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映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

シルク / SILK 【監督:フランソワ・ジラール】

2008-01-24 01:46:08 | 映評 2006~2008
個人的評価:■■■■□□ (最高:■■■■■■、最低:■□□□□□)

観る前のメディアでの宣伝の仕方から考えて、よくもまあキーラ・ナイトレイが、こんな割の悪い役を引き受けたものだなあ・・・と思っていたのだが、見終わってみると女優キーラの素晴らしさに打ちのめされていた。
映画のデキはそんなんでもないが、「俺、今わかった。キーラが本気で好きだ!!」と気付かせた個人的には記憶に残りそうな作品である。
そんなキーラの話はとりあえず後回しにして、色々とこの映画で感じたことを書き連ねて行く・・・

****密輸ルートと時代背景について*****

時は幕末。ところは出羽の国の庄内地方。
真田広之がたそがれ、永瀬正敏がヒュンと一閃悪を討ち、キムタクがエロ役人に怒りのメクラ剣を撃ち込んでいた、そのころ・・・
海坂藩の近くの酒田の町が、欧州との蚕の密貿易の玄関になっていたことは、さすがのたそがれも、鬼の爪伝承者も、失明した毒見役も気付いていなかったのだった・・・


酒田から密入国し、最上川を上り、山形の雪原を抜け、信濃へと・・・という道中が興味深い。東北の酒田で欧州と密貿易ってどうもピンとこんなあ・・・と思いはしたものの、当時の政治情勢を考えるに、それはアリかな・・・と思えてしまう。
この映画はヨーロッパから見てアジアがとてつもなく遠かった時期、スエズ運河が開通するまでの数年間に、ロシア周りの陸路で日本に蚕を買いにいった商人のお話である。
スエズ運河の開通は調べてみると1869年11月。
主人公は作品の中で三度日本を訪れ、日本に来ると必ず冬だったようなので、最短期間で考えても、最初の渡航は1866年の暮れか、1867年の初旬あたりということになる。

----そのころこんな事件がありました----
1864年夏 四カ国(英仏米蘭)艦隊の下関攻撃
1864暮~1865初旬 長州で高杉晋作のクーデター
1866年1月 薩長同盟 
1867年11月 大政奉還・龍馬暗殺
1868年1月 鳥羽伏見の戦い
1868年冬~1869年春 箱館戦争
1869年11月 スエズ運河開通
--------------------


そのころ貿易が盛んなところと言えば、江戸表や横浜、あるいは西国の雄藩といったところであろうが、そういった場所では異人と見れば「攘夷!!」と叫んで斬り殺す、クレージーな自称”志士”たちが跋扈していた。タリバン支配地域にアメリカの民間人が買い物に行くようなものである。
たそがれじゃない真田広之のかわいがりに耐えたトムならともかく、ひ弱そうなマイケル・ピットなど、入国直後にたたき斬られ物語が終わってしまう。
そう思うと、「ふーん、そういうの尊王攘夷って言うでがんすか・・・」と歴史のうねりの外側にあった東北を玄関口に密貿易するというのは、有りかもしれない。
山形と信濃の間には幕府側最強勢力会津藩がどーんと控えているのが気になるが、フランスと仲の良かった徳川幕府のことだから、「ウィ、ワタシ、フランス人デース、トクガワ、ジュテーム、メルシィ、ムッシュウ」とか言えば通してくれたかもしれない。
しかし関所の役人に「嘘をつけ!お主、さっきから英語を喋っておるではないか!お主、あのメリケン国の間者であろう!!」と見抜かれたらダッシュで逃げる必要があったでしょう。

