個人的評価: ■■■■■■
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
必見の傑作である。
新作映画に満点つけるのは2005年の「ミリオンダラー・ベイビー」以来。ためらうことなどなかった。
(今年のベスト1決定!!と思っていたら是枝裕和監督の「歩いても歩いても」がまた良かったのでベスト1はどうするか揺れている。なんて年だ)
この映画では夫婦の10年間が描かれる。
次第に鬱に蝕まれていく妻が描かれる。
その妻の鬱から脱出が描かれる。
困難を乗り越えて深まる夫婦の絆。優しさにつつまれるという陳腐な表現がしかしこれほどしっくりくるラストも他にない。
10年という物語上の歳月を薄っぺらく感じさせないのは、夫にマスコミお抱えの法廷画家という職業を設定したところが大きいだろう。
法廷画家って何?的How toものの要素も序盤に匂わせつつも、それを目的でなく手段に留める。
様々な事件の法廷シーンを織り交ぜて、私の記憶上のここ10年とリンクさせるばかりでなく、序盤では右も左もわからない新人法廷画家が、プロとして成長していく過程をみせて、物語上の時間の移ろいを感じさせる。
もちろんそれだけのための設定ではない。
夫が10年にわたり見続けることになる社会の暗部。歪んだ人間たち。彼らを見、描き続けるがそれは仕事の絵。消費される絵。収録が終われば省みられることはない。
対して妻はいつまでも残る絵を描くことで、自らを再生させる。
日の当たる作品ではなく、知り合いの天井にひっそりと飾られる絵でしかないけれど、その絵はその部屋に来る人たちを、天井がもつ限り見守り続ける。そしてその絵を再生した妻と何をするでもなかったがいつもそばにいた夫が二人で見上げる。
夫の絵は多くの人に見られるがすぐに消える絵。妻の絵を羨ましがっただろうが、妻はその絵を自分の絵ではなく、夫と二人で描いた絵と思っていただろう。
物語の面白さも脚本構成の巧さも光るのだが、さらに俳優たちの演技がそれらを一層輝かせる。
木村多江の演技の素晴らしさは観るもの全ての記憶にいつまでも残るだろう。
「ハッシュ」の片岡礼子もそうだったけど、橋口監督作品には、さほど有名でもなかった女優を一気に実力派へ進化させる魔力があるらしい。
雰囲気重視のキャスティングと思われるリリー・フランキーは、無理のない役割を与えられた脚本のおかげもあってか、監督の術中に見事にはまって「いつも何気にそこにいる人間」を好演する。
序盤のコミカルな夫婦のかけあいを長回しで見せきるシーンからして素晴らしい。
演技をしているという匂いを微塵も感じさせず、本当の夫婦が喧嘩している場所にいるような錯覚を覚える。
台詞覚えて段取り覚えて立ち位置決めて・・・なんてドラマ収録フォーマット通りに撮影したら、下手な芝居を長々見せられるだけの苦痛シーンになってしまっただろう。橋口監督が求めたのは、役者が泣きたいから泣くような芝居ではなく、監督が叫ばせたいから叫ぶような演出でなく、映画の中の人物たちから自然と溢れる感情だったのだろう。どうすればあんないい顔やいい台詞を俳優から引き出せるのだろう。
長回しもただ監督がやりたいからやっているというものではない。序盤に作り手による作為をなるべく廃して夫婦2人だけの空間、2人だけの時間を現出させるために、モンタージュによる感情誘導を無くしたのだ。それにより観客はこの夫婦の日常のゆるやかな流れに自然と取り込まれ、以降のエピソードでの夫婦に起こる様々な事件を我がことのように感じることになる。
その後のエピソードもモンタージュに頼らず、長回しによって場の空気を感じさせる演出が光る。空気読める監督なのだ。
過剰なドラマチックは避けて、ちょっと嫌なことの積み重ねによるストレスと、ちょっといいことの積み重ねによる癒しで夫婦の10年を描ききる。こういう感情の機微をとらえることに関しては橋口亮輔という監督は世界一かもしれない。
