変わったのである。
主役がユンファなら、三国志の世界の英雄豪傑たちの物語をワクワクしながら読んでいた気持ちをそのまま映像化したような作品になったかもしれない。
対してトニー主役の「レッドクリフ」では、あこがれの英雄豪傑の物語というよりも、自分があの時代にあの立場にいたならどうしていただろう・・・という、ある種自分探しの映画に変わったのかもしれない。
「レッドクリフ」のパンフレットにトニー・レオンのコメントが書かれていた
曰く「周瑜は監督自身でした」
ヒロイズムからロマンチシズムへ、作品は微妙な変貌をとげた。
しかし、そうはいってももともとの企画である周瑜=ユンファ、孔明=トニーの名残りがそこかしこに見える。
共に楽曲を奏でたくらいで「はいわかりました」と無謀とも思える開戦を決断したり、いざ戦闘となれば馬を駆って自ら最前線に躍り出る辺りはとってもユンファくさい。(味方をかばってわざと弓を喰らうところはユンファっぽくもあるが、どっちかと言えば「挽歌」のティ・ロンみたい。)
また、作品では曹操の真の狙いが小喬にあるということは、周瑜も孔明も気付いていなかった。周瑜にウー作品的高潔さを持たせるため、私情で戦をする男にさせたくなかったのであろが、ユンファ前提で考えたキャラだったから私人と公人の狭間で悩む複雑なキャラにしなかったのかもしれない。(なおベッドシーンは周瑜役がトニーに変わったから追加したんじゃないかと邪推)
一方でトニーが演じる予定だった孔明が、悩みゼロで無邪気さすら感じるキャラに仕上がっていたのは金城武にチェンジしたからだろうか。
公人として単身呉にのりこみ確信犯的に魏と呉を対立させ、一方で私人としては周瑜の軍才に感銘をうける、という人物からは「ハードボイルド」の潜入捜査官の役に通じるものもあったように感じる。
俳優の格からいって、周瑜=トニー、孔明=金城の逆はありえないから、あのキャスティングは最善策であったと思うが、そうはいっても主役2人にはなにかチグハグ感がつきまとっていた。
しかしウー組俳優で悩み続けたトニーがユンファ型ヒーローに成長する過程の作品と見ることもできる。
第二部でトニーは悩めるいつものトニーに戻るのか、ヒーローへと変身するのか、興味津々である。
********
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[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
小細工いっさい無しの真っ向勝負三国志。まさにジョン・ウーならではの三国志に仕上がっていて面白すぎた。
ジョン・ウー的お決まり映像に乏しいのが残念だが(例えば二丁拳銃は無理としても二刀流の武将を出すとか、周瑜と孔明がお互いの眉間に剣を突きつけ合うとか、そういうの)、久々のジョン・ウー節復活に心が躍る映画だった。(それでも無駄にかっこいいストップモーションやスローモーションや、渡米後に特に象徴的になった白い鳩などのジョン・ウー印はたっぷり観ることができる)
当初はユンファ=周瑜、孔明=トニー・レオンで企画された本作。ユンファ&ウーの伝説のコンビの復活だ!!「ハードボイルド」以来のユンファ・トニー・ウーの組み合わせだ!!と大期待だった本作は、ユンファ降板というあまりに残念すぎるニュースに落胆し、さらに「ユンファがドラゴンボールで亀仙人を」というニュースに怒りすら覚え、フタを開けてみれば、トニー、金城武、チャン・チェンというウォン・カーウァイ映画のようなキャスティングになってしまった本作。不安を抱いての完成、そして公開となった。
ジョン・ウー。呉宇森。
彼が好きで好きでたまらなかったという三国志。
その言葉に嘘はなく、「男たちの挽歌」と同時期に監督した「ワイルド・ヒーローズ 暗黒街の狼たち」の冒頭シーンでマフィアの幹部が京劇による三国志の桃園の誓いのくだりを観劇しているシーンがあった(はず)。
