文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

Top 10 real-time searches 2022/9/10, 21:51

2022年09月10日 21時51分56秒 | 全般

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Top 10 real-time searches 2022/9/10, 17:09

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反安倍勢力の犯行なら自ら窮地に陥るが、逆に“殺されても仕方なかった”との空気を醸成できれば憎っくき安倍氏を貶められる。後者に成功し胸を撫で下ろす勢力。

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ワイドショーの司教が主権を持つ全体主義が蔓延る日本社会には、事実命題から妥当な推論によって結論を導く「言論」が必要

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サキマ猛追!20ポイント以上の差が数ポイントまで詰まってきているようです!大波一つで追いつく状態です!

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But they still want to write lies. They also want to slander the former prime minister.

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辻元清美、蓮舫…悔しかったら米上院に行って「私が死んだ時も追憶決議をして下さい」と頼んでみたらどうか。異常者扱いされるだろう。

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で、「安倍派の問題だ」と断言していた日テレのコメンテーターの根拠は何だったのか。

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しばき隊が沖縄県那覇市に入り込んでいる可能性が有ります。沖縄より写真が送られてきました。三人が確認しましたが即時にしばき隊○○氏と即答しました。

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時事問題や国際問題などへの非常識さを露呈していた玉川徹、この男は統一教会と北朝鮮に近かったのだろう。

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加藤氏、5類引き下げ「現時点で現実的でない」「必要に応じ検討」…「いつまで検討!」「じゃなんで外国人入れる?」

 


20人死んだ鉱山事故でも「死者2人」と発表…日本に逃げ込んだ中国“超大物ジャーナリスト”が暴いた闇(文春オンライン)

2022年09月10日 20時49分07秒 | 全般

以下は今しがた発見した石平太郎さんのツイートからである。
@liyonyon
20人死んだ鉱山事故でも「死者2人」と発表…日本に逃げ込んだ中国“超大物ジャーナリスト”が暴いた闇(文春オンライン)

#Yahooニュース
news.yahoo.co.jp
20人死んだ鉱山事故でも「死者2人」と発表…日本に逃げ込んだ中国“超大物ジャーナリスト”が暴いた闇(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
日本にただいま潜伏中…国営放送CCTVの元編集委員「中国の池上彰」がぶちまける中国メディアの内情 から続く
20人死んだ鉱山事故でも「死者2人」と発表…日本に逃げ込んだ中国“超大物ジャーナリスト”が暴いた闇
 かつて中国の国営放送CCTV(中国中央電視台)の人気報道ドキュメンタリー番組の解説員(編集委員)として中国全土で広く名が知られた、中国の改革派の大物ジャーナリストである王志安。彼は中国国内での活動が困難になった2019年末から日本に拠点を移している。

 前編の記事に引き続き、中国メディアの裏事情と、今年秋の党大会で異例の3期目に突入することが有力視されている習近平政権と中国の未来について語ってもらった(全2回の2回目/記事前編や王志安の略歴については こちら から)。

◆ ◆ ◆

中国メディアが輝いていた時代
2014年1月25日の『新京報』紙面。習近平の中央国家安全委員会主席就任を報じる見出しの下に、時代劇の皇帝の写真を載せた嫌がらせ。気骨のある時代の中国メディアはしばしばこうしたことをおこなっていた。

──習近平政権の成立から約10年が経ち、中国では現在の言論状況が自明の前提のようになっています。ただ、実はそれ以前は中国にもそれなりに言論の自由があり、改革開放政策のもとで時事評論や調査報道の文化も花開いていました。

王:江沢民の時代(1990年代なかば~2002年)が黄金時代です。まず紙媒体の世界では雑誌『南方週末』『南方都市報』などからなる南方報業グループが有力で、ここはその後の中国のメディア業界を担う人材のブートキャンプ(注.原文は「黄埔軍校」)でもあった。北京の『新京報』や上海の『澎湃新聞』などの編集者や記者などの人材は、いずれもここから出たんです。