ちなみに劇中で語られる3度目の日本渡航時の「反乱」であるが
上の年表で考えれば、すでに明治政府が成立している時期であり、原十兵衛一味を襲った「反乱軍」は官軍ではなく、戊辰戦争における旧幕軍の方ではないかと思われる。
養蚕だって基本的には幕府の独占産業だったろうし(未確認)、開国後も幕府は諸藩に対しては外国との貿易を認めなかったのは歴史的事実。それでも密かに密貿易をして稼いだ主に西国の雄藩が倒幕勢力として伸張していったのである。
そうなると蚕どころか銃まで密輸していた原十兵衛は反幕勢力の人間と考えた方が合点がいく。
オランダ人商人が殺されたらしい描写も、原一味が幕府側より薩長寄りの急進的攘夷志士に近かったことを示唆しているのではなかろうか?
立場上、幕府も「攘夷」を方針としていたものの実際には欧州列強にぺこぺこしていた。親長州の過激志士が原一味に混じっていたならオランダの武器商人をぶった切ってもおかしくない。(國村準の西洋人を侮蔑したような表情も何かありそうだったし)
鳥羽伏見で敗退した幕軍の残党が中山道をつたい江戸に退却する途中で、反幕勢力とみなされても仕方ない原十兵衛一味を攻撃した(つまり3度目の渡航は1868年初旬、最初の渡航は1866年初旬あたり)と考えると一番すっきりする。



****言語の問題について****

あまり予備知識を仕入れずに観にいった私は、冒頭、ヨーロッパが舞台で、マイケル・ピットとキーラ・ナイトレイが英語で語り合っているのを見れば、そりゃあイギリスが舞台の話なんだなあ・・・と思ってしまう。
だが、登場人物の名前がどうも英語圏ぽくない。で、彼らがフランス人であるという設定がわかるのは、物語がだいぶ進んでからのことである。
冒頭で、『18XX年 フランス』とでも字幕を入れるだけで、この違和感はだいぶ解消されたのではないだろうか?
さらに、少々混乱するのが、役所広司が喋る「英語」の台詞。
役所広司が日本語で喋るのを、ぽかーんと聞いているマイケル・ピットに、役所広司が突然「英語」で語りかける。なんだ、こいつとなら会話ができるじゃんか、とマイケル・ピットも「英語」で語り、二人の会話が始まる。
さて、この時の役所広司は設定上では「何語」を喋っていたのか?
聞いたとおりの英語か?
マイケル・ピットの役にあわせたフランス語か?
しかし、当時の日本人が何か西洋言語を喋れるとしたら、十中八九それはオランダ語ではないだろうか?

それを示唆するようにオランダ人の武器商人が役所広司の屋敷に出入りしていることが描かれてもいる。

そんな、軽い混乱をきたす。
無論、ストーリー上はそれが設定上何語であろうとも問題はない。
逆に、なぜこのようなプチ混乱を承知の上で、このような演出にしたのか?
・そりゃマーケットのため
・キーラ・ナイトレイを使いたかったから
・役所さんほか日本人俳優も英語は何とかいけても他の言葉はちょっと・・・

といった実利的な理由ばかりが思いつくが、相当好意的に解釈してあげると、この映画は漠然としたヨーロッパと漠然とした東洋との文化衝突により生まれるドラマを描きたかったのである。
描くのは東洋と西洋の二つで充分で、様々な言語を飛び交わせる必要はないどころか、かえって西洋人にとっては物語の本質をぼやけさせる恐れがあったのかもしれない。
例えば「バベル」のように、様々な言語を使うことがテーマに直結している内容ならともかく、本作では西洋代表の言語一つあればテーマを表現するのに事足りるのである。
しかし、マイケル・ピット/キーラ/アルフレッド・モリーナの代わりに、ヴァンサン・カッセル/オドレイ・トゥトゥ/ジェラール・ドパルデューあたりでフランス語で作っても面白くなったのではないか・・・と思わなくもない。(ヴァンサンはちょいと強すぎかもしれんが)

ちなみに、勝海舟と福沢諭吉が渡米したのが1860年で、福沢は帰国後オランダ語教育を捨て英語教育に力を注いだというし、この映画の舞台と思われる1860年代中旬は横浜にイギリスの商館が立ち並んでいた時代である。したがって原十兵衛が聞いたまんまの英語を喋っている設定だとしても、さほどデタラメな時代考証であるとは思わない。

