文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

Top 10 real-time searches 2022/1/24, 23:47

2022年01月24日 23時47分18秒 | 全般

1

Top 10 real-time searches 2022/1/24, 19:35

2

Unsolved Mysteries

3

朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。

4

The Chinese make you obey them, but they don't give you money

5

中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  

6

辻元の応援団で、沖縄独立を訴える在日コリアン3世の辛淑玉…こんな人間を重用していた朝日新聞の罪

7

文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。

8

Top 10 real-time searches 2022/1/24, 22:54

9

産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた…それで30年も支局は閉鎖されたままだった

10

Det finns inga likheter mellan Japan och Kina alls.

 


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2022年01月24日 22時54分22秒 | 全般

1

The Chinese make you obey them, but they don't give you money

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3

Unsolved Mysteries

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産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた…それで30年も支局は閉鎖されたままだった

5

朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。

6

中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  

7

文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。

8

日本和中国完全没有相似之处。

9

日本和中國完全沒有相似之處。

10

Det finns inga likheter mellan Japan och Kina alls.

 


中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  

2022年01月24日 22時19分30秒 | 全般

以下は、2021/1/15に出版された高山正之の著作、変見自在 コロナが教えてくれた大悪党、からである。
この本もまた、彼の前著作同様、世界最高の本である。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
日本国民全員は、今すぐに最寄りの書店に購入に向かわなければならない。
世界中の人たちには、私が、可能な限り知らしめる。
本論もまた、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
見出し以外の文中強調は私。
口は出すがカネは出さない 

産経新聞が北京政府に支局を出してと頼まれたのはホンの一昔前のことだ。 
産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた。 
北京にとっては腹立たしい。
それで30年も支局は閉鎖されたままだった。 
それを世界が知る。
中国の脅しに屈しない産経の立派さに比べ、北京の狭量さと朝日の北京盲従ぶりがとかくの噂になって、北京もこれじゃあ具合が悪いと判断した結果だと思われる。 
産経の記者というだけで観光ビザも出なかった我が身も、晴れて北京辺りで物見遊山ができることになった。 
ただ中国語は話せない。
せいぜいマイタン(勘定)とプーヤオ(要らない)だけだ。    
だいたい中国語には品詞も時制もない。
昼飯が食いたかったら、我と食と欲と昼飯を適当に並べれば通じる。
歴史あるピジン語と思えばいい。 
石平氏によれば王維の「君に勧む更に尽くせ一杯の酒/西の方陽関を肝ずれば故人なからん」も日本語読みした方がずっと情感豊かになるという。 
それにそんな未熟語を覚えなくても北京には日本語を話せるガイドがやまといる。 
仮にそのガイドを江沢庵と呼ぼう。
江氏の話には結構な生活臭があって、例えば小皇帝の話題になると「我が子は苺牛乳です」と語る。 
江家の朝の食卓では息子が高い苺牛乳を、両親が普通の牛乳を飲む。
それほどわが子には贅沢をさせている、と。 
江氏は名のある家柄の出だった。
だから文革のときは子供心にも「大変だった」記憶がある。 
文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。 
劉少奇は拷問の末に殺され、彰徳懐は足を切り落とされ、鄒小平は下放され……と毛が憎んだ相手は悉く葬られたが、その副作用がひどかった。 
四旧、つまり旧(ふる)い思想や文化、風俗なども紅衛兵の攻撃の対象にされた。
毛は彼らに鉄道の無賃乗車の権利と食事と旅館を提供するように命じ、彼らは全国を旅して寺や史跡をぶち壊して歩いた。  
この中には空海が学んだ西安の青龍寺もある。
青龍寺は今、伽藍の一つも残っていない。  
楚の項羽が阿房宮を燃したように、唐の太宗が王義之の真筆をすべて墓に持っていったように、中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  
だから四旧打破も歯止めはない。
盧溝橋の欄干も壊され、敦惶の莫高窟(ばっこうくつ)にも、北京の故宮にも紅衛兵が雪崩れ込んだ。  
さすがに周恩来が彼らを宥(なだ)めて莫高窟の破壊を止めさせた。
朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。  
四旧打破は市井にも及び、古書や書面を持っているだけで反革命と見倣され、下手したら殺された。  
江家も例外ではなかった。
「庭で親が泣きながら書画を焼き、景徳鎮の器を砕いて埋めていた」という。
そんな折、どうせ壊すならと海外の華僑が二束三文で買い取っていった。
在留外国人、例えば秋岡家栄やどこかの大使館員なども右に倣った。  
1990年代に上海に博物館ができた。
各フロアには文革で消滅したはずの貴重な陶器や書面が溢れていた。  
いずれも寄贈品で、陳列室の入口には寄贈者の名が記されている。  
事情通は言う。
彼らは海外在住の華僑で文革時にただ同然で多くの書画骨董を収集した。
それを今回は政府に寄贈した。
もちろんただじゃない。
見返りにはたとえば高速道路敷設とかの利権を得ている、と。  
19世紀、英船籍の海賊船が臨検されたのに英仏が因縁をつけ、2万人の軍隊が天津に上陸、項羽と同じように贅を尽くした離宮円明園を略奪して火を放った。  
このとき奪われたブロンズ製十二支の「子」と「卯」がパリで競売に出された。  
中国の反応が面白い。
奪われずに残っていたところで紅衛兵にやられて何も残らなかったはずだ。
「保存してもらって有難う」というのかと思ったら、俺のものだから返せと訴訟を起こした。
それが蹴られると別の中国人が最高額で落札して「でも、中国のものだからカネは払わない」。
折しも米国で売りに出たガンジーの遺品をインド人富豪が落札し、国に寄贈すると語った。 
日本でも米国のオークションに出た運慶の木彫を真如苑が買い戻した。 
毒餃子まで売ってカネ儲けする中国人は、こと文化財となると出すのは口だけ。カネは出さない。分かりやすい国民性だ。                              (2009年3月19日号)

 


朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。

2022年01月24日 22時15分46秒 | 全般

以下は、2021/1/15に出版された高山正之の著作、変見自在 コロナが教えてくれた大悪党、からである。
この本もまた、彼の前著作同様、世界最高の本である。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
日本国民全員は、今すぐに最寄りの書店に購入に向かわなければならない。
世界中の人たちには、私が、可能な限り知らしめる。
本論もまた、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
見出し以外の文中強調は私。
口は出すがカネは出さない 

