「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」を"ティム・バートン監督作品"と勘違いしている皆さん、お待ちかねの正真正銘の"ティム・バートン監督作品"です。ただしマイク・ジョンソンという方と共同ですからね。
もっとも「ナイトメア」も「コープス」と同様、脚本、キャラデザ、プロデュースやってるから監督以上の権限を持っていたと思われます。じゃあなんで今回監督までやったのか?と考えると、「チャリチョコ」撮った勢いでそのままジョニデとヘレボナとクリリー拉致ってアフレコさせるためとか、無名監督じゃ彼らスターがダダこねるからとか、またダニー・エルフマンがでしゃばってきて「俺に主役の声もやらせろーー」とか言わせないためとか色々想像できます。
そのダニー・エルフマンですが、今作での仕事も非の打ち所のないものでした。BGMは得意のコーラスを使って画面を美しく彩り、それでいてメロディの美しさが一人歩きせずに映像と完全に調和しています。一方でミュージカルナンバーはエネルギッシュに跳ね回り画面から飛び出してきそうな勢い。「チャリチョコ」の仕事があまりに完璧だったので「初オスカー、ゲットだぜ!!」と思ったのですが、「コープス」とのダブルノミネートによる票割れで、またオスカー逃がす可能性もでてきてしまった。
話としては大したことない。悪賢そうな顔した男爵の登場と、コープスブライドの過去の説明とで、二人の関係はもろバレ。まさかこいつが・・・って思えるような奴がコープスブライドの過去の婚約者だったことにするとか、そんなどんでん返しを用意するとクライマックスの無駄なじらし感が緩和されて良かったかもしれない。
しかしです。この映画にとってそんなシナリオの構成上の問題など大した意味はないように思えます。
古くからあるおとぎ話でもないのにそのように思わせる幻想的な世界観を前に、ストーリーの先が読めたところで、それは「浦島太郎」の結末が判っていても問題ないのと同じこと・・・のような錯覚を抱きます。
人形たちが愉快に跳ね回るのを観ていると、それだけで満足できるし、さらにダニーの最高の音楽だ。不満なんかない。
「誰でもいつか死ぬけれど、そんなに悪いものじゃない」という歌詞の通り、正者の世界はどんより暗くモノトーンに近い色合いで、一方死者の世界はきらびやかな色彩とノリノリの音楽に満ちている。だからって死ぬことは素晴らしいと考えているわけではなく、死者が蘇って町中を闊歩するクライマックス。家族との再会を皆は単純に喜ぶ。愛は生死の境界もかるーく飛び越えて、それでいて生きてる者も死んでる者もお互いの違いを尊重している。
違いがあるから結ばれず悲しいのではなく、違いは当然のものとして認めて、だから結ばれないのが愛の証なのだ。
またこの物語は、外見のグロテスクさで心の美しさを図ることはできない、ということも描いている。
違いを認めましょう、外見で判断するのはやめましょう、という教訓も示していて、いい映画だなあと単純に感動したのでした。
楽しげな映像の中で童話世界の残酷さを描く一方で、死者や腐乱死体を使って人生の教訓を語るティム・バートンは今一番脂がのっている時期だと思う。ハリウッドメジャーを利用して大予算駆使しつつ、自分の悪趣味も貫く。すごいね。
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
もっとも「ナイトメア」も「コープス」と同様、脚本、キャラデザ、プロデュースやってるから監督以上の権限を持っていたと思われます。じゃあなんで今回監督までやったのか?と考えると、「チャリチョコ」撮った勢いでそのままジョニデとヘレボナとクリリー拉致ってアフレコさせるためとか、無名監督じゃ彼らスターがダダこねるからとか、またダニー・エルフマンがでしゃばってきて「俺に主役の声もやらせろーー」とか言わせないためとか色々想像できます。
そのダニー・エルフマンですが、今作での仕事も非の打ち所のないものでした。BGMは得意のコーラスを使って画面を美しく彩り、それでいてメロディの美しさが一人歩きせずに映像と完全に調和しています。一方でミュージカルナンバーはエネルギッシュに跳ね回り画面から飛び出してきそうな勢い。「チャリチョコ」の仕事があまりに完璧だったので「初オスカー、ゲットだぜ!!」と思ったのですが、「コープス」とのダブルノミネートによる票割れで、またオスカー逃がす可能性もでてきてしまった。