****映像****

これは美しいの一言に尽きる。
なぜ外国人は日本人より日本をきれいに撮れるのだろう。日本人より日本人をきれいに撮れるのだろう。
どんより曇り空、雪に包まれ、色彩感に乏しく、それゆえ温泉にたちこめたり、お茶からほんのり立ち上ったりする白い湯気が印象的な世界の果て「日本」。
逆にヨーロッパでは色彩感あふれる庭園や、明るくかつ柔らかい太陽の光が印象的である。
トリッキーなカメラワークなどはないけれど、息を呑む様な美しい映像に包まれている時、恍惚のようなものを感じる。

なお、「日本の描写が変」・・・というような意見も散見されるが、やや的外れな意見のように思うので、その辺について書いてみたい。
この映画の冒頭「なぜ、今、この話を君にするのだろう・・・」とのナレーションが入る。また終盤になってようやくわかるのだが、実は年老いた主人公が庭師の青年に語る思い出話だった・・・という辺りがポイントとなる。
つまり、この映画のカメラは主人公とともに日本へ旅するドキュメンタリー的な映像を目指しているのではない。
カメラは思い出を語る主人公の頭の中のイメージ(それも時を経て相当美化されたイメージ)、あるいは話を聞く庭師の青年の頭の中のイメージを具現化することを目指している。
ゆえに西洋人の抱くステレオタイプな東洋イメージ(主に中国的なイメージ)を強く帯びつつ、主人公の記憶に残る日本イメージがそれに融合し、なおかつ主人公の心象を現すべくひたすら美しい映像を目指す。
そういう演出意図を考えれば、描写は「変」どころかむしろ「的を得ている」という方が近い。
(その辺を差し引いてもなお、変だなと思うところはあるにはあるが・・・)



****大味な展開****

やはりあまりにテンポ良く進みすぎる展開は批判要素だろう。
序盤におけるアフリカへの卵買い付けシーンなど、「砂漠を歩くラクダの映像」ワンカットで終了。
(それでもワンカットだけでも映像で見せるだけ、日本の安い映画やドラマよりはるかにマシだが。日本映画ならアフリカに行ってこいと言われてフェードアウト・フェードインしたらもう「いやアフリカではさんざんだったよ」と酒場で土産話を語っているところだろう)
極寒のシベリア経由でユーラシア大陸を横断する旅程も、一回目の渡航では数カットで完了。二回目からは「どこでもドア」でもあるのか、イスカンダルからの帰りのヤマトのように真田技師長がワープをパワーアップさせたのか、カット変わればもう日本に着いている。前半では妻や故郷との物理的隔たりを体感できないことが、後半では心を引きつける日本との物理的隔たりが体感できないため、主人公の物語設定上の想いは理解できても、感情移入はしにくい。
シベリアで猛吹雪で死にそうになったり、冬の日本海を渡る風帆船が嵐で沈みそうになったり、あるいは冗談でなく日本で攘夷志士に殺されかかったり、そういう苦労してたどり着きました的エピソードを盛り込んだらもう少し、主人公に感情移入ができたのではないだろうか?