産経新聞が北京政府に支局を出してと頼まれたのはホンの一昔前のことだ。 
産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた。 
北京にとっては腹立たしい。
それで30年も支局は閉鎖されたままだった。 
それを世界が知る。
中国の脅しに屈しない産経の立派さに比べ、北京の狭量さと朝日の北京盲従ぶりがとかくの噂になって、北京もこれじゃあ具合が悪いと判断した結果だと思われる。 
産経の記者というだけで観光ビザも出なかった我が身も、晴れて北京辺りで物見遊山ができることになった。 
ただ中国語は話せない。
せいぜいマイタン(勘定)とプーヤオ(要らない)だけだ。    
だいたい中国語には品詞も時制もない。
昼飯が食いたかったら、我と食と欲と昼飯を適当に並べれば通じる。
歴史あるピジン語と思えばいい。 
石平氏によれば王維の「君に勧む更に尽くせ一杯の酒/西の方陽関を肝ずれば故人なからん」も日本語読みした方がずっと情感豊かになるという。 
それにそんな未熟語を覚えなくても北京には日本語を話せるガイドがやまといる。 
仮にそのガイドを江沢庵と呼ぼう。
江氏の話には結構な生活臭があって、例えば小皇帝の話題になると「我が子は苺牛乳です」と語る。 
江家の朝の食卓では息子が高い苺牛乳を、両親が普通の牛乳を飲む。
それほどわが子には贅沢をさせている、と。 
江氏は名のある家柄の出だった。
だから文革のときは子供心にも「大変だった」記憶がある。 
文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。 
劉少奇は拷問の末に殺され、彰徳懐は足を切り落とされ、鄒小平は下放され……と毛が憎んだ相手は悉く葬られたが、その副作用がひどかった。 
四旧、つまり旧(ふる)い思想や文化、風俗なども紅衛兵の攻撃の対象にされた。
毛は彼らに鉄道の無賃乗車の権利と食事と旅館を提供するように命じ、彼らは全国を旅して寺や史跡をぶち壊して歩いた。  
この中には空海が学んだ西安の青龍寺もある。
青龍寺は今、伽藍の一つも残っていない。  
楚の項羽が阿房宮を燃したように、唐の太宗が王義之の真筆をすべて墓に持っていったように、中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  
だから四旧打破も歯止めはない。
盧溝橋の欄干も壊され、敦惶の莫高窟(ばっこうくつ)にも、北京の故宮にも紅衛兵が雪崩れ込んだ。  
さすがに周恩来が彼らを宥(なだ)めて莫高窟の破壊を止めさせた。
朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。  
四旧打破は市井にも及び、古書や書面を持っているだけで反革命と見倣され、下手したら殺された。  
江家も例外ではなかった。
「庭で親が泣きながら書画を焼き、景徳鎮の器を砕いて埋めていた」という。
そんな折、どうせ壊すならと海外の華僑が二束三文で買い取っていった。
在留外国人、例えば秋岡家栄やどこかの大使館員なども右に倣った。  
1990年代に上海に博物館ができた。
各フロアには文革で消滅したはずの貴重な陶器や書面が溢れていた。  
いずれも寄贈品で、陳列室の入口には寄贈者の名が記されている。  
事情通は言う。
彼らは海外在住の華僑で文革時にただ同然で多くの書画骨董を収集した。
それを今回は政府に寄贈した。
もちろんただじゃない。
見返りにはたとえば高速道路敷設とかの利権を得ている、と。  
19世紀、英船籍の海賊船が臨検されたのに英仏が因縁をつけ、2万人の軍隊が天津に上陸、項羽と同じように贅を尽くした離宮円明園を略奪して火を放った。  
このとき奪われたブロンズ製十二支の「子」と「卯」がパリで競売に出された。  
中国の反応が面白い。
奪われずに残っていたところで紅衛兵にやられて何も残らなかったはずだ。
「保存してもらって有難う」というのかと思ったら、俺のものだから返せと訴訟を起こした。
それが蹴られると別の中国人が最高額で落札して「でも、中国のものだからカネは払わない」。
折しも米国で売りに出たガンジーの遺品をインド人富豪が落札し、国に寄贈すると語った。 
日本でも米国のオークションに出た運慶の木彫を真如苑が買い戻した。 
毒餃子まで売ってカネ儲けする中国人は、こと文化財となると出すのは口だけ。カネは出さない。分かりやすい国民性だ。                              (2009年3月19日号)

 


文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。

2022年01月24日 22時12分16秒 | 全般

以下は、2021/1/15に出版された高山正之の著作、変見自在 コロナが教えてくれた大悪党、からである。
この本もまた、彼の前著作同様、世界最高の本である。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
日本国民全員は、今すぐに最寄りの書店に購入に向かわなければならない。
世界中の人たちには、私が、可能な限り知らしめる。
本論もまた、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
見出し以外の文中強調は私。
口は出すがカネは出さない 

産経新聞が北京政府に支局を出してと頼まれたのはホンの一昔前のことだ。 
産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた。 
北京にとっては腹立たしい。
それで30年も支局は閉鎖されたままだった。 
それを世界が知る。
中国の脅しに屈しない産経の立派さに比べ、北京の狭量さと朝日の北京盲従ぶりがとかくの噂になって、北京もこれじゃあ具合が悪いと判断した結果だと思われる。 
産経の記者というだけで観光ビザも出なかった我が身も、晴れて北京辺りで物見遊山ができることになった。 
ただ中国語は話せない。
せいぜいマイタン(勘定)とプーヤオ(要らない)だけだ。    
だいたい中国語には品詞も時制もない。
昼飯が食いたかったら、我と食と欲と昼飯を適当に並べれば通じる。
歴史あるピジン語と思えばいい。 
石平氏によれば王維の「君に勧む更に尽くせ一杯の酒/西の方陽関を肝ずれば故人なからん」も日本語読みした方がずっと情感豊かになるという。 
それにそんな未熟語を覚えなくても北京には日本語を話せるガイドがやまといる。 
仮にそのガイドを江沢庵と呼ぼう。
江氏の話には結構な生活臭があって、例えば小皇帝の話題になると「我が子は苺牛乳です」と語る。 
江家の朝の食卓では息子が高い苺牛乳を、両親が普通の牛乳を飲む。
それほどわが子には贅沢をさせている、と。 
江氏は名のある家柄の出だった。
だから文革のときは子供心にも「大変だった」記憶がある。 
文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。 
劉少奇は拷問の末に殺され、彰徳懐は足を切り落とされ、鄒小平は下放され……と毛が憎んだ相手は悉く葬られたが、その副作用がひどかった。 
四旧、つまり旧(ふる)い思想や文化、風俗なども紅衛兵の攻撃の対象にされた。
毛は彼らに鉄道の無賃乗車の権利と食事と旅館を提供するように命じ、彼らは全国を旅して寺や史跡をぶち壊して歩いた。  
この中には空海が学んだ西安の青龍寺もある。
青龍寺は今、伽藍の一つも残っていない。  
楚の項羽が阿房宮を燃したように、唐の太宗が王義之の真筆をすべて墓に持っていったように、中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  
だから四旧打破も歯止めはない。
盧溝橋の欄干も壊され、敦惶の莫高窟(ばっこうくつ)にも、北京の故宮にも紅衛兵が雪崩れ込んだ。  
さすがに周恩来が彼らを宥(なだ)めて莫高窟の破壊を止めさせた。
朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。  
四旧打破は市井にも及び、古書や書面を持っているだけで反革命と見倣され、下手したら殺された。  
江家も例外ではなかった。
「庭で親が泣きながら書画を焼き、景徳鎮の器を砕いて埋めていた」という。
そんな折、どうせ壊すならと海外の華僑が二束三文で買い取っていった。
在留外国人、例えば秋岡家栄やどこかの大使館員なども右に倣った。  
1990年代に上海に博物館ができた。
各フロアには文革で消滅したはずの貴重な陶器や書面が溢れていた。  
いずれも寄贈品で、陳列室の入口には寄贈者の名が記されている。  
事情通は言う。
彼らは海外在住の華僑で文革時にただ同然で多くの書画骨董を収集した。
それを今回は政府に寄贈した。
もちろんただじゃない。
見返りにはたとえば高速道路敷設とかの利権を得ている、と。  
19世紀、英船籍の海賊船が臨検されたのに英仏が因縁をつけ、2万人の軍隊が天津に上陸、項羽と同じように贅を尽くした離宮円明園を略奪して火を放った。  
このとき奪われたブロンズ製十二支の「子」と「卯」がパリで競売に出された。  
中国の反応が面白い。
奪われずに残っていたところで紅衛兵にやられて何も残らなかったはずだ。
「保存してもらって有難う」というのかと思ったら、俺のものだから返せと訴訟を起こした。
それが蹴られると別の中国人が最高額で落札して「でも、中国のものだからカネは払わない」。
折しも米国で売りに出たガンジーの遺品をインド人富豪が落札し、国に寄贈すると語った。 
日本でも米国のオークションに出た運慶の木彫を真如苑が買い戻した。 
毒餃子まで売ってカネ儲けする中国人は、こと文化財となると出すのは口だけ。カネは出さない。分かりやすい国民性だ。                              (2009年3月19日号)