しかし裏表なし、小細工なしの真っ向勝負ばかりを描いてきたジョン・ウーにとって、知謀・策謀がウリの一つでもある三国志、特に孔明登場以降の陰湿な謀略戦が主体となる三国志ほど向いていない題材もないかもしれない。
「レッドクリフ Part I」を観た三国志演義ファンは、あれやこれやと文句や不満をぶつけらるだろう。
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趙雲が玄徳の子供を命からがら連れ帰った時、玄徳が「ええい、我が国の大切な将軍を危険な目にあわせおって!!」とか言って幼い嫡子を地に叩き付ける場面がないじゃないか
孔明が、「ところで周瑜殿、知っておりますか。なんでも曹操はこの国にいる小喬という絶世の美女にご執心で、このたびの戦の真の目的はその・・・おや?どうしました?何をそんなにお怒りでございます?え!!?小喬どのは周瑜どのの奥方であらせられたか!!?これは知らぬこととはいえ余計なことを・・・」・・・などとわざとらしく話して開戦を渋る周瑜を翻意させるくだりがないじゃないか
周瑜が「そうそう孔明どの、実は矢が不足しておりましてな。なんとか1万本ほど都合付けてくれますかな?・・・な・・なに!?10万本を三日で揃えるというのか?その言葉に二言はござらんな!!もし三日後に矢が10万本から1本でも足りなければ軍法に照らして処分しますぞ」などなど、何かにつけて孔明に無理難題を引っ掛けては孔明を亡き者にしようとするくだりがないじゃないか
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・・・そういった不満を漏らす人は少なからずいるだろう。(矢の件はPart2で描かれるらしいが・・・)
序盤の長坂の戦いでの孔明などオロオロするだけの無能無策な軍師にしか見えず、馬のお産を手伝ったくらいで孔明を全面的に信頼してしまう周瑜はただのお人好しにしか見えない。
しかし、それがジョン・ウー版三国志なのである。
前述の趙雲と玄徳と赤子のエピソードなど、「狼 男たちの挽歌最終章」でユンファに自らの危険も顧みず傷ついた女の子を病院に担ぎ込ませたほどの子供好きのウーに出来るはずもない。
赤子をかかえて単騎敵中突破する趙雲の姿に、ウーの香港時代の最後の作品である「ハードボイルド」の赤子をかかえながら武装マフィアと戦い爆発する病院から脱出するユンファの姿がダブって見える。俺はやっと中国に戻ってきたぜ、とウーが宣言しているようではないか。
知謀・策謀の三国志が観たいならチャン・イーモウにでも頼んでみなよ。そんな映画が撮れるくらいなら、「男たちの挽歌2」でユンファたちに武装マフィアの邸宅に正面玄関から歩いて乗り込ませたりしない。「ワイルドブリット」のトニー・レオンに堂々と友の遺骨を持ってマフィア幹部会に乗り込ませたりしない。
だいたい今さら知謀・策謀の映画を撮るくらいなら、あの時「ミッション・インポッシブル」をあんな映画にしたりしない。
ウー映画のキャラたちに嘘の気持ちはない。真っ正面から唾はきかけながらこれでもかと熱い台詞を叩き込み、ここぞという時にニヤッと笑えばもう完全に理解。
裏表のある人物などウー映画では敵にしかいない。人を騙す奴などウーの一番嫌いな奴。そんな奴らは「最後に生き残るのは悪人だと信じていたのか?」などの捨て台詞とともに銃弾を撃ち込まれるのがオチだ。
よって「レッドクリフ」の場合、主役である周瑜と孔明になんとか相手を出し抜こうとする策士としてのキャラクター、ジョン・ウー的に言えば「誇りのない悪党」のキャラなど付与するハズがない。ウー映画の主人公には「高潔さ」が必要なのだ。