****ストーリーについて****

日本語の手紙が届く。送り主は日本で心奪われたあの女の子と思われる。
その内容は・・・妄想セックス・・・あなたとヤりたくて仕方ないわ・・・と解釈可能なエロ文ともとれるが、芸術的センスを駆使して好意的に解釈すると身もだえる様な少女の心境を言葉に置き換えたむき出しの感情・・・・として感慨にふける主人公の気持ちもわからぬではない。
ところが、この物語のウリでもあろう衝撃の真実を、ネタバレで話すが、実はその手紙、彼の妻キーラが分面を考え、フランス在住の高級娼婦・中谷美紀が和訳し清書したものだった。
あれだけ子供を欲し、夫とさんざんセックスしたが結局子供の出来なかった妻が、亭主の心がジャパン女の子に占められていることを知って書いたものだった・・・とするとあの文面はとたんに別の意味を持って頭の中になだれこんでくる。
肉体的には満たされても、心は満たされなかった妻のプライドと切なさと、それでも夫に、肉体的な意味だけでも構わないから、寄り添って生きることができ幸せだったと語る愛の言葉。あなたのために生きれて幸せだったから忘れてもいい。
まあ、ちょいと男に都合良すぎる内容かもしれないが、あそこまで妻に書かれて感動しないはずはない。
ようやく気付く主人公。
あの娘への思いは、妻へのそれが変形したものにすぎなかった。
そして曇り空の元温泉に身を浸す日本の女の子の映像が、柔らかな太陽光の降り注ぐ南仏の海での妻の姿に置き換わる。
単なるどんでん返しではなく、物語の根底まても覆す大変換に繋がる展開。それを表現し得た映像。
ただ話がいいだけじゃない。ただ映像がきれいなだけじゃない。ストーリーと映像と女優キーラの美しさとついでに坂本龍一の音楽が解け合い高め合う。終盤だけはまぎれもない映画の至福を感じられたのだった
前半のテキトーさがなければ、今年のベストテンに残しても良さそうな作品になったのになあ


****さて、やっとキーラの話****

これまで「キーラ」と言われ、最初に連想するのは、Q星に住む宇宙怪獣であった。
こいつはスペシウム光線も八つ裂き光輪も効かず、光の戦士たるウルトラマンをも一時的に失明させるほどの強力な眼光を放つ強敵であった。

だが、いまや「キーラ」といえば、Q星の宇宙怪獣よりも強い眼光を放つあの女優が真っ先に浮かぶ。

傑作「プライドと偏見」でアカデミー候補となり演技力でも評価され、個人的には「ドミノ」の熱演が印象深い彼女。「キング・アーサー」のバタ臭いヒロインもそれなりにサマになり、ブラッカイマーに気に入られ例の三部作に出たおかげで今や国際スターである。
しかし、本作の前半の物語を要約すると・・・美しい妻を持つフランス男が、密貿易のため訪れた世界の果ての地、日本で出会った、寡黙な少女に心奪われる・・・そんな話であるが、その可哀想な妻の役である。
今更、キーラほどのスターがよく引き受けたな・・・と思うのだが、その使い方は充分に納得できるものではあった。
日本の女の子に心惹かれながらも帰国した主人公。しかしキーラと再会するやいなや日本の女の子のことなどとりあえず忘れて、キーラとセックスしまくる主人公。わかるぜ。相手はキーラだもん。圧倒的にいい女すぎる。妻役がキーラだからこそ納得の主人公の行動。

そしてキーラのすごいとこは、これほど知名度ばっちり、若くて(08年1月現在で22歳)人気も実力もあるというのに、脱ぐのも辞さないところだ。
本作に出演した中谷美紀など娼婦役でありながら肌の露出はほとんどなく、絶賛された「嫌われ松子」にしても、セックスがすごい女という設定でありながら、せいぜい見せるのは背中くらい(しかも多分ダブル)。日本の人気女優やアイドルたちはキーラを見習いなさい。
この映画ではキーラのセックスシーンが無駄に三回もある。(いや、前述の通り、終盤での手紙のどんでん返しのために必要な描写だったので、後から思えば決して無駄ではないのだが)
しかもそのうち二つはちゃんと、ワンショットで彼女の顔と乳首が収められている。オッパイ用吹き替え女優など使わない。
もう大スターだしまだ若い。脱がなくたってギャラも人気も勝手に跳ね上がる絶好調の時期に、それでもかまわず脱ぐ。
(まあ彼女に脱がせるからには途方もない追加料金が発生するのかも知れないが)