 


Top 10 real-time searches 2022/1/24, 19:35

2022年01月24日 19時35分25秒 | 全般

The Chinese make you obey them, but they don't give you money

2022年01月24日 17時18分58秒 | 全般

The following is from Masayuki Takayama's book, Henken Jizai: Corona Taught Us About the Big Bad, published on 1/15/2021.
This book is also one of the best books in the world, just like his previous books.
It is a must-read not only for the people of Japan but also for the people of the world.
Every Japanese citizen should go to the nearest bookstore and buy it right now.
I will make the rest of the world know as much as possible.
This essay also proves that he is the one and only journalist in the postwar world.
The emphasis in the text, except for the headline, is mine.
The Chinese make you obey them, but they don't give you money
The Beijing government asked the Sankei Shimbun to set up a branch office long ago. 
Unlike the Asahi Shimbun, the Sankei honestly wrote about Lin Biao's death and the terrible Cultural Revolution.
It isn't very pleasant for Beijing.
So the bureau remained closed for 30 years. 
The world knows it.
Compared to Sankei's admirable refusal to bow to China's threats, Beijing's narrow-mindedness and Asahi's blind obedience to Beijing became the talk of the town, and it seems that Beijing decided that this was inconvenient. 
Even though I was a Sankei reporter and didn't get a tourist visa, I freely enjoyed a sightseeing tour around Beijing.
But I can't speak Chinese.
At best, only Maitan (account) and Phu Yao (not needed); generally, there is no part of speech or tense in Chinese.
If you want to eat lunch, you can get through by arranging me, food, greed, and lunch properly.
Think of it as a historic Pidgin. 
According to Mr. Seki-hei, it is much more emotional to read Wang Wei's "I'd like to ask you for more sake / West Yangguan If you keep in mind, you're a deceased person." 
Besides, many guides in Beijing can speak Japanese without having to remember such immature words. 
Let's call him Ko Takuan.
For example, when talking about the little emperor, he would say, "My child is strawberry milk. 
The son drinks expensive strawberry milk at the Ko family's morning table, while his parents drink ordinary milk.
That's how extravagant they let their son be. 
Mr. Ko came from a prominent family.
So, even as a child, he remembers the "hard time" during the Cultural Revolution. The Cultural Revolution was a public purge that Mao Zedong, jealous of Liu Shaoqi, ordered young people to carry out. 
Liu Shaoqi was tortured to death, Chang Dequan had his legs cut off, Zou Xiaoping was let go, and all those Mao hated were buried, but the side effects were terrible. 
The Red Guards also attacked the "Four Old Ones," the old ideas, culture, and customs.
Mao ordered the Red Guards to provide them with the right to ride the railroads without charge, as well as food and inns, and they traveled around the country destroying temples and historical sites.  
Among them is the Qinglong Temple in Xi'an, where Kukai studied.
Today, not a single building of the Qinglong Temple remains.  
As in the case of the burning of the Abo Palace by Emperor Han Yu of the Chu and the taking of all the calligraphies of Wang Yizhi to his tomb by Emperor Taizong of Tang, the Chinese do not have the slightest notion of cherishing the good old things.  
Therefore, there is no stopping them from breaking down the old and the new.
The parapets of the Luogou Bridge were torn down, and the Red Guards avalanched into the Mogao Grottoes in Dunslai and the Imperial Palace in Beijing.  
As expected, Zhou Enlai appeased them and stopped the destruction of the Mogao Grottoes.
It is the actual reality of the Red Guards, who continued to be praised by Asahi Shimbun correspondent Ieshige Akioka.
The movement to defeat the Four Olds extended to ordinary people. It was regarded as a counter-revolution just by having old books and documents, and if one is unlucky, it was killed. 
The Ko family was no exception.
"My parents were crying in the garden, burning books and paintings, and smashing Jingdezhen vessels to bury them."
At that time, overseas Chinese bought them for a couple of pounds, thinking they would be destroyed anyway.
Foreigners living in Japan, such as Akioka Ieshige and some embassy staff, followed suit.  
In the 1990s, a museum was built in Shanghai.
Each floor was filled with valuable ceramics and documents that were supposed to have disappeared during the Cultural Revolution.  
It was supposed to have disappeared during the Cultural Revolution, all of which were donated. 
It wrote the names of the donors on the entrance of the display rooms.   
They are overseas Chinese who collected a lot of calligraphy, paintings, and antiques for free during the Cultural Revolution.
This time, they donated them to the government.
Of course, it was not for free.
In return, they received concessions for building highways, for example.  
In the nineteenth century, the British and French got involved in inspecting a British-flagged pirate ship, and 20,000 troops landed in Tianjin.  
The bronze "rat" and "rabbit" of the twelve signs of the Chinese zodiac were auctioned off in Paris.  
The Chinese response was interesting.
"If they hadn't been taken, the Red Guards would have killed them, and there would have been nothing left.
I thought they would have said, "Thank you for preserving it," but instead, they filed a lawsuit demanding it back because it was mine.
When that lawsuit was rejected, another Chinese bidder won the highest bid and said, "But I won't pay for it because it belongs to China.
At the same time, a wealthy Indian bid on Gandhi's relics that were up for sale in the U.S. and said he would donate them to his country. 
In Japan, Shinnyoen bought back a wooden sculpture of Unkei that was sold at an auction in the United States. 
The Chinese, who even sell poisonous dumplings to make money, only make you obey cultural properties. They don't give money. It is easy to understand their national character.                              (March 19, 2009 issue)


産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた…それで30年も支局は閉鎖されたままだった

2022年01月24日 16時31分14秒 | 全般

以下は、2021/1/15に出版された高山正之の著作、変見自在 コロナが教えてくれた大悪党、からである。
この本もまた、彼の前著作同様、世界最高の本である。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
日本国民全員は、今すぐに最寄りの書店に購入に向かわなければならない。
世界中の人たちには、私が、可能な限り知らしめる。
本論もまた、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
見出し以外の文中強調は私。
口は出すがカネは出さない 