話としては大したことない。悪賢そうな顔した男爵の登場と、コープスブライドの過去の説明とで、二人の関係はもろバレ。まさかこいつが・・・って思えるような奴がコープスブライドの過去の婚約者だったことにするとか、そんなどんでん返しを用意するとクライマックスの無駄なじらし感が緩和されて良かったかもしれない。
しかしです。この映画にとってそんなシナリオの構成上の問題など大した意味はないように思えます。
古くからあるおとぎ話でもないのにそのように思わせる幻想的な世界観を前に、ストーリーの先が読めたところで、それは「浦島太郎」の結末が判っていても問題ないのと同じこと・・・のような錯覚を抱きます。
人形たちが愉快に跳ね回るのを観ていると、それだけで満足できるし、さらにダニーの最高の音楽だ。不満なんかない。
「誰でもいつか死ぬけれど、そんなに悪いものじゃない」という歌詞の通り、正者の世界はどんより暗くモノトーンに近い色合いで、一方死者の世界はきらびやかな色彩とノリノリの音楽に満ちている。だからって死ぬことは素晴らしいと考えているわけではなく、死者が蘇って町中を闊歩するクライマックス。家族との再会を皆は単純に喜ぶ。愛は生死の境界もかるーく飛び越えて、それでいて生きてる者も死んでる者もお互いの違いを尊重している。
違いがあるから結ばれず悲しいのではなく、違いは当然のものとして認めて、だから結ばれないのが愛の証なのだ。
またこの物語は、外見のグロテスクさで心の美しさを図ることはできない、ということも描いている。
違いを認めましょう、外見で判断するのはやめましょう、という教訓も示していて、いい映画だなあと単純に感動したのでした。
楽しげな映像の中で童話世界の残酷さを描く一方で、死者や腐乱死体を使って人生の教訓を語るティム・バートンは今一番脂がのっている時期だと思う。ハリウッドメジャーを利用して大予算駆使しつつ、自分の悪趣味も貫く。すごいね。
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いいんですよね?小学生になったつもりで鑑賞しても・・・
小学生的見方ばんざい!!
でも良い子じゃないと、チョコレート工場で殺されかけますよ
腐乱してるけど、死者達の表現については本当にグロテスクさなんてありませんでした。あれだけ色取り取りで活気が溢れ、活き活きしてる姿を見ると、死んでるんだけど死んでる人達と言うイメージが沸いてこないので不思議です。
自分も楽しく観れました♪
たぶん固定観念の逆転を狙ってんですよね
そしてそれは見事に成功してました
映画をボーッと見てたせいか、そこまで気付きませんでした。
でも、街中の看板に使われてる言語は、全部英語でしたよ。見たのは吹替版でしたが、字幕版で声をあてているジョニーなんとかさんや、ヘレナ・ボナムなんとかさんは、不勉強でよく知らない人たちばかりなのですが、どうやら英語圏の役者さんらしいというウワサですし。それに、あの世で独眼流のガイコツさんは、20世紀の音楽であるジャズの調べに乗せて歌ってましたよ。
日本ではどこで上映してるんでしょうか、『コープス・ブライド~19世紀ヨーロッパ・バージョン』。
「判で押したのではなく、コピーでペーストしたのだ」って怒られそうですが、さらに「人んち来て毒吐くな」って怒られそうですが、TBありがとうございました。
私はてっきりアメリカの話だと思っていましたが、そうではなかったようですね。
ただ、日本の芸者を演じさせるにあたり中国の女優に英語を喋らせるハリウッドですから、台詞の問題は無視して下さい。ドクトル・ジバゴも愛新覚羅溥儀も英語を喋ってましたし、昔々はるか宇宙の彼方で活躍したスカイウォーカー氏も英語を喋っていました。
また看板の問題ですが「魔女の宅急便」も日本語の手紙や看板が散見されたので、アメリカvs日本は引き分けということで引き下がりたいと思います。
ジャズの件ですが、いちお1900年までは19世紀ですので、「ジャズ大名」とか観る限り19世紀の音楽と言えなくもなく、いち早く新しい流行にのるとは、さすが死者たちよのぉ・・と褒めてあげてください。
そういう訳でコメントありがとうございました。