結局、芦名星など出番も少なく台詞もなく、ただカメラマンが綺麗に撮っただけ。見終わって印象に残るのは、こころ満たされぬまま衰弱し亡くなるまでの短い人生をたっぷり演じたキーラの方だ。
スターの貫禄。
だけじゃない。
ヨーロッパ風の庭園に立つ姿がもの凄くサマになる。
背伸びして文芸作品に出て浮きまくる女優、古くはメグ・ライアン、今ならアンジェリーナなんかとは、役者としての資質が断然違うのだ。
ハリウッドバカ大作も文芸作品もどちらもこなせる希有な役者。脱ぎもOK。
イギリスのチャン・ツィーイ
先ほども書いたが、海の中で陽光を浴びながらこちらに影のある微笑みを投げかけ、そのまま海に潜る、美しいショットで、私は完全にキーラに心奪われたのだった。


そういう訳で、「プライドと偏見」のジョー・ライト監督と再び組んだオスカー作品賞候補作「つぐない」がすごく楽しみになった。
絶対観に行く。

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10 コメント

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あーー、おもしろかった (sakurai)
2008-01-24 08:23:21
ちょっと、ヒースショックで落ち込んでいたので、これ読んで笑わしてもらいました。
いや、しんさんには、笑わせようなどという気は…ありましたよね。

おっしゃるとおり。旅の苛酷さと長さが伝わらないので、かきむしられる愛の貪欲さが感じられませんでした。

>終盤だけはまぎれもない映画の至福を感じられたのだった。
まったく同感ですわ。

惜しむらくは、キーラの胸の大きさくらいでしょうかねえ。
返信する
いえいえ (しん)
2008-01-26 00:42:59
>sakuraiさま
女性にとって(男性にとっても)神聖なるオッパイをさらすという行為の感動の前には、サイズの大小などどうでもいいことでございます。
話したこともないけどキーラの全てを知った気になれます。

たとえばキーラじゃなくてアンジェリーナだったら映画はぶち壊しになったでしょう。いや、逆にアルイミもっとおもしろくなったかもしれませんが
まあ他に文芸もバカ大作もいけてプロポーションもいいスカーレット・ヨハンソンなんかもいますけど
スタイルなんか悪くてもいいんです。
キーラでいいんです。
全世界のチチなしに希望と夢を与えるスーパースターとして躍進してくれればいいのです。
それにない胸をあえてさらす姿にクリント・イーストウッド的かっこよさを感じます。きっと80になっても脱いでみだれまくる演技をしてくれるでしょう
返信する
事務所 (モト)
2008-01-26 23:10:47
>本作に出演した中谷美紀など娼婦役でありながら
>肌の露出はほとんどなく、絶賛された
>「嫌われ松子」にしても、セックスがすごい女
>という設定でありながら、せいぜい見せるのは
>背中くらい(しかも多分ダブル)。日本の人気女優
>やアイドルたちはキーラを見習いなさい。

日本の芸能界では、
芸能事務所による規制が多いですよね。
ハリウッド女優ほど自分の意志では
選択できないんでしょう。
収入の差も大きいでしょうし。

中谷美紀なんかは、自由にやらせれば、
多分ヘアでも平気で出すと思いますけどね。
返信する
TBありがとうございます。 (masala)
2008-01-26 23:54:18
はじめまして。
文中の最後に「つぐない」の話が出ていましたが、去年の年末試写で見たのですが素晴らしい作品でした。多分今年のベスト作品になると思う位の作品でしたよ。
返信する
キーラ! (nyanco)
2008-01-28 18:38:03
こんばんは♪
早速、コメントとTBありがとうございます!
しんさんのレビュー、楽しく読ませて頂きました。

本当に、キーラに関する記述が私のレビューとよく似ていたのでビックリしました~。
私もこの映画でキーラに好感触を持ったので、同じ意見の方がいて嬉しいですね。
また、キーラがどれだけ好きかもすっごく伝わりましたよ!