産経新聞が北京政府に支局を出してと頼まれたのはホンの一昔前のことだ。 
産経は朝日新聞と違って林彪の死も文革の酷さも正直に書いてきた。 
北京にとっては腹立たしい。
それで30年も支局は閉鎖されたままだった。 
それを世界が知る。
中国の脅しに屈しない産経の立派さに比べ、北京の狭量さと朝日の北京盲従ぶりがとかくの噂になって、北京もこれじゃあ具合が悪いと判断した結果だと思われる。 
産経の記者というだけで観光ビザも出なかった我が身も、晴れて北京辺りで物見遊山ができることになった。 
ただ中国語は話せない。
せいぜいマイタン(勘定)とプーヤオ(要らない)だけだ。    
だいたい中国語には品詞も時制もない。
昼飯が食いたかったら、我と食と欲と昼飯を適当に並べれば通じる。
歴史あるピジン語と思えばいい。 
石平氏によれば王維の「君に勧む更に尽くせ一杯の酒/西の方陽関を肝ずれば故人なからん」も日本語読みした方がずっと情感豊かになるという。 
それにそんな未熟語を覚えなくても北京には日本語を話せるガイドがやまといる。 
仮にそのガイドを江沢庵と呼ぼう。
江氏の話には結構な生活臭があって、例えば小皇帝の話題になると「我が子は苺牛乳です」と語る。 
江家の朝の食卓では息子が高い苺牛乳を、両親が普通の牛乳を飲む。
それほどわが子には贅沢をさせている、と。 
江氏は名のある家柄の出だった。
だから文革のときは子供心にも「大変だった」記憶がある。 文革は毛沢東が劉少奇を妬んで若者をけしかけてやらせた公開粛清劇だ。 
劉少奇は拷問の末に殺され、彰徳懐は足を切り落とされ、鄒小平は下放され……と毛が憎んだ相手は悉く葬られたが、その副作用がひどかった。 
四旧、つまり旧(ふる)い思想や文化、風俗なども紅衛兵の攻撃の対象にされた。
毛は彼らに鉄道の無賃乗車の権利と食事と旅館を提供するように命じ、彼らは全国を旅して寺や史跡をぶち壊して歩いた。  
この中には空海が学んだ西安の青龍寺もある。
青龍寺は今、伽藍の一つも残っていない。  
楚の項羽が阿房宮を燃したように、唐の太宗が王義之の真筆をすべて墓に持っていったように、中国人にはもともと古き良きものを大事にするという観念はこれっぽっちもない。  だから四旧打破も歯止めはない。
盧溝橋の欄干も壊され、敦惶の莫高窟(ばっこうくつ)にも、北京の故宮にも紅衛兵が雪崩れ込んだ。  
さすがに周恩来が彼らを宥(なだ)めて莫高窟の破壊を止めさせた。
朝日新聞特派員の秋岡家栄が礼讃し続けた紅衛兵の、これが偽らざる実態だ。  
四旧打破は市井にも及び、古書や書面を持っているだけで反革命と見倣され、下手したら殺された。  
江家も例外ではなかった。
「庭で親が泣きながら書画を焼き、景徳鎮の器を砕いて埋 めていた」という。
そんな折、どうせ壊すならと海外の華僑が二束三文で買い取っていった。
在留外国人、例えば秋岡家栄やどこかの大使館員なども右に倣った。  
1990年代に上海に博物館ができた。
各フロアには文革で消滅したはずの貴重な陶器や書面が溢れていた。  
いずれも寄贈品で、陳列室の入口には寄贈者の名が記されている。  
事情通は言う。
彼らは海外在住の華僑で文革時にただ同然で多くの書画骨董を収集した。
それを今回は政府に寄贈した。
もちろんただじゃない。
見返りにはたとえば高速道路敷設とかの利権を得ている、と。  
19世紀、英船籍の海賊船が臨検されたのに英仏が因縁をつけ、2万人の軍隊が天津に上陸、項羽と同じように贅を尽くした離宮円明園を略奪して火を放った。  
このとき奪われたブロンズ製十二支の「子」と「卯」がパリで競売に出された。  
中国の反応が面白い。
奪われずに残っていたところで紅衛兵にやられて何も残らなかったはずだ。
「保存してもらって有難う」というのかと思ったら、俺のものだから返せと訴訟を起こした。
それが蹴られると別の中国人が最高額で落札して「でも、中国のものだからカネは払わない」。
折しも米国で売りに出たガンジーの遺品をインド人富豪が落札し、国に寄贈すると語った。 
日本でも米国のオークションに出た運慶の木彫を真如苑が買い戻した。 
毒餃子まで売ってカネ儲けする中国人は、こと文化財となると出すのは口だけ。カネは出さない。分かりやすい国民性だ。                              (2009年3月19日号)

 


Det finns inga likheter mellan Japan och Kina alls.

2022年01月24日 16時30分07秒 | 全般

Följande är från Masayuki Takayamas bok, Henken Jizai: Corona Taught Us About the Big Bad, publicerad 1/15/2021.
Den här boken är också en av de bästa böckerna i världen, precis som hans tidigare böcker.
Det är ett måste att läsa inte bara för folket i Japan utan också för världens folk.
Varje japansk medborgare borde gå till närmaste bokhandel och köpa den just nu.
Jag ska låta resten av världen veta så mycket som möjligt.
Denna uppsats bevisar också att han är den enda journalisten i efterkrigsvärlden.
Tyngdpunkten i texten, förutom rubriken, är min.
Mao Zedongs släktforskning
Lite söder om Changsha i Hunanprovinsen ligger Mao Zedongs födelseplats.
Huset är stort och två dammar finns på gården.
Dessa "två dammar" har stor betydelse i feng shui och sägs vara anledningen till att han kunde styra världen.
Om så är fallet är dammarna en katastrof för folket i detta land.
Huset där han föddes hade 13 rum, och enligt vissa källor byggdes det som en herrgård för en rik bonde, som delade en by.
Med ett hus av den storleken ska det ha funnits en straffcell för bönder och livegna.
Det sägs att Mao Zedong var en munk som hatades även av brädor som täckte ett dike.
Han njöt av att plåga bönder och tjänare som inte kunde stå emot.
Det är lätt att föreställa sig en sådan "barndom" utifrån varje ord och handling.
Han sa till exempel att Folkkommunen inte gick bra.
"Bönderna är slavar, så slå dem, misshandla dem, hota att minska deras mattillgång och få dem att arbeta."(Yun Qian, "Mao")
När detta inte gav resultat, och byarna var fyllda med människor som svälter ihjäl, sa han: "Döden är bra. Landet är bördigt." Han instruerar dem att begrava de döda kropparna som gödningsmedel på fälten och risfälten.
När tiotals miljoner människor dör går människors hjärtan till Mao och vänder sig till den milde Liu Shaoqi.
Mao blir svartsjuk och planerar att dra ner Liu med honom.
Det var kulturrevolutionen.
Mao lockade högstadie- och gymnasieelever, som var villiga att plundra och mörda Maos fiender, och för att göra det gav han dem gratis tåg, värdshus och restauranger vart de än gick i landet.
Således härjade rödgardet staden som gräshoppor och förstörde allt från Gulagoubrons bröstvärn till cenotafen för generalmajor Kondrashenko på East Chicken Crown Mountain i Lushun.
I kaoset vanärades och torterades Liu Shaoqi i två år innan han dödades.
Maos son dödades i Koreakriget.
Befälhavare var Peng Dehuai.
Mao lät de röda gardisterna tortera och döda Peng, och han gjorde också upp sitt agg.
Luo Ruiqing, som Mao också hatade, sattes i fängelse och skar av benet som en form av terapi.
Deng Xiaoping förvisades också till ön, och Maos hämnd var fullständig.
Röda gardet behövdes då inte längre.
Mao gav dem titeln "kunnig ungdom" och beordrade dem att "gå ner på landsbygden och lära av bönderna.
Omkring 16 miljoner rödgardister skickades till avlägsna områden och införlivades i "bondesläktregistret.
De kunde inte längre återvända till sina hemstäder.
Det var verkligen "exil till bakvattnen" (Hokkai Kanjin, Mao Zedongs sanning som Kina döljer).
De flesta av dem kan fortfarande inte återvända, men det finns undantag.
Den första var en grupp människor som hade förvisats till Yunnan men som fick återvända, främst för att de var rädda för att de skulle kunna orsaka ett upplopp under den kinesisk-vietnamesiska konflikten.
Den andra gruppen flydde till Hong Kong för att de hatade exil, men när de hade att göra med dem, plundrade de bara genom överfall.
Till slut använde de det för att bilda den internationella organiserade brottsliga gruppen "stora cirkeln".
Den amerikanska senatens kommitté för statliga aktiviteter har kallat dem "organisationen som ansvarar för heroin som kommer in från Asien."
Den tredje gruppen är de vars particentralkommitté har erkänt litterär och konstnärlig verksamhet i avlägsna områden och som kan lämna bonderegistreringssystemet.
Mo Bang-fu, som nu skriver en krönika för Asahi Shimbun, är en av dem som har uppnått en sådan mirakulös återkomst.
I sin krönika häromdagen skrev han att han genomlevt kulturrevolutionens helvete och sett samma helvete i Japan.
Jag undrade vad det var för hemskt helvete han pratade om, men han sa att det var "spänningen" över att inte kunna se filmen "Yasukuni.
Han sa att det var samma spänning som han kände när han läste förbjudna utländska böcker på toaletten på natten under kulturrevolutionen, av rädsla för att han skulle kunna hittas när som helst.
Menar han att om vi ser "Yasukuni" i dagens Japan, kommer vi att bli misshandlade, få våra lemmar brutna och dödas?
Generellt sett skapade kineserna Yasukuni.
Den stackars mannen har bara erfarenheten att en nation ska lura, förråda, dansa och fånga sitt folk.
Den här filmen är hans försök att använda den erfarenheten för att utvärdera ett annat land.

