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ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966) ゴジラ キング・オブ・モンスターズのための怪獣予習

2019-06-14 21:09:08 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞
久しぶりに鑑賞。「エビラ」ってあのシリーズの中でもあんま面白くないやつだよな・・・という認識だったが、それは大間違いだった。
少なくとも「怪獣大戦争」よりはるかに面白い娯楽活劇だった。
 
 
制作は「怪獣大戦争」の翌年、1966年(昭和41年)。まだ怪獣ブームは続いているものの、「ゴジラ」はマンネリ感が強まり、前作でゴジラに「シェー」をさせたり、宇宙SF感を出したり頑張ってみたものの、ついに監督交代となった。福田純監督である。
デルトロにリスペクトされてる本多猪四郎は、この後もゴジラや怪獣映画を何本も撮るので別に干されたわけではない。一方で福田監督もこの後「息子」「ガイガン」「メカゴジラ」を監督し、特にガイガンとメカゴジラは昭和シリーズ後期においてはかなりの傑作である。
話はそれるが、昭和41年といえば「ウルトラマン」が放送開始された年で、前年には大映が「ガメラ」シリーズをスタートさせている。ゴジラは予算縮小され観客動員も下がってきたとはいえ怪獣本家としての威信を示す必要があるころだったと思う。だから監督を変えてテコ入れを図ったのではないだろうか。
福田監督の作風はとにかく軽く楽しくテンポよい。
 
変わったと言えば音楽も伊福部昭から佐藤勝にチェンジ。
佐藤は1955年の「ゴジラの逆襲」ですでに怪獣経験済みだが、しばらくぶりに戻ってくる。逆襲のころは映画音楽デビュー直後だったが、エビラのころはすでに黒沢明映画の音楽担当として名を馳せていたころだ。「用心棒」が1961年、「赤ひげ」が65年だから、「エビラ」の66年なんて一番のってたころだろう。
その割に、全く巨匠っぽくない軽い音楽を奏でる。伊福部昭の音楽とは全くイメージが異なるし、伊福部のテーマは一曲も使わない。
もっとも佐藤勝の作風は黒沢映画を含めても軽くてコミカルなのが特徴なので、「エビラ」の音楽の軽さもらしいっちゃらしい。
ゴジラと戦闘機隊が戦うシーンのロック風な音楽とか伊福部昭なら絶対書かない曲だ。
 
でもこうした軽さはシリーズにおいてはやっぱり主流にはならず、重めの本多演出・伊福部音楽に対する箸休め的な扱いとなりファンからも一段低い扱いを受けていた印象がある。
でも今になって改めて観た「エビラ」は日本映画らしからぬノンストップアクション活劇な感があり、中だるみ全くなしであっという間に終わる楽しい映画だった。のってないときの本多怪獣映画よりはるかに面白い。
 
 
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【ストーリー】
イタコのお告げで南海で遭難した兄は生きていると信じた漁師の青年は田舎から大東京に出てくるが、警察は全くかけあってくれない。
青年は船を手に入れて自力で南海に向かおうと、優勝賞品がヨットというダンスラリー大会に参加しようと会場に行くが、すでに会場はダンス耐久ラリー大会3日目に突入
「三日間踊り続ける若者たちのエネルギーはどこから出てくるのでしょうか」とアナウンサーの説明台詞があるが、いくらなんでも3日間休まずに踊ったら死ぬだろ、ありえないだろ、と思うが、この時代の日本人はバカなのでやりかねない気もする。
3日目にしてついに脱落したモテたいがモテない男二人組は、悔しさを晴らすために車飛ばして海に行こうぜと言い、漁師の青年も二人のドライブに便乗する。
ヨットハーバーに停泊していたかっこいいヨットに無断で侵入するバカな男子三人だが、ヨットにはライフルを持ったイケメンが待ち構えている。
あ、あんたは、例によって例の如くの宝田明さんじゃないか!またあんたかよ!
というツッコミをグッとこらえた3人組は、ただヨットを見たかっただけなんだよ~というと、イケメンはじゃあ今晩だけ泊めてやる、と言う。ところが翌日ヨットの異常な揺れに気づいたイケメンがデッキに出てみると漁師が勝手にヨットを出航させていた。
ところがこのイケメン、ヨットの持ち主のわりに操舵については何も知らない様子。
ダンス二人組はイケメンを怪しむが、ラジオのニュースではライフルをもった金庫破りが逃走中と伝えている。あんたまさか・・・と疑うダンス二人組に不敵な笑いを浮かべるイケメン。
はるか南方の海まで来たヨットは大嵐に巻き込まれるが、その時海から巨大なエビのハサミが。
ヨットは粉々になったが4人は命からがらとある島に流れ着く。
その島は悪の秘密結社「赤い竹」が支配する兵器工場の島で、近隣の島々の住民を奴隷として連れてきて働かせていた。
奴隷の何人かが逃亡を試みて小さなカヤックで海に逃げ出すのをほくそえみながら見つめる悪の現場監督官は、逃亡した奴隷どもに追っ手を差し向けるでもなく、ふふふまあ見ていろと悪の笑顔。すると巨大なエビが現れ逃亡者たちのカヤックを壊したうえに自由への逃走者たちを残酷にも食べてしまった。悪の現場監督は、かつてわが身を犠牲にゴジラを葬った芹沢博士を演じた平田明彦さんが演じているのだが(しかも片目眼帯とかもうセルフパロディの域)、あの時の正義の心はすっかり失われ完全に闇落ちした悪の顔で「お前たち、見たか!逃げてもエビラの餌食になるだけだ」と奴隷どもに絶望を植え付けるのだった。
 