映画パンフで読んだのですが、監督は、キーラがブレイクする直前にこの映画のオファーをしたそうです。
キーラが原作の大ファンだったことから是非にということで出演が決まり、撮影の段階ではキーラは大スターになっていたので、このキャスティングは非常にラッキーだったと監督は述べていました。
この映画を観ると、キーラがなぜこの役を引き受けたのかが分かるような気がしますね。

映像のイメージもなるほど!私達日本人から観たらトンデモ日本でも、外国人の頭の中のイメージで描かれていたら、あのような描き方をしても全然おかしくないですね。この解釈、とても面白いと思いました。
余談ですが、この日本の風景は、長野県松本市で撮影されたそうです。ああいう集落を作ったのがすごいですね。

話はそれますが、「商店街映画祭」面白そうですね♪
しんさんの新作が上映されるんですか?
行けるようでしたら、ぜひ観に行きたいと思っています。
では!
返信する
コメントありがとうございます (しん)
2008-01-31 00:35:08
>モトさま
松子でのいじめに耐えた彼女だけに、誰かがリミッタを外してあげたらぶっとびまくるんでしょうね。ヴァーホ先生の映画に出させてもらっては・・・

>masalaさま
もう、そうやって期待させるんだから

>nyancoさま
うーむ
ブレイクってのがいつをさすのか。
パイレーツ第一作以前なら、構想5年くらいの映画になるんでしょうか
でもパイレーツのキーラより、今作のキーラの方がずっと素敵です

商店街映画祭出品のため、編集作業中です。
運良く予選を通れば上映されます。
上映されなくても、ぜひお越しくださいな。
松本市民の手作り映画が楽しめると思いますよ
返信する
観てきました! (kossy)
2008-02-01 22:37:06
これから記事を考えるのですが、しんさんのレビューが大変参考になりました。
最初の渡航に関してですが、戦争から戻って結婚したのが1863年と言ってたし、日本から戻ってきたときに2年も子供ができないと言ってたので、同じ63年の冬が妥当かな~などと思ってたのですが・・・日本史が弱いのでよくわかりません(汗)
しかしキーラはよく脱ぎますね~
『穴』、『キングアーサー』(微妙)、『ドミノ』、そして本作ですかぁ・・・
返信する
コメントどうもです (しん)
2008-02-03 20:39:49
>kossyさま

おお、63年と具体的数値を言ってたですか。それは聞き飛ばしていました。
では、最短期間としては、63冬~66初頭となりますな。だとしたら大政奉還の前だから、「反乱」とは「幕府に対する反乱」だったのかもしれません。といってもその時期、信濃で大きな反乱があったとは思えないので、63冬~68初頭くらいの話と考えるのがいいんでしょうね
長州が薩摩と会津に京都を追い出されたのが1863の夏
蛤御門の変が1864の夏
長州をめぐって西日本が騒然としている時期だったので、割と平穏だった東日本ルートを使うというのは、実際あったかどうかはともかく、発想としては面白い気がします。
なんにせよ、鎖国時代の日本を舞台にしていると思っている方も多いようですが、開国後の話であることは間違いないですね

キーラは・・・あるいは単に脱ぐのが好きなだけかもしれませんなあ
そんなに大きくないから露出度上げてカバーしているみたいな
返信する
関係者 (kimion20002000)
2008-07-17 19:57:24
TBありがとう。
僕は、この映画の関係者は、すべてこの作品についてはなかったものにしてしまいたいのでは、と思っています。興行関係者は、必死で、宣伝していましたけどね。

あと、たしかにこれは回想のかたちをとっているんだけど、主人公が呆けていると考えれば、全体につじつまがあうんですよね(笑)
主人公の行動も、どこか夢遊病的なところもあったしね。

返信する
コメントどうもです (しん)
2008-07-22 01:27:25
>kimion20002000さま
うーん
私なんかは、もしこの映画の関係者だったら結構、誇りに思えます
映像綺麗だし
年とってからの回想なのであちこち美化されてるのは仕方ないですねっていうかそれがこの映画を形作る背骨なのかと思ってます
返信する

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