Tyvärr är det inte brukligt att regeringen fäller folket i Japan.
Och trots att filmen är så missriktad är den tillåten att visas.
En annan missriktad kolumn säger att Kina och Japan är som ett gift par som har varit tillsammans i många år.
Det är också fel.
I den senaste jordbävningen i Sichuan (12 maj 2008) kollapsade 7 000 byggnader för låg-, mellan- och gymnasieskolor och dödade mer än 10 000 elever.
I Japan används skolor som evakueringscenter vid jordbävningar eller översvämningar.
De är inte byggda för att vara de första att kollapsa i en jordbävning.
Det finns inga likheter mellan Japan och Kina alls.
(5 juni 2008)

 


日本和中國完全沒有相似之處。

2022年01月24日 16時26分22秒 | 全般

以下內容來自於高山雅之的著作 Henken Jizai:Corona Tought Us About the Big Bad,出版於 2021 年 1 月 15 日。
這本書也是世界上最好的書之一,就像他以前的書一樣。
它不僅是日本人的必讀之書,也是世界人民的必讀之書。
每個日本公民都應該立即去最近的書店購買。
我會讓世界其他地方盡可能多地知道。
這篇文章也證明了他是戰後世界唯一且唯一的記者。
除標題外,正文中的重點是我的。
毛澤東家譜
湖南省長沙市以南一點,是毛澤東的出生地。
房子很大,前院有兩個池塘。
這“兩個池塘”在風水學中具有重要意義,據說是他能夠統治世界的原因。
如果真是這樣,那麼池塘對這個國家的人民來說就是一場災難。
他出生的房子有13個房間,據一些消息稱,它就像一個富農的豪宅,將一個村莊分開。
這麼大的房子,肯定有一個懲罰農民和農奴的牢房。
據說,毛澤東是一個連溝都被木板討厭的和尚。
他喜歡折磨無法抗拒的農民和僕人。
從他的一言一行,不難想像出這樣的“童年”。
比如他說人民公社不順利。
“農民是奴隸,所以打他們,虐待他們,威脅減少他們的糧食供應,讓他們工作。”(雲謙《毛澤東》)
當這沒有結果,村子裡擠滿了餓死的人時,他說:“死了就好。土地肥沃。”他指示他們將屍體埋在田里和稻田裡作為肥料。
當千萬人死去時,人們的心移向了毛澤東,轉向了溫柔的劉少奇。
毛吃醋了,想把劉拉下來。
那是文化大革命。
毛引誘那些願意搶劫和謀殺毛的敵人的初中和高中生,為此,他給他們免費的火車、客棧和餐館,無論他們去到哪裡。
於是,紅衛兵像蝗蟲一樣蹂躪了這座城市,從古拉溝大橋的護欄到旅順東雞冠山康德拉申科少將的紀念碑,一切都被摧毀了。
亂世中,劉少奇受盡恥辱折磨兩年後被殺。
毛的兒子在朝鮮戰爭中陣亡。
指揮員是彭德懷。
毛讓紅衛兵虐殺彭,他也結了仇。
毛也痛恨的羅瑞清被關進監獄,並被砍斷腿作為一種治療。
鄧小平也被流放到島上,毛澤東報仇雪恨。
那時就不再需要紅衛兵了。
毛授予他們“知識青年”的稱號,並命令他們“下鄉向農民學習”。
大約1600萬紅衛兵被派往邊遠地區,並被納入“農民戶口”。
他們再也無法回到自己的家鄉。
確實是“流放死水”(北海觀人,毛澤東的中國隱藏的真相)。
他們中的大多數人仍然無法返回,但也有例外。
第一個是流放雲南但被允許返回的一群人,主要是因為他們害怕在中越衝突中引起騷亂。
第二組因為討厭流放而逃到香港,但在對付他們的時候,他們只打劫。
最終,他們藉此形成了國際有組織犯罪集團“大圈”。
美國參議院政府活動委員會將他們命名為“負責從亞洲進口的海洛因的組織”。
第三類是黨中央承認邊遠地區文藝活動,可以脫離農民登記制度的。
現在為《朝日新聞》寫專欄的莫邦夫就是其中一位獲得如此神奇回歸的人。
前幾天,他在專欄中寫道,他經歷過文革的地獄,在日本也見過同樣的地獄。
我想知道他在說什麼可怕的地獄,但他說這是看不到電影《靖國神社》的“緊張”。
他說,和文革時晚上在廁所裡看外文禁書時一樣的緊張,害怕自己隨時會被發現。
他的意思是說,如果我們在今天的日本看到“靖國神社”,我們就會被毆打、斷肢、被殺?
一般來說,中國人創造了靖國神社。
窮人只有一個國家要欺騙、背叛、跳舞和陷害它的人民的經驗。
這部電影是他試圖利用這種經驗來評估另一個國家。

不幸的是,政府在日本誘捕人民是不習慣的。
即使這部電影被誤導了,它也被允許放映。
另一個誤入歧途的專欄說,中國和日本就像一對已經在一起多年的夫妻。
那也是錯的。
在最近的四川地震(2008 年 5 月 12 日)中,7,000 所小學、初中和高中建築倒塌,造成 10,000 多名學生死亡。
在日本,學校被用作地震或洪水時的疏散中心。
它們並不是為了在地震中首先倒塌而建造的。
日本和中國完全沒有相似之處。
(2008 年 6 月 5 日)

 


