以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
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しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
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それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
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斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
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こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
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彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
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斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
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日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
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しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
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日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
まるで火事場泥棒じゃないかと。
それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w
以下は今週号の週刊新潮に掲載されている高山正之の名物コラム「変見自在」からである。
ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
日本は御託を並べず、それを素直に受け入れたらどうだとラブロフ外相はふんぞり返って宣うた。
前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
しかしロシア人の雑言にメディアは沈黙するか朝日新聞の如く「ニ島でも」とロシアに媚態をつくるか。
中村史郎編集局長には男性器がついているか怪しい。
そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
日本軍が武装解除した後、ロシアが攻め込んだ。
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それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
彼とは現役時代、アトランタ五輪取材で一緒に仕事をしたことがある。
東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
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こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
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日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
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ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
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前後してガルージン駐日大使も「北方四島は完全に合法的に獲得した」と尻馬に乗った。
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そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
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それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
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東外大ロシア語科の出身でモスクワ特派員時代にソ連共産党解体の大特ダネを取っている。
仕事は遅いが実直そのものの記事を書いた。
こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
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日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
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ロシアの大罪
北方四島はヤルタ会談でロシアのものになった。
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そんな中で産経新聞の斎藤勉が啖呵を切った。
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それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
歯舞や色丹に入るのはもう3日も先のことだ。
斎藤はまた「日本人60万人を騙して酷寒の地に拉致し奴隷同然に酷使、6万人を殺した」事実を挙げて口シアに国家犯罪を認めさせねばならないと言った。
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こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
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実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
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「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
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日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
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もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
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それも9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏調印式が行われているころロシア人はやっと国後に着いた。
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こういう過激な物言いをする一文は初めてお目にかかる。
特派員は学んだ言葉の国、英語だったら米国を盲目的なまでに愛する。
彼の場合はロシアをこよなく依怙贔屓するところだが、それを考えれば余程許せなかったのだろう。
実際、ロシア人どもは人をなめ切った嘘をつく。
ラブロフは北方四島の帰属は1945年2月のヤルタ会談で決まった「公知の事実」風に言う。
しかし渡辺惣樹訳『フーバー回顧録』には終戦2年後になって米紙が会談のさわりをスクープし、それからさらに8年後に米国務省が会談の報告書を出した。
ただ「欧州関係だけで日本関係については1行もなかった」とある。 「日本は9月2日の調印時にもヤルタ協定の存在も知らなかった」(佐藤優)し、内容も分かっていない。
F・ルーズベルト(FDR)とスターリンの間にどんな密約があったのか。
「ロシアは北海道の半分を欲しがった。マッカーサーは断り、米軍が掣肘(せいちゅう)できる名古屋を勧めたがロシアは応じなかった」とGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトの記録にある。
しかしマッカーサーは原爆投下にすら関与させてもらえなかった小物だ。
何の決定権もない。
やはりFDRがカギになる。
彼はスターリンに大甘で、ソ連に3票の国連議決権を与え、東欧もソ連の好きにさせた。
スターリンは二言目には「日露戦争の仕返し」を口にしてきた。
自力で日本軍をやっつけようとノモンハンを襲ってみたものの逆に潰走させられた。
日本軍にはどうしても勝てなかったが、ただ勝つ機会はある。
日本軍が降伏して丸腰になったときだ。
報復は事前に考えていた。
まず日本人をシベリアの奴隷にすること。
もう一つが領土侵奪だ。
斎藤勉の『スターリン秘録』には「南樺太と千島列島を取ればオホーツクに閉じ込められた我が艦隊が自由に太平洋に出られる」と具申する海軍将校の言葉がある。
さらに「千島、宗谷、津軽、対馬の各海峡を奪取する」戦略が語られ、チャーチルが「露艦隊が太平洋に出るのを歓迎すると激励した」とある。
ヤルタ会談にはチャーチルともっとロシア贔屓のFDRが加わる。恐らく北海道のすべてと対馬の侵攻を英米が黙認する取り決めがあったのではないか。
そうでなければ終戦後の火事場泥棒を英米が黙認した理由は見当たらない。
ただロシアは骨の髄までダメで、降伏日本軍に楯突かれると腰砕けになって結局は北海道までたどり着けなかった。
北方四島を取るのが限界だった。
だからと言ってロシアの非道を不問に付す理由にはならない。
各紙も斎藤勉を少しは見習うがいい。w