個人的評価: ■■■■□□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
[映評概要]
次回アカデミー賞の最優秀アニメ賞当確。
冒頭の人生の回想場面が泣ける。(けれども同種のシーンなら「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」の方がもっと泣ける)
全般丁寧な演出と美しい画で、非常にハイレベルな映画。古きを捨て新らしき未来へ踏み出そう・・・というテーマも素晴らしいのだが、そのテーマのために物語的高揚感が犠牲になっている感はある。
奥さん存命中に飛べばいいのに・・とか、あの悪者は何十年間も何やってたの・・・とか、突っ込みどころ多し
「ファインディング・ニモ」とか「WALL・E」の方が日本人ウケはいいだろう
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[映評詳細・・・ネタバレ]
最大の見所は最初の10分くらいのところで描かれるカールと妻エリーの生活がサイレントで描写される部分である。ここでいきなりオトナたちは泣く。「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」のひろしの回想シーンを思い出す。ただ「クレしん」の名シーンがクライマックスの手前という絶妙のタイミングで差し挟まれたのに対し、カールじいさんの名シーンは始まってすぐである。まだ心の準備ができていない状態で強制的に泣きモードに突っ込まれた感はある。
そしてカールじいさんは飛び立つ。え?もう?ってくらい、早くに飛び立つ。じいさんが飛び立つ動機は細かく描写されているが、なぜその時飛び立つことができたのか、あるいはなぜ今まで飛び立たなかったのか・・・が描かれない。正直に言って、どうして妻の存命中に飛び立たなかったのだろうと疑問に思う。どんなに喜ばれたことか・・・
もちろんそれまで飛び立てなかった理由はなにかあったのだろう。妻との半生はサイレントだったので、本当は飛ぶに飛べない理由が何か語られていたのかもしれない。
個人的にシナリオをいじってもいいのなら、じいさんが建設業者と喧嘩する件などそれほど重要だとは思えないからさっさと流して、昔勤めていたテーマパークなりイベント会社なりから手違いで大量の風船とガスが送られてくる場面を入れて、且つ、エリーとの生活の中で二人が風船旅行計画を練っていたことを描写したい。
ともかく飛び立ったカールじいさんであるが、「空を飛んで伝説の目的地に向かう場合必ず雷を伴う暴風雨に見舞われるの法則」(※)に則ってカールじいさんの家も嵐にあう。(※・・・ジブリ大学の宮崎駿教授が1987年に論文「天空の城ラピュタ」にて発表したとされている)
そして嵐をぬけたらもう、エリーと夢見た南米パラダイスの谷に到着だ。いろんなことがあって物語後半になってやっと到着したラピュタのような、到達感は・・・無い。なにしろ始まって物語の半分も立たないうちにもう目的地に到着だ。ここもまた「早・・・」と突っ込みたくなる展開。
そして悪人の登場となるのだが、こいつがとても抜けている奴だ。
・犬が言葉を話す機械を作れるほど頭がいい
・彼が捕まえようとする「鳥」は図体がでかく、居場所はここですと言わんばかりの大声で鳴く
・その鳥の捕獲に彼は人生の全てをかけている
・少なく見積もっても彼は40年から50年はあの谷で鳥を捕まえようとしていた
だがそんな鳥も到着して数時間もたたない子供が、チョコレート一枚で手なずけてしまった。彼の鳥捕獲に執念を燃やした人生はなんだったんだろう・・・と、思わず憐れみの心を抱いてしまう。よっぽど間抜けな男なのだ。そういうトンマは殺さず逃がしてあげるのがファミリー映画作りのセオリーなのだが、本作の作り手たちは、彼を容赦なく殺しす。しかもその死に様には、かつての栄光を髣髴とさせる物は微塵も感じさせない無慈悲なものだった・・・(ある意味すごい)
こうした「難なく目標をクリアしていく早すぎる展開」に気分が乗らず、「ファインディング・ニモ」「WALL・E」といったPIXARの秀作と比べると見劣りしてしまうのだが・・・そうした一見すると作り込み不足に感じられる本作の脚本の背後には、作り手の大きな野心が秘められているように思える。
物語的高揚感を犠牲にしてでも訴えたかったことがあったと思うのだ。
大抵の冒険物語が「冒険が終われば物語が終わる」ものであるのに対して、本作では「冒険が終わった後も物語は続く」ことを主題としている。
この映画の目的地は、パラダイスの谷に向かうことでも、珍しい鳥を捕まえることでも、妻との約束を果たすことでもない。現在進行形の冒険を終わらせて新しい冒険に踏み出すことだ。