レッドクリフの劉備・孫権連合軍の武将たちは、バカ丸出しなほど自らをさらけ出し、愚直なまでに相手を信頼し、策もへったくれもなく信じるもののために前に突き進む。
映画としては破綻している気もする。
いったいジョン・ウーは三国志の何を気に入っていたのかと突っ込みたくもなる。
だがそれでいい。
ちまちました小細工など上手く描ける男でないことぐらい判っている。
物語としての三国志の魅力を投げ捨ててでも自分が理想とする男たちの戦い様を描きたかった。
世界一のバカ巨匠は、世界一のロマンチストだ。
極限まで理想化されたかっこ良すぎる男たちの戦いっぷりに、ただただ酔いしれる映画だ。
ただし、高潔な男たちの戦い様を描くには、内省的なトニー・レオンという俳優は向いていなかったかもしれない。
当初の企画通りユンファで撮っていれば・・・そこが残念でならない。
****
陸戦に勝利した劉備・孫権連合軍の前には、長江を埋め尽くさんばかりの曹操の大船団が待ち受ける。
孔明の飛ばした鳩を追うように孫権軍の城から対岸の曹操軍の城までをカメラはワンカットで飛ぶ。映画的にはかっこいいショットだが、「長江せまっ!!」とか「敵軍近っ!!」というような突っ込みを入れたくなるラストシーン。あれだけ近いところに密集していると、第二部まで待たずとも今すぐ火を放てば孫権軍が勝ってしまうんではないかと思ったりもするが、ともかく壮絶な水上戦が展開されるであろう第二部への期待は嫌が応にも高まるのだった。
***キャラクターについて***
劉備玄徳のキャラが面白かった。
幼な子を責めるなど考えも及ばない、わらじ作りが趣味の、ただの人のいいオヤジ。しかし彼をしたって豪傑たちが集う。
まるで「挽歌」シリーズのタクシー会社のキンさんみたいだ。
そして劉備の国家運営も、数人の天才に頼り切ったシステムとしては崩壊した国っぷりが面白い。
「危ないからお前らは壁になっておれ」と言わんばかりに、戦いにおいては単身突出し文字通り一騎当千の力を見せる関羽、張飛、趙雲。関羽の武器は槍一本。戦いが始まったらすぐに投げ槍として使い、この後どうすんのと思ったら、怪物的握力と膂力で敵の槍を奪う。
張飛にいたっては槍すら持たない。敵が槍を突き出しても逆に槍がぶっ壊れる。
最強だ。MI2のトムが3人になったような圧倒的最強さ。挽歌2のユンファ、ティ・ロン、ディーン・セクのトリオなみの他を寄せ付けない強さ。
ジョン・ウー映画ではいつも女は添え物にすぎない。しかし今回のヴィッキー・チャオ演じる尚香はウー作品では珍しく男とともに戦い、戦闘に欠かせない重要なピースとして立ち回るのが興味深い。ジャパンの少年漫画に出てきそうな女戦士キャラの登場にジョン・ウー映画のほんのちょっとの進歩を感じたのであった。
***ジョン・ウー作品におけるトニー・レオンの役割について***
さてトニー・レオンである。
ウーとは「ワイルドブリット」「ハードボイルド」に続く3度目の出演。ウー映画に主役級で三回以上出演したのは他にはユンファとレスリー・チャンくらい。名実ともに「ウーの盟友」と呼ぶべき俳優となった。
ユンファとトニー・レオンはどちらもジョン・ウーのお気に入り俳優であるが、2人の演じる役には大きな違いがあった。
周瑜を演じる俳優がユンファからトニーに変わった影響はでかい。
ユンファはウー作品に5回主演している。ジョン・ウー映画を語る上で、決して外してはいけない、最重要俳優である。
彼はジョン・ウーの理想を全て完璧に体現できるスーパースターでスーパーヒーローだった。
だがしかし、ウー映画でのユンファのキャラは、ジョン・ウーにとっての憧れの存在であって、ウーが自分自身の姿を投影したものではない。
何があってもくじけず、あきらめず、信念を曲げず、友のためならニヤッと笑って命を投げ出し、強くて、ダンディなキャラであり続けたユンファこそ、ウーの憧れの人物であり、逆に言えば実際のウーその人からは遠くかけはなれた人物なのだ。