しかしそのエビラの殺人ショーにすっかり見入っていた芹沢博士じゃなくて奴隷監督官はその隙に奴隷がもう一人、セクシーなビキニスタイルの民族衣装をまとった若い美女が逃げ出すのを見逃していた。
この美女もなんかつい一年前はX星人の女だった水野久美さんなんだけど、東宝特撮のセクシー部門担当なので大忙しですね。
 
だが監視カメラで美女の逃亡を見つけた悪の基地の司令官は監督官を無線で貴様の目は節穴か!!と叱責してくるのである。
その悪の司令官を演じているのは、いつもはゴジラ迎撃を指揮する自衛官だったり、あるいは海底軍艦轟天号で地球人類のためムー帝国と戦ってこられた田崎潤さんなので、まったくどいつもこいつも正義の心をいつの間に失ってしまったんだ!と天を嘆きたくなるのであった。
神宮寺大佐でなく司令官に怒られた芹沢博士じゃなく監督官は部下を大勢率いて逃げた女を追う。
その南方美人はこの種の映画の必然で例のポンコツ日本男子4人組と出会い、一緒に追っ手を逃れるのである。
その美女が言うには奴隷として連れてこられたのは、あのモスラが守護するインファント島の人たちだという。漁師の兄ちゃんらしき日本人もそこにいるとのこと。
それにしてもモスラ様がいながらなぜ住民が捕まったのかと言えば、モスラはなんでか知らんがグーグー眠っているからで、小美人の二人組はモスラを起こすために祈りの歌を歌い続けているのであった。
その小美人はザ・ピーナッツでなくペア・バンビというなんかよくわかんない女の子二人組にキャストチェンジしているのだが、この子たちも結構かわいいので別に良い。
 
 
むしろ問題なのは小美人の歌が古関裕而作曲の「モスラーやモスラー」でなく、伊福部昭作曲の「マハラーマハラモスラー」でもなく、宮川秦作曲の「しあわせをよぼう」でもなく、佐藤勝作曲の描き下ろし新曲に変わっている点で、この人たちも映画に出るたびに新曲を発表しなくちゃならないので大変なんだなと思うのだった
さてなんとか追っ手を振り切り洞窟に隠れたバカ4人と美女1人は意見が割れる。
 
美女⇒みんなを助けにいこう
ダンス⇒逃げよう
漁師⇒そんなことより兄ちゃんを探すんだ
 
話しをまとめるのは金庫破りのイケメンである。さすがはゴジラ映画の顔宝田明さんらしいリーダーシップだ。いつまでも隠れてるわけにもいかないし、何をするにしても奴らの基地にいって色々失敬しなきゃ・・・
そんなわけで特殊スキルといえばイケメンのピッキング能力くらい、武器といえば拾ったナタだけであの軍事組織の基地に忍び込むとか正気の沙汰とも思えないけど、向こう見ずだけが取り柄なバカな若い男女五人は基地に忍びこむ。そして当然の如く見つかり追われ、ダンスの1人は捕まり、漁師は観測気球に足が絡まって空に飛んでいき、残った三人はまたほうほうの体で洞窟に逃げ帰る。
もういやだ俺はもう絶対ここから動かないぞ!というモテたいくせにビビりなダンスの1人だが、彼が洞窟の奥を見てひいっと恐怖の声を上げる。なんとその洞窟の奥ではゴジラが眠っていたのだ!!
 