だからこの映画で目的を達成した時に達成感を感じないのは、脚本に問題があるからではない。終わった冒険などさっさと忘れさせて新しい冒険へとかきたてるためだ。
物語の終盤、クライマックスの一歩前でもう一度妻との人生をアルバムで回想するシーンが用意される。そこで描くものは表現手法は異なれど冒頭の回想シーンと同じだが、そのアルバムの最後のページに記された妻からのメッセージがこの物語のテーマを端的に現している。
「今までありがとう。新しい冒険を!」
じいさんは妻との約束を果たすことを目的としていた。約束とはパラダイスの滝のそばに家を建てることだ。
へとへとになりながら1人で家を滝のそばに引っ張っていくカールじいさん。古い人生にいつまでもしがみついている。悲しさと哀れさがにじむ。
そしてカールじいさんは「鳥」を助けにいこうという子供の提案を拒否する。新しい冒険よりも、古い冒険の続きに固執するように。
ようやくたどり着いた滝のそば。妻との約束を果たし「妻との人生」という冒険の目的地に到着するが、残るのは虚しさばかり。何もないパラダイスに誰もいない家。そこで手にした妻の冒険予定帖には、カールとの思い出の写真の数々とともに最後に例のメッセージ。
カールじいさんは新しい冒険へと進む決意をし、古いものは全て捨て去り、空っぽになった家で鳥と少年の救出に旅立つ。
一つの冒険を終わらせ、次の冒険へと進む勇気を讃え、そして生きている限り人生は冒険の連続であることをこの映画は訴える。
すったもんだの末「鳥」の奪還を果たしたカールじいさんは、結局のところ大切な家も失い、妻との思い出のメダルも惜しげもなく少年に与え、新たな人生へと旅立つ様が描かれる。70歳になろうが80歳になろうが人生は冒険で、新しい冒険に進むものに祝福は訪れる。
何十年も古い冒険の失敗を引きずって生きてきた悪者冒険家が、新たな冒険に踏み出したカールじいさんに負けたのも当然のことだったのかもしれない。過去を振り返る者より、未来に向かっていく者の方が強いのである。
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[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
[映評概要]
次回アカデミー賞の最優秀アニメ賞当確。
冒頭の人生の回想場面が泣ける。(けれども同種のシーンなら「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」の方がもっと泣ける)
全般丁寧な演出と美しい画で、非常にハイレベルな映画。古きを捨て新らしき未来へ踏み出そう・・・というテーマも素晴らしいのだが、そのテーマのために物語的高揚感が犠牲になっている感はある。
奥さん存命中に飛べばいいのに・・とか、あの悪者は何十年間も何やってたの・・・とか、突っ込みどころ多し
「ファインディング・ニモ」とか「WALL・E」の方が日本人ウケはいいだろう
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[映評詳細・・・ネタバレ]
最大の見所は最初の10分くらいのところで描かれるカールと妻エリーの生活がサイレントで描写される部分である。ここでいきなりオトナたちは泣く。「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」のひろしの回想シーンを思い出す。ただ「クレしん」の名シーンがクライマックスの手前という絶妙のタイミングで差し挟まれたのに対し、カールじいさんの名シーンは始まってすぐである。まだ心の準備ができていない状態で強制的に泣きモードに突っ込まれた感はある。
そしてカールじいさんは飛び立つ。え?もう?ってくらい、早くに飛び立つ。じいさんが飛び立つ動機は細かく描写されているが、なぜその時飛び立つことができたのか、あるいはなぜ今まで飛び立たなかったのか・・・が描かれない。正直に言って、どうして妻の存命中に飛び立たなかったのだろうと疑問に思う。どんなに喜ばれたことか・・・
もちろんそれまで飛び立てなかった理由はなにかあったのだろう。妻との半生はサイレントだったので、本当は飛ぶに飛べない理由が何か語られていたのかもしれない。
個人的にシナリオをいじってもいいのなら、じいさんが建設業者と喧嘩する件などそれほど重要だとは思えないからさっさと流して、昔勤めていたテーマパークなりイベント会社なりから手違いで大量の風船とガスが送られてくる場面を入れて、且つ、エリーとの生活の中で二人が風船旅行計画を練っていたことを描写したい。
ともかく飛び立ったカールじいさんであるが、「空を飛んで伝説の目的地に向かう場合必ず雷を伴う暴風雨に見舞われるの法則」(※)に則ってカールじいさんの家も嵐にあう。(※・・・ジブリ大学の宮崎駿教授が1987年に論文「天空の城ラピュタ」にて発表したとされている)
