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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

マイ・ボディカード

2005-01-06 02:09:32 | 映評 2003~2005
トニー・スコットという名前を一個の独立した存在として意識し出したのは割と最近になってからである。もっと具体的に言うと「ザ・ファン」もしくは「エネミー・オブ・アメリカ」くらいからである。
それまでは「リドリーの弟」として観るか、あるいは「トップガン」という響きが本人の名前以上に大きく木霊していたか、そんな感じだった。
しかしここのところ彼は確実に変わってきている。兄貴の功績もあってスコット・フリーという会社で映画作りの自由を手に入れ、にも関わらず日曜洋画劇場でドラマ改変期の6週間前くらいに地上波初登場しそうなBテイストなアクションorサスペンスを作り続ける。望んでやってるのか、仕方なくやってるのかは微妙だが、一作ごとに完成度は上がってるし、熱気が立ちこめてきてる。

んで、そんな彼の新作は、ハードボイルド映画だ。R-15指定のおまけ付き。
主演は「クリムゾン・タイド」で組んだ、勝手知ったるデンゼル。出来上がった映画は壮絶な復讐物語だった。
そういえば昔トニーは「トップガン」の余韻のこるころ「リベンジ」というケビン・コスナー主演の復讐物語を撮ったっけ。これはメソメソ感たっぷりの女々しい(失礼)ハードボイルドで退屈この上なかったが、あれから10数年たって、同じハードボイルド復讐映画で成長ぶりを見せつけたのである。余談でした。

映画は前半と後半でガラリとトーンが変わる。前半はほのぼの癒し系ドラマ。自信を失ったアル中ボディガードが、ボディガード対象の少女 (ダコタ・ファニングちゃん)とのふれあいで癒され、生きる目的を持ち始めていく過程が、たっぷり時間を裂いて描かれる。もしかしてこのまま何も事件が起らずに終っちゃうのではと不安になるほどだ。

だが、それをタメにして後半デンゼルは復讐の鬼と化す。少女が誘拐され殺されたと聞いた彼は、事件に関わった悪党どもを一人一人探し出しては、激痛と屈辱と恐怖をたっぷり味わわせた上で殺していく。なぶり殺しの過程はフェードイン/フェードアウトで短縮したり、カメラをパンしたりせず指を切り落としたり、膝を撃ち抜いたりする様をしっかり写す。

報復を全肯定するような彼の行動は、法的にはもちろん倫理的にも認められるものではない。ましてメキシコを舞台に腐敗警官をアメリカ人であるデンゼルが己の価値観にのっとって裁くというのは、ブッシュ・ドクトリンそのまんまという感じ。でもそんな政治っぽい論理でこの映画をけなす気はない。デンゼルの鬼気せまる演技、生々しい怒りの感情、メキシコというそれでなくても熱気むんむんな場所柄とトニーお得意のデジタル処理施した壊れた映写機のようなカットの連鎖、それら全てが発散する負の力に飲み込まれ息苦しくなって観てる間は頭など働かない。これがあの「トップガン」の監督だろうか。20年くらい前「トップガン」で俺を喜ばせた青二才はすっかり大人になっていた。トニーと一緒に俺も少し大人になっていたと気づく。

で、このまま復讐完遂して終ればまだ良かったのだが、最後の最後でトニーは自らの限界をさらけ出し、映画全てを中途半端なものにしてしまった。
ハリウッド的良識というか道徳観というか、そんな批判逃れの娯楽思考の呪縛を振り切れなかった。映画会社に撮影OKを出させるための妥協だったのか、それともトニー(と脚本書いたブライアン・ヘルゲランド)が少しは希望持たせてやろうと考えたのかは判らない。大人になったと言いはしたが、やっぱり原点が「トップガン」な男だし、映画作家としての野心より興行収入の方が重要と思ったのかもしれない。

[ここからネタバレ]
原作を変えてまで(読んだわけではないが)少女を生きてたことにして、最終的には救出→半分ハッピーエンドとしてしまった。殺されたと思っていた少女が実は生きていると知ったデンゼルはまるで酔いから醒めた男のように、夢うつつな生気のない表情に変わる。そのせいもあってかラスト15分の弛緩しまくった雰囲気で作品はすっかりだらけてしまった。ラストの展開それだけを批判しているのではなく、ラストがああでなかったら少女の惨殺シーンとそれを見せつけられるデンゼルといったシチュエーションを作り、彼の復讐劇により説得力を持たすこともできただろう。
すごく惜しいところで傑作になりそこねた気がしてならない。ハリウッド的人道主義の呪縛から解き放たれていれば、この映画は2004年のベスト1だって狙えたかもしれないのに。すごく惜しい。

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3 コメント

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どうして (chishi)
2005-03-03 21:44:56
最後、ピタを生きていることにしたのでしょうねぇ。

やはりダコタのネームバリューのせいだったのかしら。

クリーシーの最後の顔を思い出しながら、今でもふと考えてしまいます。
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やっぱり少女は殺しちゃいかんのだな (しん)
2005-03-04 00:21:50
やっば「少女(しかも可愛い)が惨殺される映画」じゃ売れないよね。

「少女を守る男の映画」とすることで、マスコミの批判をかわしたのか。

あるいはアメリカ映画お得意の作戦。「結末を複数作って、試写会で評判がいい方を使った」のかもしれない

トニーほどの男ならもっと確固下としたビジョンを持ってほしかった。もともとビジョンなんか無く大衆にすり寄るのが持ち味だった男とも言えるが・・・
返信する
原作 (優みゃ☆)
2005-07-21 02:07:06
うんうん!ってうなずきながら読ませてもらいました!!

前半も後半も惹きこまれる流れですごくよかったのに、最後の最後でぬるくなっちゃったのは否めませんよね^^;

そうかぁ・・・原作では、結末は違ってたんですねー!

ちょっと勿体ない気がします・・・



しんさんのコメ、めっちゃ笑いました!!(爆)ありがとですっ♪これからもよろしくです

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