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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

コクリコ坂から [監督:宮崎吾朗]

2011-08-19 22:23:12 | 映評 2011~2012
久しぶりに映画の感想を書く
他にも観たけど書いてない「スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団」「ブラックスワン」「大鹿村騒動記」といった傑作があるのだけど、傑作はいつまでも覚えているから、そうじゃないダメげな映画からアップしていこう

個人的評価: ■■□□□□
[6段階評価 最高:■■■■■■、最悪:■□□□□□]

正直、つまらないだけのジブリ映画は何本も観てきたが、気持ち悪いと感じたジブリ映画は初めてかもしれない

監督デビュー作のオープニングを父殺しのシーンから始めて意味深ぽくした吾朗監督の第二作は・・・父の脚本。父との馴れ合い。ゲドのオープニングは父を越えようという意思表示ではなかったらしい(プロデューサーの鈴木さんの案だったと読んだ気もするけど)。
そしてその第二作の内容は・・・努力しない、戦わないヒロインと青年とその仲間たちが体制に迎合し権力者に媚びへつらう、ぬるーいものだった。

[ネタバレ]
いい感じだった海と風間だったのに、写真を見たのをきっかけに風間の態度が素っ気なくなるところ・・・そこまではよかった。何でだろうと、物語の次の展開に心を引っ張られる。
しかし、その何でだろうはあっさりと台詞で説明される。
そうなのだ。「コクリコ坂から」のヒロイン海もイケメン学生風間も自分で調べるということをしない。
知っている者に聞くだけ。
そして聞かれた者も聞かれた者で、あっさりと、ぺらぺらと秘密を説明する。そんなにあっさり喋ることなら何で今まで喋らなかったのかと疑問に感じるくらい。
一応、風間の口から「戸籍謄本も調べた」という台詞は聞かれるが、だったら何故彼が役所を訪ねて自分の過去を調べるくだりを映像化しないのだろう。
彼が役所で調べものをし、その上で父親に聞きたいことがあるという場面にして、父が真実を喋る寸前に場面転換、その上でもうしばらくヒロインに対する素っ気ない態度をとらせて、ついにヒロインと観客が同タイミングで2人の関係を知る・・・という展開にする方が絶対に、青春映画としてもサスペンス演出としても正しいと思う。
だが、この映画は、この脚本は、少年少女に苦労をさせない。知ってるものに聞けば答えをすぐに教えてくれるだけのことは「物語」とは言えない。
自分の足で、頭で、目で、真実に到達し、望まない答えを知ってしまった少年少女のもがき苦しむ様を映さないで何が青春だ、恋愛だ。

そして昭和30年代の学生たちの息づかいの聞こえない、規律正しき学校。
違和感を感じたのは、自由と学問の探求を気取る男子学生たちのたまり場に当然あるべきものが欠如していること。
エロの要素。裸の写真やポスターの類いが無い。本棚の裏やホコリっぽい段ボールの中からわさわさと出てきそうなそれらが無い。
そりゃあ、スタジオジブリは意地でもそんな描写はしないだろうから仕方ないのだが、巨匠HAYAO作品にそこはかとなく醸し出されていたエロい要素を思い出すにつけ、あまりにも童貞感漂う男子の城に違和感を覚えずにはいれなかった。
(HAYAO作品では男軍団の首領が女だったりするので[トルメキアの侵攻軍、ドーラ一家、エボシ御前のタタラ場・・・]男どもの生活からエロが漂って来ないのも説明ついた)
隠れてタバコをすってる奴のいる気配も無かったし、学生たちから闘争心も反抗心も感じられない。
検閲済みのフィルムのようなあまりに不自然な学生たちの健全さは、「カルチェラタン」取り壊し反対運動に燃える学生たちにあまりに似つかわしくない。

明治か大正か昭和初期か知らんがそれくらいに建てられ現在は学生たちのクラブハウスとなっている「カルチェラタン」の取り壊しを阻止するというのが話のもう一本の軸となっているのだが、そちらにも共感できる部分が無い。
学生たちは闘争の末にカルチェラタンを守ったわけではない。校長よりも偉い理事長のご機嫌をとってカルチェラタンを守ったに過ぎない。
全員が直立不動で理事長を迎え、一糸乱れぬ整然さで歌を歌う。
全共闘運動はこの物語の数年から10年後のことだからヘルメットとバリケードで対抗するような過激さはなくていいのだけど、権力者の御機嫌取りに終止する作戦に疑問を感じるものは一人でもいなかったのだろうか?
10代の少年少女ってあんなに物わかりのいい生き物だろうか?
カルチェ初登場の場面や、全校討論会の場面における左翼的反抗の香りは、クライマックスで権力に従う従順な飼い犬に何でか知らんが劇的な変化を遂げてしまった。
誰も苦労せず誰も戦わず、そんな子どもたちの姿に満足げな大人たちの笑顔に、なんともいえない気持ち悪さを感じたのである。

自分で調べず詳しい者に聞くだけ
権力には反抗せず迎合
周りにイエスマンしかいなくなった巨匠の考えた脚本を、労せずして監督の座についた者が演出するとそんな映画ができてしまうのかもしれない・・・なんてあまりに意地悪なことを考えてしまった。

せめて、せめて・・・
海と風間の関係にハッピーなオチなんかつけずに、2人が運命にあらがうように愛を語り合った電車停留所の場面で映画を終わらせてしまえば、まだせめてもの小さな感動の余韻に浸れたかもしれない。

[追記]
そんな、つまらなくどこか気持ち悪い、思い返すとつい酷評したくなる映画ではあるが、それでも手嶌葵の歌は悪魔的な魅力でもって、なんかいい映画を見たような錯覚に陥らせてしまう。
さんざんな酷評だった「ゲド戦記」も手嶌葵の「テルーの唄」をけなす者は少なかったのではないか。
吾朗監督は随分、手嶌葵に助けられている。

最後に念のため・・・「ゲド戦記」は世間での酷い評価と比べて、個人的にはけっこう楽しめて嫌いじゃなかったと書いておく

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ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
この企画が講談社のセオリームックシリーズ「映画のセオリー」という雑誌に掲載されました。2010年12月15日発行。880円


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1 コメント

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同じです。 (いとこ)
2013-01-12 19:53:30
アカデミックを気取る高校生たちは別にいいんですが、その割りには彼らに泥臭い気風が感じられず非常に幼稚で薄っぺらい印象を持ちました。幹部だけで理事長に話をつけにいく場面は違和感ありまくりで感動できません(老朽化が心配なのでいっそ取り壊して欲しかった)。
この作品が本来伝えたかったことは、アニメじゃなくてそこらの進学校のドキュメンタリーの方がよっぽど良いと思います。また作品中で学生は皆一致団結していたようですが、学生同士の激しい対立とかまたは「悪」なキャラクターが欲しかったです。
挫折の無いストーリーは面白くないですね。
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