──習近平政権の成立前は、日本の報道でも名前を聞いたような自由派の中国メディアばかりですね。もっとも、体制と近い『澎湃新聞』以外は、最近は元気がない印象ですが……。

王:もうひとつの人材のブートキャンプが、雑誌『財経』です。こちらは創業者の胡舒立が過去にニューヨーク・タイムズで働いていた経験もあって、実は前出の南方系メディアよりレベルが高かったのですが、記者の給料が安かった。なので商業的には後塵を拝しました。

──やがて胡舒立が創刊した『財新』は、2020年冬の新型コロナのパンデミック初期にもいい報道を連発しています。習近平体制下ではめずらしい動きです。

王:現在、まだ調査報道がやれる中国国内のメディアは『財新』くらいですよ。さておき、南方系メディアも『財新』も、江沢民時代に生まれたものでした。いっぽう、テレビの分野で調査報道で活躍したのが、私も所属したCCTV新聞評論部(ニュース評論部)なのです。
天安門の生き残りが社会の中枢に食い込む
──CCTVは中国の国営放送です。体制側メディアの筆頭ではありませんか?

王:その通り。CCTVは巨大な官僚機構にして「党の喉と舌」(プロパガンダ機関)です。ただ、1990年代には改革の気風の影響が強く、「観察と思考」「焦点訪談」「東方時空」など優れた報道番組を作っていたのです。

 特に「焦点訪談」や「東方時空」は、CCTVの他の部門から独立していて、社内の審査基準が適用されていませんでした。人事採用も独自のものがあり、戸籍や档案(注.中国政府が記録している個人の経歴や思想を記した秘密データ)を参照せずに人を採っていました。

──なるほど、王志安さんもその結果として採用された。

王:そういうことです。人から「なぜ天安門デモに参加した君がCCTVに就職できたんだ?」と聞かれることもありますが、当時のCCTV新聞評論部は社内の「特別区」です。档案にどういう事情があっても、採用側が使えると思った人間を採用していました。

 なので、CCTV調査部が中国の調査報道の人材のブートキャンプたり得たのです。私たちはCCTVに籍を置いてはいましたが、それは(体制側に転向したと)恥じることではなくて、むしろ最もいい環境で調査報道のプロとして育ててもらえたんです。

──もしかして、当時の中国ジャーナリズム業界で輝いていた各社には、パージを免れた天安門参加者がかなり多く参加していたのでは?

王:ええ。黄金期の中国メディアを支えた人材は、天安門の経験者がかなり多いですよ。ただ、誰が参加したかは、詳しいことは言えません。まだ働いている人に迷惑をかけますし、彼らがネットで吊るし上げられることになります。とはいえ、あの運動への共感は、やはり心のなかにある人もいるでしょうね。

 メディアに限らず現代中国の社会のいろいろな分野を、天安門世代が作ったことは確かです。あの運動は途中から(党内の)政争の犠牲になった面があるのですが、その点を措けば、私たちは参加したことを後悔していないし、青春を燃やし尽くしたと思っています。
食品偽装の一部始終を撮った!
──CCTVの調査記者時代はどんな報道をされていたのですか。

王:そうですね、たくさんありますが……。たとえば鉱山事故が起きた場合に、実際は20人が亡くなった重大事故でも、政府の調査を嫌がって(鉱山や地方政府が)「犠牲者2人」などと発表する例があるわけです。実際の犠牲者の遺体はひそかに焼いてしまい、遺族にすこしカネを握らせて黙らせる。1990年代の中国では多かった話です。こういう事件をしっかり調査して、実態を伝えるようにしていました。