そして嵐をぬけたらもう、エリーと夢見た南米パラダイスの谷に到着だ。いろんなことがあって物語後半になってやっと到着したラピュタのような、到達感は・・・無い。なにしろ始まって物語の半分も立たないうちにもう目的地に到着だ。ここもまた「早・・・」と突っ込みたくなる展開。
そして悪人の登場となるのだが、こいつがとても抜けている奴だ。
・犬が言葉を話す機械を作れるほど頭がいい
・彼が捕まえようとする「鳥」は図体がでかく、居場所はここですと言わんばかりの大声で鳴く
・その鳥の捕獲に彼は人生の全てをかけている
・少なく見積もっても彼は40年から50年はあの谷で鳥を捕まえようとしていた
だがそんな鳥も到着して数時間もたたない子供が、チョコレート一枚で手なずけてしまった。彼の鳥捕獲に執念を燃やした人生はなんだったんだろう・・・と、思わず憐れみの心を抱いてしまう。よっぽど間抜けな男なのだ。そういうトンマは殺さず逃がしてあげるのがファミリー映画作りのセオリーなのだが、本作の作り手たちは、彼を容赦なく殺しす。しかもその死に様には、かつての栄光を髣髴とさせる物は微塵も感じさせない無慈悲なものだった・・・(ある意味すごい)
こうした「難なく目標をクリアしていく早すぎる展開」に気分が乗らず、「ファインディング・ニモ」「WALL・E」といったPIXARの秀作と比べると見劣りしてしまうのだが・・・そうした一見すると作り込み不足に感じられる本作の脚本の背後には、作り手の大きな野心が秘められているように思える。
物語的高揚感を犠牲にしてでも訴えたかったことがあったと思うのだ。
大抵の冒険物語が「冒険が終われば物語が終わる」ものであるのに対して、本作では「冒険が終わった後も物語は続く」ことを主題としている。
この映画の目的地は、パラダイスの谷に向かうことでも、珍しい鳥を捕まえることでも、妻との約束を果たすことでもない。現在進行形の冒険を終わらせて新しい冒険に踏み出すことだ。
だからこの映画で目的を達成した時に達成感を感じないのは、脚本に問題があるからではない。終わった冒険などさっさと忘れさせて新しい冒険へとかきたてるためだ。
物語の終盤、クライマックスの一歩前でもう一度妻との人生をアルバムで回想するシーンが用意される。そこで描くものは表現手法は異なれど冒頭の回想シーンと同じだが、そのアルバムの最後のページに記された妻からのメッセージがこの物語のテーマを端的に現している。
「今までありがとう。新しい冒険を!」
じいさんは妻との約束を果たすことを目的としていた。約束とはパラダイスの滝のそばに家を建てることだ。
へとへとになりながら1人で家を滝のそばに引っ張っていくカールじいさん。古い人生にいつまでもしがみついている。悲しさと哀れさがにじむ。
そしてカールじいさんは「鳥」を助けにいこうという子供の提案を拒否する。新しい冒険よりも、古い冒険の続きに固執するように。
ようやくたどり着いた滝のそば。妻との約束を果たし「妻との人生」という冒険の目的地に到着するが、残るのは虚しさばかり。何もないパラダイスに誰もいない家。そこで手にした妻の冒険予定帖には、カールとの思い出の写真の数々とともに最後に例のメッセージ。
カールじいさんは新しい冒険へと進む決意をし、古いものは全て捨て去り、空っぽになった家で鳥と少年の救出に旅立つ。
一つの冒険を終わらせ、次の冒険へと進む勇気を讃え、そして生きている限り人生は冒険の連続であることをこの映画は訴える。
すったもんだの末「鳥」の奪還を果たしたカールじいさんは、結局のところ大切な家も失い、妻との思い出のメダルも惜しげもなく少年に与え、新たな人生へと旅立つ様が描かれる。70歳になろうが80歳になろうが人生は冒険で、新しい冒険に進むものに祝福は訪れる。
何十年も古い冒険の失敗を引きずって生きてきた悪者冒険家が、新たな冒険に踏み出したカールじいさんに負けたのも当然のことだったのかもしれない。過去を振り返る者より、未来に向かっていく者の方が強いのである。
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きわめてパーソナルな心の琴線だったのですね
新しい冒険は、それを望む者の前には必ず拓かれます。
きっと映画撮り続けることが一番の冒険なんだと思います。
ボクも最初の涙で最後まで逃げ切れるか・・・と思ったのですが、博士のアホっぷりの滑稽さが勝ってしまい、逆に深読みして楽しんだ次第です
けどもアルバムの最後のエリーのメッセージは泣けました
エリーが素晴らし過ぎたので、かなり無理がある他の展開があんまり気にならなくなってしまいましたが、斉藤さんの指摘はなるほどと思いました。クレヨンしんちゃん、観たことないので観てみます。
僕にも新たな冒険が必要です。