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映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

キック・アス [監督:マシュー・ヴォーン]

2011-05-14 06:07:58 | 映評 2011~2012
個人的評価: ■■■■■■
[6段階評価 最高:■■■■■■、最悪:■□□□□□]

これほど、痛快爽快豪快に面白い映画を映画館で観たのはいつ以来だったろう。
深い、凄い、感銘うける、泣けるとかでなく、ただただ面白い。そして映像センスのある監督が手間も技術もたっぷりかけて、壮絶アクションをテンポよく、かっこよく、美しく描き出す。
全てのヒーローファンに捧げられているような本作。ヒーローを愛しアクション映画が好きな人なら必見の名作だ。
ヒーローといっても本作は基本的にはアメコミヒーローへの愛をぎっしり詰めた作品であるが、アメコミは苦手だからなんて心配は不要。描かれるヒーロー愛は、東映ヒーロー好き、円谷ヒーロー好き、アニメ好きの心にも根本的なところで通じており、我ら日本のヒーローを愛する心にもすんなり置換できる。
ただし容赦のない殺戮、血と暴力の嵐はちびっ子の心に深い傷を残しかねないので、今もヒーローが好きな大人たちへの映画と思っていただきたい。

****ストーリー****
アメコミヒーローオタクの高校生デイブは、街にはびこるストリートギャングたちの悪行非道と、それを見て見ぬふりをする一般市民に憤りを感じ、通販で買ったウェットスーツに身を包みトンファ1本を持って街の悪者退治に乗り出す。しかし初戦で彼はチンピラにボコボコにされ、刺され、あげく通りがかりの車に轢かれて瀕死の重傷を負ってしまう。ヒーローはその正体を明かしてはならない鉄則から彼は救急隊員にコスプレしていたことは秘密にしてくれと頼み込むと、彼は全裸で倒れていたということになってしまう。さらに転じて彼はゲイであるという噂が高校にながれる。
ともかく退院したデイブは懲りずにまたまたウェットスーツを買ってキックアス・バージョン2になる。違いはトンファが2本になったことだ。再びチンピラグループに制裁を加えようとするが、やっぱり袋叩きにあう。それでも闘い続けるキックアスの姿に感動した市民が彼の戦いっぷりを携帯で撮りYouTubeにアップしたところ、ネットの中では爆発的な人気となり、キックアスは弱いくせに一躍人気者となってしまうのだった。
ある時、オタクのデイブにとっては高嶺の花だった学園のアイドル、ケイティが近づいてきて、前々からゲイの友達が欲しかったという。ケイティに近づきたくてゲイのふりをするデイブだった。彼女の元カレはとっても悪い奴で、今でも彼女を困らせていると聞いて弱いくせに怒った主人公は、正義のヒーローキックアスとなって彼女の元カレを懲らしめにいく。しかしその元カレのアジトはこれまでのストリートギャングなんかとは明らかに系統の異なるもっと本格的にやばい雰囲気、つまり非合法なドラッグを売っていたり不正に入手した銃器の類を沢山持っているような雰囲気まんまんのところだった。逃げりゃいいのに正義の心が後退を許さずキックアスはスタンガンとトンファで果敢に悪人たちに正義の制裁を下そうとするが、まったく歯が立たず今度こそ本気で命が危険になってきたその時・・・一人の悪者の背中から胸をするどい槍がが貫いた。倒れた悪者の背後には、アメコミヒーローチックなコスチュームを身にまとい血を滴らせた槍を持ってニヤニヤしている10歳くらいの女の子がいた。そして彼女はアジトの悪党どもを殲滅かつ惨殺してしまう。それがキックアスとヒットガールの運命的な出会いだった。
彼女はマフィアへの私怨に燃える父親によって殺しのスキルと知識を徹底的に叩き込まれた美少女殺人ヒロインだった。その父もまたコスプレしてビッグダディを名乗り暗黒街のさらに裏側でマフィアたちに対して殺しと強奪と破壊をくり返す恐怖のヒーローとして暗躍していた。
そしてこの事件によりキックアスは、ビッグダディ&ヒットガールとマフィアの抗争に巻き込まれていく・・・
*********