──特に思い出深い仕事を教えて下さい。

王:たとえば1990年代、中国の道路ではあちこちに料金所が乱立していて、通行料をむしり取っていました(「乱収費」)。そこで、CCTV新聞評論部では記者にトラック運転手のふりをさせて、運転席の後ろに隠しカメラを設置して、中国の北から南まで走らせた(笑)。料金所の職員が徴収の理由を喋る様子もすべて撮りました。番組が放送されたときは、かなり大きな話題になりましたね。

 あと、食品偽装問題です。前年の月餅の餡を使いまわして売る、ハムをDDTで消毒する、豆腐皮(中国版の湯葉)の食感をよくするためにステアタイト粉をまぶす……。当時、そういう業者に覆面取材を仕掛けて、食品偽装をやる過程をぜんぶ撮ったりしていました。

──実にいいですねえ(笑)。

王:それだけで終わりませんよ。現地の地方政府が悪徳業者を守る様子も撮るわけです。まず、村にある屋外放送スピーカーにカメラを向けてですね、現地の地方政府に「私たちはCCTVの『焦点訪談』の記者です。あなたがたの村で食品偽装をやっていると聞きまして……」と、わざと電話をする。すると数分後、村の屋外放送スピーカーから「お前たち気をつけろ! CCTVの記者が嗅ぎ回っている。マズいものは全部隠せ!」と放送が流れるんです。

──その放送が流れる様子も撮ったわけですね。

王:撮りましたとも、一部始終を(笑)。ですから、当時の私たちの仕事は世間の人からずいぶん感謝されたものです。それに、当時の指導者の江沢民総書記や朱鎔基総理も放送を見ていました。江総書記が番組で問題を取り上げられた地方政府に直接電話を入れた例もありますし、朱総理がCCTVを視察した際に「焦点訪談」の番組を名指しで褒めてもらったこともあります。
北京市の「救急車腐敗」の報道に圧力が
──現在からは信じられない話です。2017年にCCTVを退社された理由を教えてください。

王:ふたつあります。ますひとつは、ネットメディアの台頭とテレビメディアの没落です。CCTVの影響力が徐々に落ちているのは、現場の肌感覚として覚えていましたから。ただ、もうひとつの理由は報道内容の制限がどんどん強まったことです。やりたい報道ができない、やった取材が報じられない……。

──往年のようなことは難しくなった。

王:ええ。CCTVで最後に、北京市の救急車問題をやったんですよ。普通、救急搬送はできるだけ近い病院に送ったほうが望ましいですよね。しかし、北京市の救急車は、まず自分の病院に送る。それから患者の支払い能力を見て、カネになるなら自分の病院で受け入れ、カネにならないようなら他の病院に送るんです。

 ひどい話でしょう? しかも北京市は広大です。仮に近くに他の病院があっても無視して、現場から50キロ離れた自分の病院に向けて搬送するんです。長い移動の途中で急病人や怪我人が死んだとしてもお構いなしです。

──それって、現在の話ですか?

王:2016年の話ですが、結果的には現在まで改善されていません。私はそれを取材して救急車の闇を暴いたのですが、放送が許されなかったんですよ。それでCCTVに絶望しました。抗議のため出社を拒否してから1年後、「社に来るか辞めるかを選べ」と聞かれたので、退職を選びました。

中国共産党「要注意人物リスト」の怪
──現在、王さんは中国政府の「リスト」(名単)の第2グループに属すると聞きました。

王:ええ。このリストの第1グループは出国それ自体が禁じられています。私はいちおう(要監視の)第2グループですが、いまはもう中国に帰国したくないですね。いちど帰ると、もう出国できないかもしれません。

──たとえば天安門事件のリーダーの王丹みたいな人は、第1グループになるわけですか。

王:いや、それは違います。この「リスト」は、反体制的な人物だけが載るわけではないんですよ。たとえば毛沢東の晩年の秘書の張玉鳳は、なにか政治的な意見を持っているわけではありませんが、回顧録を書いたり出国したりするのは絶対に許さないということで、リストの第1グループに入っています。

 かつて、毛沢東の主治医の李志綏が海外で刊行した回顧録(『 毛沢東の私生活 』)が中国共産党に大打撃を与えてから、決まりが整備されたんです。重要な国家機密を知っている人間は、出国してはいけないわけです。

日本人記者への監視は意外とユルい?
──当然、中国共産党は日本人の記者も監視対象にしていますよね?