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【作家性解説】
…とそんな感じでついつい前半のストーリーを順々に語ってしまったが、そうやって語りたくなるくらい流れるように物語が進んでいき、ほんと楽しい。
若者たちが眠っていたゴジラを起こしてからもストーリーは決して勢いを失わず最後まで楽します。
次から次へと現れるキャラ立ちした人たち、次々と起こるハプニングが新たな冒険を呼ぶ展開は本当に面白い。実は十分に大人の鑑賞に耐えるストーリーテリングだ。
 
もちろん舞台が南の島に限定されるため、巨大怪獣が街をたたきつぶすカタルシスは何もないのだが、逆にこれまでの東宝怪獣映画≒本多猪四郎特撮映画は、それさえあれば良いかのような作品だった。
怪獣さえいればストーリーとかどうでも良かった…とまでは言わないが、映画の魅力は怪獣の魅力にひたすら依存していた。だから魅力のない怪獣の場合(例えばバランとか)ただのつまらない映画になってしまった。「まず何をおいても怪獣」が本多猪四郎作品の良くも悪くも魅力だった。
対して福田純監督は、これだけでなく、「ガイガン」も「メカゴジラ」も、まずは冒険活劇だった。面白いストーリーの中に怪獣を配置することが基本的なスタイルなのだ。だから怪獣が好きじゃない人でも楽しめる映画を目指したのだ。もちろん怪獣が好きじゃないとそもそも「エビラ」なんて観に来ないのかもしれないけど、もしかすると子供を連れてくる大人のウケを狙ったのかもしれない。
 
【007好きなのだろうか】
もしかしてだけど福田純監督は「007」が好きなのではないだろうか?
「ゴジラ対メカゴジラ」のブラックホール第三惑星人の、「物腰は紳士的だが残忍な性格」は007シリーズの悪役のような雰囲気があり、宇宙人に捕まった博士が秘密アイテムで拘束を脱して逆襲するところなどQのアイテムを使うボンドさながらではないか。
本作「エビラ」でも、悪の秘密結社「赤い竹」はどことなくスペクターの雰囲気があり、南海の孤島で核兵器を開発する秘密基地を作っているという展開は「007ドクターノー(1962年)」にインスパイアされた可能性は大いにある。
 
ただストーリー紹介でも書いたが悪の秘密結社の面々を田崎潤や平田昭彦というお馴染みの面々が演じるもんだからなんとも言えず可笑しい。「007」で言えばMやQやマネーペニーの役者が別の作品ではスペクターの幹部を演じてるようなわけわかんなさ!
で、イケメン宝田明、セクシー美女水野久美という東宝特撮安定のキャスティングだから、なんかもうコントグループのネタ見せショーっぽさもないではないこの楽しさ。
 
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【怪獣について】
新怪獣エビラであるが、エビラというネーミングはそもそもどうなの?というツッコミは置いといて、残念ながら「デカいエビ」でしかなく、魅力は乏しい。はっきし言ってゴジラの敵ではない。エビラにしてみればなんで平和に暮らしてたこの島にあんな強いの来たんだよ!って嘆きたくなるところだ。
 
ゴジラであるが、この作品ではまだ人間もゴジラを敵と見ており、ゴジラも正義のために戦う後年のキャラとはだいぶ違う。
とは言え前作「怪獣大戦争」のシェーなどから始まったゴジラ愛されキャラ路線は健在で、美女を襲う巨大コンドルを撃退して美女にありがとうと言われたら、テレ隠しに鼻をかいてみる仕草はとてもほっこりする。
エビラとの戦いも岩の投げ合い打ち返しあいで、テニスか野球かそんな感じ。赤い竹の基地を踏みつぶす仕草もなんかノリがいい。
 
そしてモスラ
出番はすでに書いたように終盤までずっと寝ているので、印象は薄い。
しかし核爆発のタイムリミットが迫る中、島の住民たちを救いに飛来した際にゴジラに見つかる。
おうおう、いつぞやの決着つけようじゃねーかと言わんばかりにモスラを攻撃するゴジラだが、モスラはそんなゴジラを一発でぶっ飛ばす。
そうか。寿命を別にすればタイマン勝負ならモスラの方が強いんだ。
「モスラ対ゴジラ」で負けたのは寿命が尽きようとしている時だったから。
そう言えば昭和35年の「モスラ」で生まれた初代は昭和39年の「モスラ対ゴジラ」でゴジラをあと一歩まで追い詰めながら寿命が尽きる。寿命は約4年。レプリカントみたいだ。その時産まれた2代目が成虫になったのが昭和41年「エビラ」のモスラと思われる。
割と卵から孵ってすぐ成虫になるモスラはもともと寿命の短い生物なんだろう。だから普段は眠ることで生命力を温存しているのだ。
モスラ寿命4年説を裏付けるように昭和43年の「怪獣総進撃」に登場するのは3代目と思しき幼虫モスラである。
しかし、そんな感じで普段眠っているモスラにとって、いつも叩き起こしにかかる小美人二人組は面倒くさい女どもなのかもしれないし、毎回歌が変わるのも同じ歌だと起きないモスラの性格のせいかもしれない
 
 
 

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