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[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
必見の傑作である。
新作映画に満点つけるのは2005年の「ミリオンダラー・ベイビー」以来。ためらうことなどなかった。
(今年のベスト1決定!!と思っていたら是枝裕和監督の「歩いても歩いても」がまた良かったのでベスト1はどうするか揺れている。なんて年だ)
この映画では夫婦の10年間が描かれる。
次第に鬱に蝕まれていく妻が描かれる。
その妻の鬱から脱出が描かれる。
困難を乗り越えて深まる夫婦の絆。優しさにつつまれるという陳腐な表現がしかしこれほどしっくりくるラストも他にない。
10年という物語上の歳月を薄っぺらく感じさせないのは、夫にマスコミお抱えの法廷画家という職業を設定したところが大きいだろう。
法廷画家って何?的How toものの要素も序盤に匂わせつつも、それを目的でなく手段に留める。
様々な事件の法廷シーンを織り交ぜて、私の記憶上のここ10年とリンクさせるばかりでなく、序盤では右も左もわからない新人法廷画家が、プロとして成長していく過程をみせて、物語上の時間の移ろいを感じさせる。
もちろんそれだけのための設定ではない。
夫が10年にわたり見続けることになる社会の暗部。歪んだ人間たち。彼らを見、描き続けるがそれは仕事の絵。消費される絵。収録が終われば省みられることはない。
対して妻はいつまでも残る絵を描くことで、自らを再生させる。
日の当たる作品ではなく、知り合いの天井にひっそりと飾られる絵でしかないけれど、その絵はその部屋に来る人たちを、天井がもつ限り見守り続ける。そしてその絵を再生した妻と何をするでもなかったがいつもそばにいた夫が二人で見上げる。
夫の絵は多くの人に見られるがすぐに消える絵。妻の絵を羨ましがっただろうが、妻はその絵を自分の絵ではなく、夫と二人で描いた絵と思っていただろう。
物語の面白さも脚本構成の巧さも光るのだが、さらに俳優たちの演技がそれらを一層輝かせる。
木村多江の演技の素晴らしさは観るもの全ての記憶にいつまでも残るだろう。
「ハッシュ」の片岡礼子もそうだったけど、橋口監督作品には、さほど有名でもなかった女優を一気に実力派へ進化させる魔力があるらしい。
雰囲気重視のキャスティングと思われるリリー・フランキーは、無理のない役割を与えられた脚本のおかげもあってか、監督の術中に見事にはまって「いつも何気にそこにいる人間」を好演する。
序盤のコミカルな夫婦のかけあいを長回しで見せきるシーンからして素晴らしい。
演技をしているという匂いを微塵も感じさせず、本当の夫婦が喧嘩している場所にいるような錯覚を覚える。
台詞覚えて段取り覚えて立ち位置決めて・・・なんてドラマ収録フォーマット通りに撮影したら、下手な芝居を長々見せられるだけの苦痛シーンになってしまっただろう。橋口監督が求めたのは、役者が泣きたいから泣くような芝居ではなく、監督が叫ばせたいから叫ぶような演出でなく、映画の中の人物たちから自然と溢れる感情だったのだろう。どうすればあんないい顔やいい台詞を俳優から引き出せるのだろう。
長回しもただ監督がやりたいからやっているというものではない。序盤に作り手による作為をなるべく廃して夫婦2人だけの空間、2人だけの時間を現出させるために、モンタージュによる感情誘導を無くしたのだ。それにより観客はこの夫婦の日常のゆるやかな流れに自然と取り込まれ、以降のエピソードでの夫婦に起こる様々な事件を我がことのように感じることになる。
その後のエピソードもモンタージュに頼らず、長回しによって場の空気を感じさせる演出が光る。空気読める監督なのだ。
過剰なドラマチックは避けて、ちょっと嫌なことの積み重ねによるストレスと、ちょっといいことの積み重ねによる癒しで夫婦の10年を描ききる。こういう感情の機微をとらえることに関しては橋口亮輔という監督は世界一かもしれない。
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