王:言うまでもありません。

──しかし不思議です。私は昨年10月、過激な言動で知られる 中国の駐大阪総領事を取材した のですが、彼らは当時、私の身元をほぼ調べずに取材をOKして総領事館に入れているんです。大使館ではない末端の総領事館とはいえ、私をまったく警戒していなかったのはかなり意外でした。

王:その総領事は日本の事情を理解していない人なんでしょう。 ──てっきり、中国側には在外公館に来る人物をすべてサーチできる、全世界の要注意人物をチェックするデータベースみたいなものがあるだろうと思っていましたが。 王:私の感覚だと、そういうものがあるかは微妙ですね。もし、あなたが中国に駐在する特派員なら、彼らはすでにある監視メソッドにしたがってきっちり監視します。どの場所に行ってはならない(という基準もあり)、取材時にはおそらく尾行がつく。  ただ、中国国外にいる外国人記者となると、どうでしょうか……? 中国の指導者のスキャンダルを暴いて国際的なベストセラーになるなどして、世界レベルの知名度がある人ならリストアップされるかもしれませんが、そうでもなければ大丈夫だと思います。旅行での入国ならなおさらです。 ──「リスト」第2グループの当事者がそう言うと説得力があります。 王:要注意外国人リストがあったとしても、名を記されている人は非常に少ないと思います。そもそも、中国が必死でチェックしているのはCNNやBBCなどの欧米媒体で、日本のメディアはそれほど真面目に見てはいないのです。 ◆  現在発売中の「文藝春秋」10月号にも王志安インタビュー「『中国の池上彰』への言論弾圧」(聞き手・安田峰俊)が掲載されています。ぜひあわせてご覧ください。

 現在発売中の「文藝春秋」10月号にも王志安インタビュー「『中国の池上彰』への言論弾圧」(聞き手・安田峰俊)が掲載されています。ぜひあわせてご覧ください。

 


マスコミも野党もこれをほとんど追求しない。不正受給問題もよく起きる。安倍総理の国葬の費用よりははるかに額も多いこの問題を何故追求しないのか。

2022年09月10日 20時40分31秒 | 全般

以下は今しがた発見した田母神俊雄氏のツイートからである。
@toshio_tamogami
外国人に年間1200億円の生活保護費が支給されている。
外国人に生活保護費を出す国は日本だけだ。
生活できない外国人は本国送還が世界の常識だ。
マスコミも野党もこれをほとんど追求しない。
不正受給問題もよく起きる。
安倍総理の国葬の費用よりははるかに額も多いこの問題を何故追求しないのか。

 


Mais ils veulent toujours écrire des mensonges. Ils veulent aussi premier ministre.