ウーはもっと弱い人間に、友と家族との狭間で悩み苦しむ人間に、自分を投影させる。
「男たちの挽歌」においてウーが自分自身を投影したのはティ・ロン演じるホーさんであろう。
台湾で服役し香港に戻るというホーさんの設定は、台湾で鳴かず飛ばずの映画監督として過ごし、ツイ・ハークに招かれて香港に戻り「晩歌」を撮ったウーの姿を容易にオーバーラップさせることができる。ホーは弟を守りたい、弟に許されたい一心で黒社会から足を洗うが、一方で親友を助けるためには黒社会の抗争に再度飛び込まねばならず苦悩する。
「挽歌」で扱ったテーマをさらに膨らませ、そこに「時代」「戦争」「青春」まで加味した香港時代ジョン・ウーの集大成的作品が「ワイルドブリット」だ。
この作品ではユンファは出演せず、主役はトニー・レオンであった。トニーは妻と親友の狭間でゆれて友を選んでベトナムに行き、ベトナムでは2人の親友の狭間でゆれる。「挽歌」のホーとキットの兄弟を合わせたような役回りである。
時代設定は60年代後半。ベトナム戦争の真っ最中で、香港でも学生運動のデモと機動隊の衝突がある。前半部の恋と友情と時代の動乱、そして主人公がダンスのインストラクターを仕事にしているらしい設定など、ジョン・ウー自身の60年代の青春模様をこの映画に重ね合わせていることが伺える。ウーの分身としてトニー・レオンはウー映画デビューを飾った。
トニーはウーの次作「ハード・ボイルド」でユンファと共演する。ここではユンファが怖いもの知らずのクレージー・スーパー刑事を演じる一方で、トニーは極秘潜入捜査員に扮する。彼は刑事としての務めと、黒社会のボスとの仁義の狭間で揺れるばかりでなく、正体がばれたら殺される恐怖と、自分の正体を知らない刑事に殺される危険にも震えて精神的に追い詰められる。人間的に弱い存在であった。
「ハード・ボイルド」でジョン・ウー式俳優起用の方程式「憧れのヒーロー=ユンファ、ウー本人の感情移入対象=トニー」が鮮明になったと言える。
黒澤映画で言えばユンファは三船敏郎、トニー・レオンは寺尾聡といったところだろう。
ユンファはウー作品で苦悩してこなかったかといえばそうではない。ユンファに限らず香港時代のウー映画のキャラクターたちは誰だって苦悩していた。だがユンファの苦悩は、いつも自分以外の他の誰かのための苦悩であった。
「あんたと戦いたい」、「あんたならできる」、「なぜわからないんだ」・・・といった具合に他人の本質がわかるのに、当の相手が気付かないことにたいする歯がゆさを熱い言葉で表現していた。
「ハード・ボイルド」でもトニー・レオンに対し、「一番の敵は自分なんだ!、自分と戦え!」みたいな言葉をはきかける。
友や仲間、恋人や家族らを、彼らが進むべき方向へ導こうと苦悩する、いわば熱いおせっかい焼きだった。
対して、「挽歌」のホー、「挽歌2」のルン、「ワイルドブリット」と「ハードボイルド」のトニー・レオンは違う。内向きの苦悩である。俺は何者なんだ?本当にこれでいいのか?なぜこんなに苦しまねばならないんだ!?と苦悩の叫びは自分に向けられる。他人に叫ぶユンファとは正反対だ。
以上のように考えた場合、「レッドクリフ」の主演俳優がユンファからトニーへと変わった事実は深い意味を持つ。
単に俳優が変わったというだけの話ではなく、主人公が「憧れのヒーロー」から、「自分の分身」へと変わったのである。
主役がユンファなら、三国志の世界の英雄豪傑たちの物語をワクワクしながら読んでいた気持ちをそのまま映像化したような作品になったかもしれない。
対してトニー主役の「レッドクリフ」では、あこがれの英雄豪傑の物語というよりも、自分があの時代にあの立場にいたならどうしていただろう・・・という、ある種自分探しの映画に変わったのかもしれない。
「レッドクリフ」のパンフレットにトニー・レオンのコメントが書かれていた