日本和中国完全没有相似之处。

2022年01月24日 16時23分27秒 | 全般

以下内容来自于高山雅之的著作 Henken Jizai:Corona Tought Us About the Big Bad,出版于 2021 年 1 月 15 日。
这本书也是世界上最好的书之一,就像他以前的书一样。
它不仅是日本人的必读之书,也是世界人民的必读之书。
每个日本公民都应该立即去最近的书店购买。
我会让世界其他地方尽可能多地知道。
这篇文章也证明了他是战后世界唯一且唯一的记者。
除标题外,正文中的重点是我的。
毛泽东家谱
湖南省长沙市以南一点,是毛泽东的出生地。
房子很大,前院有两个池塘。
这“两个池塘”在风水学中具有重要意义,据说是他能够统治世界的原因。
如果真是这样,那么池塘对这个国家的人民来说就是一场灾难。
他出生的房子有13个房间,据一些消息称,它就像一个富农的豪宅,将一个村庄分开。
这么大的房子,肯定有一个惩罚农民和农奴的牢房。
据说,毛泽东是一个连沟都被木板讨厌的和尚。
他喜欢折磨无法抗拒的农民和仆人。
从他的一言一行,不难想象出这样的“童年”。
比如他说人民公社不顺利。
“农民是奴隶,所以打他们,虐待他们,威胁减少他们的粮食供应,让他们工作。”(云谦《毛泽东》)
当这没有结果,村子里挤满了饿死的人时,他说:“死了就好。土地肥沃。”他指示他们将尸体埋在田里和稻田里作为肥料。
当千万人死去时,人们的心移向了毛泽东,转向了温柔的刘少奇。
毛吃醋了,想把刘拉下来。
那是文化大革命。
毛引诱那些愿意抢劫和谋杀毛的敌人的初中和高中学生,为此,他在全国各地免费为他们提供火车、旅馆和餐馆。
于是,红卫兵像蝗虫一样蹂躏了这座城市,从古拉沟大桥的护栏到旅顺东鸡冠山康德拉申科少将的纪念碑,一切都被摧毁了。
乱世中,刘少奇受尽耻辱折磨两年后被杀。
毛的儿子在朝鲜战争中阵亡。
指挥员是彭德怀。
毛让红卫兵虐杀彭,他也结了仇。
毛也痛恨的罗瑞清被关进监狱,并被砍断腿作为一种治疗。
邓小平也被流放到岛上,毛泽东报仇雪恨。
那时就不再需要红卫兵了。
毛授予他们“知识青年”的称号,并命令他们“下乡向农民学习”。
大约1600万红卫兵被派往边远地区,并被纳入“农民户口”。
他们再也无法回到自己的家乡。
确实是“流放死水”(北海观人,毛泽东的中国隐藏的真相)。
他们中的大多数人仍然无法返回,但也有例外。
第一个是流放云南但被允许返回的一群人,主要是因为他们害怕在中越冲突中引起骚乱。
第二组因为讨厌流放而逃到香港,但在对付他们的时候,他们只打劫。
最终,他们借此形成了国际有组织犯罪集团“大圈”。
美国参议院政府活动委员会将他们命名为“负责从亚洲进口的海洛因的组织”。
第三类是党中央承认边远地区文艺活动,可以脱离农民登记制度的。
现在为《朝日新闻》写专栏的莫邦夫就是其中一位获得如此神奇回归的人。
前几天,他在专栏中写道,他经历过文革的地狱,在日本也见过同样的地狱。
我想知道他在说什么可怕的地狱,但他说这是看不到电影《靖国神社》的“紧张”。
他说,和文革时晚上在厕所里看外文禁书时一样的紧张,害怕自己随时会被发现。
他的意思是说,如果我们在今天的日本看到“靖国神社”,我们就会被殴打、断肢、被杀?
一般来说,中国人创造了靖国神社。
穷人只有一个国家要欺骗、背叛、跳舞和陷害它的人民的经验。
这部电影是他试图利用这种经验来评估另一个国家。

不幸的是,政府在日本诱捕人民是不习惯的。
即使这部电影被误导了,它也被允许放映。
另一个误入歧途的专栏说,中国和日本就像一对已经在一起多年的夫妻。
那也是错的。
在最近的四川地震(2008 年 5 月 12 日)中,7,000 所小学、初中和高中建筑倒塌,造成 10,000 多名学生死亡。
在日本,学校被用作地震或洪水时的疏散中心。
它们并不是为了在地震中首先倒塌而建造的。
日本和中国完全没有相似之处。
(2008 年 6 月 5 日)

 


일본과 중국 사이에는 유사점이 전혀 없습니다.

2022年01月24日 16時20分23秒 | 全般

다음은 2021년 1월 15일에 출판된 Masayuki Takayama의 책 Henken Jizai: Corona Taught Us About Big Bad에서 발췌한 것입니다.
이 책 역시 그의 전작들과 마찬가지로 세계 최고의 책 중 하나이다.
일본 국민뿐 아니라 전 세계인이 꼭 읽어야 할 필독서입니다.
모든 일본 국민은 지금 가장 가까운 서점에 가서 사야 합니다.
나는 나머지 세계에 가능한 한 많이 알릴 것입니다.
이 에세이는 또한 그가 전후 세계에서 유일한 언론인임을 증명합니다.
헤드라인을 제외한 텍스트의 강조는 필자의 것입니다.
마오쩌둥의 족보
후난성 창사에서 조금 남쪽으로 가면 마오쩌둥이 태어난 곳이 있습니다.
집이 크고 앞마당에 연못이 두 개 있습니다.
이 "두 연못"은 풍수에서 큰 의미가 있으며 그가 천하를 다스릴 수 있었던 이유라고 합니다.
그렇다면 연못은 이 나라 사람들에게 재앙입니다.
그가 태어난 집은 방이 13개였는데, 일부 소식통에 따르면 부유한 농부의 저택처럼 지어져 마을을 나눴다고 한다.
그 크기의 집에는 농민과 농노를 위한 형벌이 있었을 것입니다.
마오쩌둥은 도랑을 덮는 판자조차 미움을 받는 승려였다고 한다.
저항할 수 없는 농민과 하인들을 괴롭히는 것을 즐겼다.
그의 모든 말과 행동에서 그러한 "어린 시절"을 상상하기 쉽습니다.
예를 들어, 그는 인민 코뮌이 잘 되지 않았다고 말했다.
"농민은 노예니까 때리고, 학대하고, 식량 공급을 줄이겠다고 위협하고, 일하게 하라."(Yun Qian, "Mao")
이렇게 해도 성과가 나지 않고 굶어죽는 사람들이 마을에 가득 차자 그는 “죽어도 좋다. 땅은 비옥하다”고 지시하여 시신을 비료로 밭과 논에 묻습니다.
수천만 명이 죽으면 사람들의 마음은 모택동에게로 향하고 온유한 유소기에게로 향합니다.
마오는 질투심에 사로잡혀 류를 끌어내릴 계획을 세운다.
문화대혁명이었다.
마오는 마오의 적을 약탈하고 살해하려는 중학생과 고등학생을 유인하여 전국 어디를 가든지 무료 기차, 여관, 식당을 제공했습니다.
따라서 홍위병은 메뚜기 떼처럼 도시를 황폐화시켜 Gulagou Bridge의 난간에서 Lushun의 East Chicken Crown Mountain에 있는 Kondrashenko 소장의 기념비에 이르기까지 모든 것을 파괴했습니다.
혼란 속에서 Liu Shaoqi는 2년 동안 불명예와 고문을 당하고 살해당했습니다.
마오쩌둥의 아들은 한국전쟁에서 전사했다.
사령관은 펑더화이였다.
마오는 홍위병에게 고문을 가해 펑을 죽이고 원한을 풀기도 했다.
마오쩌둥도 싫어했던 뤄루이칭은 감옥에 수감되었고 치료의 한 형태로 다리가 잘렸습니다.
덩샤오핑도 섬으로 유배되어 마오쩌둥의 복수가 완성되었다.
레드 가드는 더 이상 필요하지 않았습니다.
마오는 그들에게 "지식 있는 청년"이라는 칭호를 부여하고 "시골로 내려가 농민에게 배우라"고 명령했다.
약 1,600만 명의 적위병이 외딴 지역으로 파견되어 "농민 호적"에 통합되었습니다.
그들은 더 이상 고향으로 돌아갈 수 없었습니다.
그것은 실제로 "백워터로의 유배"(Hokkai Kanjin, Mao Zedong의 중국이 숨긴 진실)였습니다.
그들 대부분은 여전히 ​​돌아갈 수 없지만 예외가 있습니다.
첫 번째는 윈난으로 추방된 사람들이 중국-베트남 분쟁 중에 폭동을 일으킬 수 있다는 두려움 때문에 귀국이 허용된 사람들이었습니다.
두 번째 그룹은 망명을 싫어해서 홍콩으로 도망쳤지만, 그들을 상대할 때는 폭행으로 약탈했을 뿐이다.
결국 이를 악용해 국제조직범죄단체 '그레이트 서클'을 결성했다.
미국 상원 정부 활동 위원회는 이들을 "아시아에서 유입되는 헤로인을 담당하는 조직"이라고 명명했습니다.
세 번째 부류는 당중앙위원회가 오지의 문학예술활동을 인정하고 소작농등록제도를 탈퇴할 수 있는 자들이다.
현재 아사히신문에 칼럼을 쓰고 있는 모방후는 그러한 기적적인 복귀를 이룬 사람 중 한 명이다.
요전 칼럼에서 그는 문화대혁명의 지옥을 겪었고 일본에서도 같은 지옥을 보았다고 썼다.
무슨 끔찍한 지옥을 말하는지 궁금했는데 영화 '야스쿠니'를 볼 수 없는 '긴장'이라고 했다.
그는 문화대혁명 당시 밤에 화장실에서 금단의 책을 읽었을 때 느꼈던 것과 같은 긴장감이라고 말했다.
오늘날의 일본에서 '야스쿠니'를 보면 두들겨 맞고 팔다리가 부러지고 죽임을 당한다는 뜻입니까?
일반적으로 중국인은 Yasukuni를 만들었습니다.
가난한 사람은 한 국가가 그 백성을 속이고 배신하고 춤을 추고 함정에 빠뜨리는 경험만 있습니다.
이 영화는 경험을 통해 다른 나라를 평가하려는 시도이다.