2022年09月10日 20時38分37秒 | 全般

Ce qui suit est tiré de la chronique sérialisée de Masayuki Takayama qui a marqué la fin de Weekly Shincho, sorti le 8 septembre. Cet article prouve aussi qu'il est le seul et unique journaliste du monde d'après-guerre. C'est une lecture incontournable non seulement pour les Japonais mais aussi pour les gens du monde entier. Pour une raison quelconque, j'ai acheté le numéro de cette semaine et je ne l'ai jamais lu, mais il n'est pas exagéré de dire que cet article est l'un des chefs-d'œuvre de Masayuki Takayama. Si j'étais membre du comité de sélection du prix Nobel de littérature, je le nommerais sans la moindre hésitation. L'Asahi Shimbun révèle ses véritables intentions dans le POST Senryū est bon. Ils sont plus profonds que le haïku, un excellent moyen d'apprendre l'histoire, et ils sont drôles. Qu'y a-t-il de drôle dans "Dénouez le nœud / et il deviendra plus long" ? Cela rime magnifiquement avec "Attrapez un voleur, et vous découvrirez que c'est mon fils. Shinran et Kobo / Pardonnez les deux faces d'une même médaille" est un peu plus compliqué. Kukai était censé aller sous la dynastie Tang au IXe siècle, et en vingt ans, il était censé maîtriser les secrets du bouddhisme. Mais il "a compris tout le monde en deux ans", alors il est retourné au Japon et a fondé la secte Shingon sur Koyasan. Il comprenait les personnes LGBT à cette époque, et au lieu d'interdire les femmes, il a autorisé les enfants. Il était également le fondateur de Shudo. Shinran a fondé la secte Jodo Shinshu, qui a levé l'interdiction des délinquantes et a permis aux prêtres d'épouser leurs femmes, ce que Kukai ne pouvait pas faire. Il a épousé Eshin Bhikkhunī et a eu un enfant. En d'autres termes, Kukai a autorisé les rapports sexuels masculins et Shinran a autorisé des rapports sexuels réguliers avec sa femme. Tetsuo Ebata de la All Japan Senryū Association a critiqué dans le numéro d'octobre de « Seiron » que « Asahi Senryū de Nishiki Kujin a déshonoré une telle profondeur de Senryū. Ebata souligne que les "sept œuvres sélectionnées" de l'Asahi Senryū, publiées peu après qu'une balle a tué l'ancien Premier ministre Abe, "sont de la propagande politique déguisée en Senryū. Ils sont vraiment terribles. "Un pays où une personne suspecte reçoit des funérailles nationales", "Combien de temps Sontaku continuera-t-il dans l'au-delà ?" "Oh, j'ai bien peur que ce soit ainsi que l'histoire se fasse." La mort d'un ancien premier ministre est moquée et humiliée. Il n'y a ni élégance ni esprit. Même le Chosun Ilbo et Weibo ne sont pas si mauvais. Cette colonne s'appelle "Reader Post". Cependant, alors que d'autres journaux ont une colonne "Senryū" avec des articles pleurant la mort de l'ancien Premier ministre, il n'y en a pas dans cette colonne.Ebata doute sincèrement qu'elle n'ait pas pu obtenir un tel résultat avec un journal généraliste qui n'était pas un organe de parti politique. Le sélectionneur, Nishiki Kuijin, de son vrai nom Wataru Kurita, est un ancien journaliste d'Asahi. Il est un ancien journaliste d'Asahi en charge de Tenseijingo et gagne toujours sa vie chez Asahi. Il y a dix ans, le Premier ministre