以下は2015/9/12に世界に発信した論文である。
友人が、前章は長いから、分割した方が良いのではと言うので、有無、と思い、分割、書き直して始めたのが以下の章であるが、途中で、いつか書かなければと思っていた事の方角に、筆が向いて行った。
朝日や毎日などを購読し、これを読んで育った連中が寡占しているテレビ局が流すニュース番組を観て育った日本国民は、
中国などの実態を何にも知らない、独りよがりの、本当に戯けた、見せかけのモラリストに仕立て上げられているのである。
そんな現在の日本国民と、明治維新を成し遂げた先人たちの間には、天と地ほどの違いが在ることに、私が気付かされた章でもある。
勿論、私は違う。私が愛する同級生たちも違う。私の読者であるあなたも違う。つまり日本の本当の代表選手たちは、明治維新を成し遂げた人物たちに勝るとも劣らない気概と物事に対する認識を持っているのである。
つまり世界に相渡れる能力を持っているのである。世界をリードする能力を持っているのである。
数年前に、日本を代表する優秀な大学で勉強している学生と話していた時、非常に驚かれたことがあった。
日本の大停滞と同調するかのように、或は、インターネットが世界を席巻しだした事と反比例するように、長い事、凋落し続けていた日本の出版界の事情が、一人の作家をブームにした。
私は、彼が当初何をしていたかも知っていたから、ずっと、怪訝に思っていたのだが、数年前に、朝日新聞の書評で、目から鱗が落ちた。
この事の伏線に在ったのは、米国の一流はこの作家を評価していない、ということを知っていたからである。私は、直感的に、それは当然だろうと思っていたのだが、その書評を読んで一瞬で理解した。
その書評は、現代の米国を代表する、…当然ながら、本当の能力を持った、天才と言って良い女性作家で、今、米国の作家の中で、ノーベル賞に一番近い存在と評されている作家についてだった。
「冬のソナタ」は、三浦綾子さんのセンセーショナルな出世作であり、代表作でもある「氷点」の完全な剽窃であるのに、日本のマスメディアも含めて、誰も、この事を指摘しない。
これと同様の事が、件の作家にもあてはまるのである。当然ながら、米国の一流は皆、その事を知っている。
私は、先日、私の直感が正しい事を検証するために、彼女をネットで検索した。
私が、彼女が本当の天才であることを、一瞬で知ったのは、彼女が、初期の頃に、彼女の名声を確立した作品を書いたのは、ボブ・ディランの或る曲からインスピレーションを得て書いたとあったからである。
検索したのは、彼女が、その作品を書いたのは、件の作家が、ある作品を書いて、文壇での名声を確立した時より、前のはずであることを、確認するためだったのだが、事実は、当然ながら、私の予想通りだった。
同時に、私の直感の正しさを証明する記載もあった。彼女の、その作品を、一層、有名にしたのは、或る短編作家が編集した本に拠ってだったのである。
その短編作家こそは、私が、件の作家の事を、当初から知っていた態様…彼は、この作家の翻訳者として文壇に登場していたのである。
何故、私が、冒頭の彼が驚くことを話す人間であるかと言えば、読者はご存知のように、私は、小学校の5年生にして高校3年生の能力を授かった人間だったが、人生を、有り難い恩師の先生方や、同級生が想像していたようには、歩まなかった。
つまり、サイモンとガーファンクルの「ボクサー」そのものの様にして、社会に飛び出した私を、常に、支えてくれたのが、ボブ・ディランであり、ジョン・レノンだったからである。
私と、彼らは切っても切り離せないと言っても過言ではない。
だから、私は、ジョイス・キャロル・オーツが、本当の本物であることと、件の作家は、本物ではないこと、つまり、彼は、彼女を模倣しているに過ぎないと言う事を確信できたのだ。
その私の話を聞いて、O大学の学生は驚いたのである。彼は、私とは違って、件の作家の愛読者だったから、なおのこと、私の話が分かったのだろう。
この稿続く。