불행히도, 정부가 일본에서 사람들을 함정에 빠뜨리는 것은 관례가 아닙니다.
그리고 비록 영화가 그렇게 잘못 안내되어도 상영은 허용된다.
또 다른 잘못된 칼럼에서는 중국과 일본은 오랜 세월을 함께한 부부와 같다고 합니다.
그것도 틀렸어.
최근 쓰촨성 지진(2008년 5월 12일)에서 7,000개의 초, 중, 고등학교 건물이 무너져 10,000명 이상의 학생이 사망했습니다.
일본에서는 지진이나 홍수가 났을 때 학교를 피난소로 사용합니다.
지진 발생 시 가장 먼저 무너지는 건물이 아닙니다.
일본과 중국 사이에는 유사점이 전혀 없습니다.
(2008년 6월 5일)

 


Между Японией и Китаем вообще нет ничего общего.

2022年01月24日 16時14分35秒 | 全般

Нижеследующее взято из книги Масаюки Такаямы «Хенкен Дзидзай: коронавирус научил нас большому злу», опубликованной 15 января 2021 года.
Эта книга также является одной из лучших книг в мире, как и его предыдущие книги.
Ее обязательно нужно прочитать не только жителям Японии, но и людям всего мира.
Каждый гражданин Японии должен пойти в ближайший книжный магазин и купить ее прямо сейчас.
Я сделаю так, чтобы остальной мир узнал как можно больше.
Это эссе также доказывает, что он единственный журналист в послевоенном мире.
Акцент в тексте, кроме заголовка, мой.
Генеалогия Мао Цзэдуна
Немного южнее Чанши в провинции Хунань находится родина Мао Цзэдуна.
Дом большой, во дворе два пруда.
Эти «два пруда» имеют большое значение в фэн-шуй и, как говорят, благодаря им он смог править миром.
Если это так, то пруды — бедствие для жителей этой страны.
В доме, где он родился, было 13 комнат, и, по некоторым данным, он был построен по типу особняка богатого фермера, разделявшего деревню.
В доме таких размеров должен был быть карцер для крестьян и крепостных.
Говорят, что Мао Цзэдун был монахом, которого ненавидели даже доски, закрывающие ров.
Ему нравилось мучить крестьян и слуг, которые не могли сопротивляться.
Такое «детство» легко представить по каждому его слову и поступку.
Например, он сказал, что Народная коммуна не удалась.
«Крестьяне — рабы, поэтому бейте их, издевайтесь над ними, угрожайте сократить их запасы продовольствия и заставляйте их работать» (Юнь Цянь, «Мао»).
Когда это не дало результатов, и деревни были заполнены людьми, умирающими от голода, он сказал: «Смерть прекрасна. Земля плодородна». Он приказывает им закопать трупы в качестве удобрения на полях и рисовых полях.
Когда умирают десятки миллионов людей, сердца людей обращаются к Мао и обращаются к нежному Лю Шаоци.
Мао начинает ревновать и замышляет утащить Лю за собой.
Это была культурная революция.
Мао заманил учеников младших и старших классов, которые были готовы грабить и убивать врагов Мао, и для этого он предоставил им бесплатные поезда, гостиницы и рестораны, куда бы они ни пошли по стране.
Таким образом, красногвардейцы разорили город, как саранча, уничтожив все, от парапета моста Гулагоу до кенотафа генерал-майору Кондрашенко на горе Восточная Куриная Корона в Лушуне.
В этом хаосе Лю Шаоци был опозорен и подвергался пыткам в течение двух лет, прежде чем был убит.
Сын Мао погиб в Корейской войне.
Командиром был Пэн Дэхуай.
Мао заставил красногвардейцев пытать и убить Пэна, а также уладил свою обиду.
Ло Жуйцина, которого Мао также ненавидел, посадили в тюрьму и отрезали ему ногу в качестве терапии.
Дэн Сяопин также был сослан на остров, и месть Мао была завершена.
Красногвардейцы тогда были уже не нужны.
Мао дал им звание «знающая молодежь» и приказал им «спуститься в деревню и учиться у крестьян.
Около 16 миллионов красногвардейцев были отправлены в отдаленные районы и занесены в «крестьянский семейный реестр».
Они больше не могли вернуться в свои родные города.
Это действительно было «изгнание в захолустье» («Хоккай Каньцзинь», «Правда Мао Цзэдуна, которую скрывает Китай»).
Большинство из них до сих пор не могут вернуться, но есть и исключения.
Первой была группа людей, которые были сосланы в Юньнань, но им разрешили вернуться, главным образом потому, что они боялись вызвать беспорядки во время китайско-вьетнамского конфликта.
Вторая группа бежала в Гонконг, потому что ненавидела изгнание, но, имея дело с ними, грабила только нападением.
В конце концов, они использовали его для создания международной организованной преступной группировки «Большой круг».
Комитет Сената США по правительственной деятельности назвал их «организацией, отвечающей за героин, поступающий из Азии».
Третья группа — это те, чья литературная и художественная деятельность в отдаленных районах признана ЦК партии и которые могут выйти из системы крестьянского учета.
Мо Бан-фу, который сейчас ведет колонку в «Асахи Симбун», — один из тех, кто добился такого чудесного возвращения.
На днях в своей колонке он написал, что пережил ад Культурной революции и видел такой же ад в Японии.
Мне было интересно, о каком ужасном аде он говорит, но он сказал, что это было «напряжение» из-за невозможности посмотреть фильм «Ясукуни».
Он сказал, что это было то же самое напряжение, которое он чувствовал, когда читал запрещенные иностранные книги в туалете ночью во время Культурной революции, опасаясь, что его могут найти в любой момент.
Имеет ли он в виду, что если мы увидим «Ясукуни» в сегодняшней Японии, нас будут избивать, ломать конечности и убивать?
Вообще говоря, китайцы создали храм.
У бедняка есть только опыт того, что нация должна обманывать, предавать, танцевать и заманивать в ловушку свой народ.
Этот фильм — его попытка использовать этот опыт для оценки другой страны.