Abe a souligné que "le problème des femmes de réconfort est né du fait qu'Asahi a répandu des mensonges sur le fraudeur Seiji Yoshida". En conséquence, le président de l'Asahi Shimbun a été limogé. Asahi a également réduit de moitié le nombre d'exemplaires et est passé au papier de troisième ordre. Depuis lors, Seiki Nemoto et ses collègues ont été frénétiques à propos de la devise de l'entreprise, "Tenez les funérailles d'Abe". "Morikake" et "Sontaku" sont tous deux des histoires de diffamation créées par Nemoto. Et lorsque les résultats de cette frénésie ont été révélés, Nishiki a reçu une montagne de Senryū conformément au slogan de l'entreprise d'Asahi. C'est comme un tour de magie", soupçonne Ebata. Il n'y avait pas de messages. Je suis tout à fait d'accord avec l'idée que quelqu'un dans l'entreprise se soit fait passer pour l'affiche. Mais qui l'a fait ? La moitié d'entre eux ont probablement été écrits par Nishiki. Et puis il y en avait un de Tetsufumi Arita ou Toshihiro Yamanaka, qui était en charge de Tenseijingo. Lorsque Tatsuya Iwase a révélé que Katsuichi Honda avait épongé Recrue, Honda a calomnié Iwase en quatre couches, en disant: "le plus bas de tous les êtres humains, inférieur à une prostituée, la lie d'un être humain vraiment méprisable dans le vrai sens du mot." C'était une habitude de Honda, mais de la même manière, les modèles uniques d'une personne apparaissent dans ses écrits. Le mot « tel » dans la phrase « La personne suspectée est un enterrement d'État, le Japon est un tel pays » apparaît fréquemment dans les Tenseijingo récents. Le « tel » sans signification est commun à tous. Yuzuru Tsuboi, responsable des "particules élémentaires" du Evening Bulletin, a également écrit une phrase. Sa phrase, "Jusqu'où Sontaku continuera...", est typique de lui. Le lendemain de l'incident, Tsuboi a écrit un article sarcastique dans "Elementary Particles", dans lequel il riait de la mort de l'ancien Premier ministre et demandait : "Qu'en est-il de la vérification de la politique de Sontaku ? Il a une histoire avec l'ancien premier ministre. Lors d'un débat entre les chefs de parti, le Premier ministre Abe l'a réprimandé en disant: "Asahi ne rapporte pas de faits gênants", et il était presque incontinent. Depuis lors, il calomnie violemment Abe. Si Nishiki lui avait demandé de le faire, il aurait volontiers déformé une phrase. Mais pourquoi un journaliste à part entière se fait-il passer pour une affiche ? En fait, dans le passé, Asahi a écrit des mensonges malveillants et des articles calomnieux sur les femmes de réconfort et d'autres sujets à sa guise, entraînant le limogeage de cinq présidents, de Seiki Watanabe et Toichiro Ichiyanagi à Tadakazu Kimura. Il n'y a pas eu un seul cas de ce genre dans aucune autre entreprise. C'est un journal terrible. Comme prévu, les journalistes d'Asahi ne peuvent plus écrire des mensonges transparents et des articles diffamatoires comme ils le souhaitent. Mais ils veulent toujours écrire des mensonges. Ils veulent aussi calomnier l'ancien premier ministre. Ainsi, il semble qu'ils aient commencé à écrire leurs véritables intentions sous le couvert d'un message.