クライマックスにアドレナリン沸騰状態になる最高の名シーンがある。
たった一人でマフィアの本部に乗り込み無敵の強さを見せるヒットガールが、しかしさすがに多勢に無勢、逃げ場を失い追い詰められたところにグレネードランチャーを持ち出す敵。
あわやというその時、キックアスが、ついにその全貌を明らかにした秘密兵器とともに救助に駆けつける場面。
ベタだが最高に魂を熱くする。
マジンガーZを助けに来るグレートマジンガー。太陽電池が切れたうえにハカイダー軍団に包囲され絶体絶命のキカイダー01を助けに現れたキカイダー。ギロン人とアリブンタの罠にはまり地底に閉じ込められたエースを助けに来るゾフィー。
あれやこれやの魂を熱くした名シーンの思い出とともに、ヒーロー引退を撤回して駆けつけたキックアスの姿に目頭が熱くなる。
そりゃもちろんヒーローに限ったことでなく、ルークのXウィングを狙うダースベイダーの編隊を撃墜するハン・ソロのファルコン号とか、ホーとキットのピンチにマシンガン撃ちまくりながら戻ってくるマークとか、悪人に包囲される瀕死の市川雷蔵の助太刀に入る勝新太郎とか、定番にもほどがあるシチュエーションであるが、それら世紀の名作に並ぶ名場面であることに間違いない。
なんかピンチのヒーローを別のヒーローが助けにくる場面さえ作れば映画は面白くなる気もしてきたが、そんな単純なことでもあるまい。
キックアスの救助シーンの感動は単にシチュエーションとビジュアルだけのものではなく、一度はヒーローであり続けることに絶望したはずの弱虫主人公が再び自身の誇りの証であるキックアススーツをまとって現れるところにあるだろう。つまりストーリーとビジュアルとシチュエーションが三位一体となって最高の名場面を形作っているのだ。

本作を感動的にしているのは、主人公が失いかけたヒーロー愛を取り戻すところが描かれるからだ。
そしてヒーロー熱が冷める過程もまた、かつてヒーローが好きでいつの間にかその思いが薄れていった人たちの郷愁を誘う。
ダメヨワヒーローでありながらインターネットでは絶大な支持を誇るキックアス。有頂天になっている彼は、強さも悪と闘う覚悟も段違いのホンモノの(やばい)ヒーロー、ビッグダディとヒットガールに出会う。
彼らに比べて自分の非力を思い知り、趣味でヒーローを続けることに限界を感じたであろうキックアス。
そうして心が揺れていたころオタク青年は性に開眼してしまう。憧れの女の子と付き合うことがかない、彼女とセックスまでしてヒーローオタクは男になる。
自分の力で守れるのは彼女1人。大切な存在を得て現実に気づいたのか。あるいは単にセックスに溺れてヒーローどころじゃなくなったのか。どちらともとれるが、いずれにせよ彼はヒーローをやめる理由を探していたように見える。
ここがポイントだと思う。子供の頃、ヒーローについて熱く語り合っていた友達と久しぶりに合うと、そいつは女の子にもてたくてオシャレとかいけてる音楽とかにしか興味がなくて寂しい思いをしたあの頃が思い出される。
自分だってヒーローよりも別のものに夢中になってやがてヒーロー番組から離れて行く。デイブとケイティの仲が深まっていく姿は恋が実っていく安堵感よりむしろ成長とともにヒーローを忘れていった者たちの郷愁をくすぐり、悲しい気分にさせるのだ。
そしてとうとうヒーロー引退を決意した彼だが、同僚ヒーロー(実は悪者。ビッグダディが狙うマフィアのドンの息子)への義理のため最後の仕事に赴くが、そこで彼は罠にはまり、そして悲劇につながる。
命は助かったものの、悲劇を招いてしまった責任を痛感するキックアス。彼が背負い込むにはあまりに重い責任。後悔。非力どころかホンモノのヒーローの足を引っ張るだけであることを思い知る。
恋人のもとに逃げ帰りヒーローのことなど忘れて生きていくべきだ。それだけの絶望感。壮絶なアクションと破壊と殺戮の映像があるからこそ、キックアスの絶望は説得力を持つ。
だからこそ、絶体絶命のヒットガールを救出に現れるあの場面は、絶望を乗り越えたヒーローオタクがヒーロー愛を取り戻す姿となって感動を誘う。
自分を罠にはめた悪のヒーローへのリベンジを果たし、さらにラスボスとのバトルで再びピンチになったヒットガールを、その前に彼女をピンチに追い込んだグレネードをつかって助ける脚本の妙も堪能させて(もちろんグレネード発射前には捨て台詞も決める。「未成年虐待だぜ」ズドーン!!)勝利をもぎ取る。
朝焼けの中を飛翔するキックアスとヒットガールの姿は神々しいばかりに美しく、元ヒーローオタクがヒットガールから一人前に認められる姿に胸が熱くならないはずが無い。