К сожалению, у правительства не принято заманивать людей в ловушку в Японии.
И даже несмотря на то, что фильм настолько ошибочен, его разрешают показывать.
В другой ошибочной колонке говорится, что Китай и Япония похожи на супружескую пару, которая вместе уже много лет.
Это тоже неправильно.
Во время недавнего землетрясения в провинции Сычуань (12 мая 2008 г.) рухнуло 7 000 зданий начальных, средних и старших классов, в результате чего погибло более 10 000 учащихся.
В Японии школы используются в качестве центров эвакуации при землетрясениях или наводнениях.
Они не созданы для того, чтобы первыми рухнуть при землетрясении.
Между Японией и Китаем вообще нет ничего общего.
(5 июня 2008 г.)

 


Não há semelhanças entre o Japão e a China.

2022年01月24日 16時11分40秒 | 全般

O seguinte é do livro de Masayuki Takayama, Henken Jizai: Corona Taught Us About the Big Bad, publicado em 15/01/2021.
Este livro também é um dos melhores livros do mundo, assim como seus livros anteriores.
É uma leitura obrigatória não apenas para o povo do Japão, mas também para o povo do mundo.
Todo cidadão japonês deve ir à livraria mais próxima e comprá-lo agora mesmo.
Farei com que o resto do mundo saiba o máximo possível.
Este ensaio também prova que ele é o único jornalista no mundo do pós-guerra.
A ênfase no texto, exceto no título, é minha.
A genealogia de Mao Zedong
Um pouco ao sul de Changsha, na província de Hunan, é o local de nascimento de Mao Zedong.
A casa é grande, e duas lagoas estão no jardim da frente.
Essas "duas lagoas" têm grande significado no feng shui e dizem que ele foi capaz de governar o mundo.
Se for esse o caso, então as lagoas são um desastre para o povo deste país.
A casa onde nasceu tinha 13 cômodos e, segundo algumas fontes, foi construída como a mansão de um rico fazendeiro, dividindo uma aldeia.
Com uma casa desse tamanho, deve ter havido uma cela de punição para camponeses e servos.
Diz-se que Mao Zedong era um monge que era odiado até pelas tábuas que cobriam uma vala.
Ele gostava de atormentar camponeses e servos que não podiam resistir.
É fácil imaginar tal "infância" a partir de cada palavra e ação dele.
Por exemplo, ele disse que a Comuna Popular não foi bem.
"Os camponeses são escravos, então bata neles, abuse deles, ameace reduzir seu suprimento de alimentos e faça-os trabalhar." (Yun Qian, "Mao")
Quando isso não produziu resultados, e as aldeias ficaram cheias de pessoas morrendo de fome, ele disse: "A morte é boa. A terra é fértil". Ele os instrui a enterrar os cadáveres como fertilizante nos campos e arrozais.
Quando dezenas de milhões de pessoas morrem, os corações das pessoas se voltam para Mao e se voltam para o gentil Liu Shaoqi.
Mao fica com ciúmes e planeja arrastar Liu com ele.
Foi a Revolução Cultural.
Mao atraiu estudantes do ensino fundamental e médio, que estavam dispostos a saquear e matar os inimigos de Mao, e para isso, ele lhes deu trens, pousadas e restaurantes gratuitos onde quer que fossem no país.
Assim, os Guardas Vermelhos devastaram a cidade como gafanhotos, destruindo tudo, desde o parapeito da Ponte Gulagou até o cenotáfio do major-general Kondrashenko na Montanha East Chicken Crown em Lushun.
No caos, Liu Shaoqi foi desonrado e torturado por dois anos antes de ser morto.
O filho de Mao foi morto na Guerra da Coréia.
O comandante era Peng Dehuai.
Mao fez com que os Guardas Vermelhos torturassem e matassem Peng, e também resolveu seu rancor.
Luo Ruiqing, a quem Mao também odiava, foi preso e decepou a perna como forma de terapia.
Deng Xiaoping também foi exilado na ilha, e a vingança de Mao foi completa.
Os Guardas Vermelhos não eram mais necessários.
Mao deu-lhes o título de "Juventude Sabedoria" e ordenou-lhes que "descessem ao campo e aprendam com os camponeses.
Cerca de 16 milhões de Guardas Vermelhos foram enviados para áreas remotas e incorporados ao "registro da família camponesa".
Eles não podiam mais voltar para suas cidades natais.
Foi de fato "exílio para os remansos" (Hokkai Kanjin, Mao Zedong's Truth That China Hides).
A maioria deles ainda não pode retornar, mas há exceções.
O primeiro foi um grupo de pessoas que foram exiladas em Yunnan, mas tiveram permissão para retornar, principalmente porque temiam causar um tumulto durante o conflito sino-vietnamita.
O segundo grupo fugiu para Hong Kong porque odiava o exílio, mas ao lidar com eles, eles só saquearam por assalto.
No final, eles fizeram uso dele para formar o grupo internacional do crime organizado "grande círculo".
O Comitê de Atividades Governamentais do Senado dos EUA os nomeou "a organização encarregada da heroína vinda da Ásia".
O terceiro grupo são aqueles cujo Comitê Central do Partido reconheceu atividades literárias e artísticas em áreas remotas e que podem deixar o sistema de registro camponês.
Mo Bang-fu, que agora escreve uma coluna para o Asahi Shimbun, é um dos que conseguiram um retorno tão milagroso.
Em sua coluna outro dia, ele escreveu que viveu o inferno da Revolução Cultural e viu o mesmo inferno no Japão.
Eu me perguntei de que tipo de inferno horrível ele estava falando, mas ele disse que era a "tensão" de não poder ver o filme "Yasukuni.
Ele disse que era a mesma tensão que sentia quando lia livros estrangeiros proibidos no banheiro à noite durante a Revolução Cultural, temendo ser encontrado a qualquer momento.
Ele quer dizer que se virmos "Yasukuni" no Japão de hoje, seremos espancados, teremos nossos membros quebrados e seremos mortos?
De um modo geral, os chineses criaram Yasukuni.
O pobre tem apenas a experiência de que uma nação deve enganar, trair, dançar e aprisionar seu povo.
Este filme é sua tentativa de usar essa experiência para avaliar outro país.

Infelizmente, não é costume o governo prender as pessoas no Japão.
E mesmo que o filme seja tão equivocado, é permitido que seja exibido.
Outra coluna equivocada diz que China e Japão são como um casal que está junto há muitos anos.
Isso também está errado.
No recente terremoto de Sichuan (12 de maio de 2008), 7.000 prédios de ensino fundamental, médio e médio desabaram, matando mais de 10.000 estudantes.
No Japão, as escolas são usadas como centros de evacuação em terremotos ou inundações.
Eles não são construídos para serem os primeiros a desmoronar em um terremoto.
Não há semelhanças entre o Japão e a China.
(5 de junho de 2008)