曰く「周瑜は監督自身でした」
ヒロイズムからロマンチシズムへ、作品は微妙な変貌をとげた。
しかし、そうはいってももともとの企画である周瑜=ユンファ、孔明=トニーの名残りがそこかしこに見える。
共に楽曲を奏でたくらいで「はいわかりました」と無謀とも思える開戦を決断したり、いざ戦闘となれば馬を駆って自ら最前線に躍り出る辺りはとってもユンファくさい。(味方をかばってわざと弓を喰らうところはユンファっぽくもあるが、どっちかと言えば「挽歌」のティ・ロンみたい。)
また、作品では曹操の真の狙いが小喬にあるということは、周瑜も孔明も気付いていなかった。周瑜にウー作品的高潔さを持たせるため、私情で戦をする男にさせたくなかったのであろが、ユンファ前提で考えたキャラだったから私人と公人の狭間で悩む複雑なキャラにしなかったのかもしれない。(なおベッドシーンは周瑜役がトニーに変わったから追加したんじゃないかと邪推)
一方でトニーが演じる予定だった孔明が、悩みゼロで無邪気さすら感じるキャラに仕上がっていたのは金城武にチェンジしたからだろうか。
公人として単身呉にのりこみ確信犯的に魏と呉を対立させ、一方で私人としては周瑜の軍才に感銘をうける、という人物からは「ハードボイルド」の潜入捜査官の役に通じるものもあったように感じる。
俳優の格からいって、周瑜=トニー、孔明=金城の逆はありえないから、あのキャスティングは最善策であったと思うが、そうはいっても主役2人にはなにかチグハグ感がつきまとっていた。
しかしウー組俳優で悩み続けたトニーがユンファ型ヒーローに成長する過程の作品と見ることもできる。
第二部でトニーは悩めるいつものトニーに戻るのか、ヒーローへと変身するのか、興味津々である。
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キンキラ映画は映画的には高得点だったのですが、ユンファ王はいかがなものだろう?
と思いました。
なんだか舞台俳優みたいでして・・・。
(劇団とかじゃなくて、松たかこパパみたいな感じです)
さらに海賊につづき今度は亀仙人ですから、ド
コに行くんだろう・・・と一抹の不安を感じます。
なので、今回のキャスティングトラブルは結果的には良かったのでは?と私は感じました。
他の面々が無邪気なまでにただもう強かったので、ちょっとヨレっとしたトニ周瑜で映画的バランスを保っていた感じがします。
金城孔明くんは、結局ナニがしたいんだ?と立ち位置とかポジションがよくわかりませんでした。何度見てもわかりません(涙)
あまりにキャスティングがころころ変わるので、監督も投げてしまったんだろうか、と思ったほどです。
>主役2人にはなにかチグハグ感がつきまとっていた。
え?主役だったんですか?
確か、趙雲が二刀流で少し戦ってましたよ。
>戦いが始まったらすぐに投げ槍として使い、この後どうすんのと思ったら・・・
一回だけじゃなく、毎回なので、もうスゴイとしか言いようがなかったです。(←勿論褒めてます)
とにかくパート2が楽しみです。
ウーとのコラボけってまでやる役かよって思います
北京語作品だから断ったとか何とか、ユンファが出てりゃ吹き替えでも良かったのに
棒読みでも日本映画に出る金城クンの勇気(無謀)を見習えとか思いますが、そんな金城クンは吹き替え版も自分でこなしたのかと気になります。
趙雲二刀流してましたか。
昔のウーならもっとコレミヨガシに二本持たせてたでしょうが、拳銃じゃないと演出もノレないのかもしれませんね
私もパート2楽しみ過ぎです
孫権チャンチェン閣下の戦働きが楽しみです
さすがですね!
次も楽しみにしてますよ~!!
ウーは心の師ですから
といってもフェイス/オフとかウィンドトーカーズとかはどうも好きになれないんですけど
私も後編楽しみです