と、主に主人公キックアスについて感動の賛辞を述べてきたが、本作を最高の名作にした最大の功労者がヒットガールであることを疑うものはいないだろう。
彼女は本作でもっとも光り輝く存在であるばかりか、ここ10年くらいの全ての映画の中で最も光り輝くヒロインであるかもしれない
演じるクロエ・グレース・モレッツは撮影時12歳か13歳(1997年生まれ)。年端もいかない少女が大人たちを戦慄させる。
ベルイマン映画の聖なる狂女たちが大好きな私であるが、ヒットガールは狂うことができるほどに年齢を重ねていない。ヒットガールの無邪気な残虐は笑いと興奮と戦慄と悲哀を同時に発散する。
彼女は身につけた殺しの知識とテクニックで悪党を惨殺することを完全に楽しんでいる。銃火器で、刀剣類で、体術で、殺して殺して殺す。迷いが無いばかりか楽しくて仕方がないように獲物を探し、圧倒的な強さでチンピラやマフィアを殲滅する。この強さは、アラレちゃんのそれに通じるものがあるかもしれない。
だがロボットではないヒットガールは少女ゆえの純粋な気持ちも持ち合わせている。パパを愛しパパのために闘う。パパへの愛と信頼が溢れてくるからこそ、心を極端に歪められても幼いがゆえにそれに気づかないヒットガールに涙する。

「パパが撃った時より痛かったわ」
「パパは火薬を少なくしていたからね」
「パパは世界一優しいのね」

字面だけ追うと、この短い会話に100箇所くらい突っ込み所があるのだが、劇中においてこの会話を聞くと溢れる涙を抑えることができない。
無邪気かつあまりに強いヒットガールは、そのあどけない笑顔が逆に闇に閉ざされた心を感じさせる。そんな心の闇に唯一輝くのがパパへの愛。単純にその輝きに向かって走っていたヒットガール。その灯火が絶たれたヒットガールはまるで死に場所を探すような無謀かつ絶望的な戦いに赴く。・・・といいつここでも制服萌え~スタイルでの潜入から殺戮へと見た目に楽しい戦いを始める(しかも音楽がエンニオ・モリコーネの「夕日のガンマン」とはポイント高し)。
そしてヒットガールスーツに身を包み情け容赦のない殺戮を繰り広げるのだが、それまでの無邪気さが抜けた彼女は、ある意味で苦い経験を経て変化したのか、ほとばしる感情が冷静さを奪うのか、物語前半の無敵の強さは次第に剥ぎ取られていき窮地へと追い込まれていく。そしてそこに駆けつけるキックアスとなるわけだ。
ヒットガールは「人は独りでは強くなれない、愛や友情で結ばれた絆があってこそ強くなれる」ということを我々に教えてくれる。
けれどもそんなことより、ヒットガールはあどけない笑顔で撃ち、斬り、殴り、へし折り、刺し、投げ飛ばし、破壊し、爆破する。その姿はもはや強くて可愛い少女戦士への憧れなどという甘っちょろい妄想的願望をこえている。
それまでの自分の貧弱な想像力をはるかに超えたその光景に戦慄を覚え、それでいて恍惚を感じる。私はその姿を一生忘れないだろう。たとえ自分がボケ老人になっても。

そんなヒットガールを育てた彼女の父にしてダークヒーローのビッグダディも重要人物だ。
演じるのはニコラス・ケイジ。こういう倒錯的な人物を助演というスタンスで演じたときに彼の濃さが非常に魅力的になる。
彼にとっても全出演作品中最高のパフォーマンスだったのではないだろうか。
ヒットガールに殺しと暴力の知識とスキル、および実戦経験を徹底的に叩き込むビッグダディ
殺しの知識確認クイズでこんなことを言う

「ジョン・ウーの劇場第一作は?」

さすがにジョン・ウー学校の卒業生ニコラス・ケイジらしさのあふれた出題だ
ヒットガールはバタフライナイフで遊びながら事も無げに答える

「『カラテ愚連隊』に決まってるわ」

****
これ以上に面白い映画に出会うことはないだろう。今年のベストワン決定と確信していた。「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団」という映画を観るまでは・・・

********
ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
この企画が講談社のセオリームックシリーズ「映画のセオリー」という雑誌に掲載されました。2010年12月15日発行。880円


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