 


Nhưng họ vẫn muốn viết những lời nói dối. Họ cũng muốn vu khống cựu thủ tướng.

2022年09月10日 20時36分57秒 | 全般

Sau đây là từ chuyên mục đăng nhiều kỳ của Masayuki Takayama đánh dấu sự kết thúc của Weekly Shincho, phát hành vào ngày 8 tháng 9. Bài báo này cũng chứng minh rằng ông là nhà báo duy nhất trong thế giới thời hậu chiến. Đây là cuốn sách phải đọc không chỉ đối với người dân Nhật Bản mà còn đối với mọi người trên toàn thế giới. Vì lý do nào đó, tôi đã mua số báo tuần này và chưa bao giờ đọc nó, nhưng không quá lời khi nói rằng bài báo này là một trong những kiệt tác của Masayuki Takayama. Nếu tôi là thành viên của ủy ban tuyển chọn giải Nobel Văn học, tôi sẽ đề cử anh ấy mà không một chút do dự. Asahi Shimbun tiết lộ ý định thực sự của mình trong BÀI ĐĂNG Senryū là tốt. Chúng sâu sắc hơn haiku, một cách tuyệt vời để tìm hiểu về lịch sử, và chúng rất hài hước. Có gì vui khi "Cởi nút thắt / và nó sẽ trở nên dài hơn"? Nó có vần điệu tuyệt vời với "Hãy bắt một tên trộm, và bạn sẽ thấy nó là con trai của tôi. Shinran và Kobo / Tha thứ cho hai mặt của cùng một đồng xu ”thì phức tạp hơn một chút. Kukai được cho là đã đến triều đại nhà Đường vào thế kỷ thứ chín, và trong hai mươi năm, ông được cho là đã nắm vững các bí mật của Phật giáo. Nhưng anh ấy "hiểu hết mọi người trong hai năm", vì vậy anh ấy trở về Nhật Bản và thành lập giáo phái Shingon trên Koyasan. Anh ấy hiểu những người LGBT trong thời đại đó, và thay vì cấm phụ nữ, anh ấy cho phép trẻ em. Ông cũng là người sáng lập Shudo. Shinran thành lập giáo phái Jodo Shinshu, giáo phái này dỡ bỏ lệnh cấm phụ nữ phạm tội và cho phép các linh mục lấy vợ của họ, điều mà Kukai không thể làm. Ông kết hôn với Eshin Bntichunī và có một đứa con. Nói cách khác, Kukai cho phép nam giới quan hệ tình dục, và Shinran cho phép quan hệ tình dục thường xuyên với vợ mình. Tetsuo Ebata của Hiệp hội Senryū toàn Nhật Bản đã chỉ trích trên tạp chí "Seiron" số tháng 10 rằng "Asahi Senryū của Nishiki Kujin đã làm xấu mặt Senryū. Ebata chỉ ra rằng “bảy tác phẩm được chọn lọc” của Asahi Senryū, được xuất bản ngay sau khi một viên đạn giết chết cựu Thủ tướng Abe, “là những tuyên truyền chính trị trá hình dưới tên Senryū. Chúng thực sự khủng khiếp. "Một đất nước mà một người bị nghi ngờ được tổ chức tang lễ cấp nhà nước", "Sontaku sẽ tiếp tục đến thế giới tiếp theo trong bao lâu?" "Ồ, tôi sợ đây là cách lịch sử được tạo ra." Cái chết của một cựu thủ tướng bị chế giễu và nhục nhã. Không có sự sang trọng cũng không phải là sự dí dỏm. Ngay cả Chosun Ilbo và Weibo cũng không tệ đến mức này. Cột này được gọi là "Bài đăng của Người đọc". Tuy nhiên, trong khi các tờ báo khác có chuyên mục "Senryū" với các bài đăng thương tiếc cái chết của cựu thủ tướng, thì không có mục nào trong chuyên mục này.Ebata thành thật nghi ngờ rằng nó không thể đạt được kết quả như vậy với một tờ báo tổng hợp không phải là cơ quan của đảng chính trị. Người chọn, Nishiki Kuijin, tên thật là Wataru Kurita, là một cựu nhà báo Asahi. Anh ấy là cựu phóng viên Asahi phụ trách Tenseijingo và vẫn kiếm sống tại Asahi. Mười năm trước, Thủ tướng Abe đã chỉ ra rằng "vấn đề phụ nữ thoải mái bắt nguồn từ việc Asahi phát tán những lời nói dối về kẻ lừa đảo Seiji Yoshida." Kết quả là chủ tịch của Asahi Shimbun đã bị sa thải. Asahi cũng giảm một nửa số lượng bản sao và giảm xuống loại giấy hạng ba. Kể từ đó, Seiki Nemoto và các đồng nghiệp của anh ấy đã điên cuồng thực hiện phương châm của công ty, "Tổ chức lễ tang của Abe. '' "Morikake" và "Sontaku" đều là những câu chuyện bôi nhọ do Nemoto tạo ra. Và khi kết quả của sự điên cuồng này được tiết lộ, Nishiki đã nhận được một núi Senryū phù hợp với khẩu hiệu của công ty Asahi. Nó giống như một trò ảo thuật ”, Ebata nghi ngờ. Không có bài viết nào. Tất cả tôi đều nghĩ rằng ai đó trong công ty đã giả làm người đăng ảnh. Nhưng ai đã làm điều đó? Một nửa trong số chúng có lẽ được viết bởi Nishiki. Và sau đó là một của Tetsufumi Arita hoặc Toshihiro Yamanaka, người phụ trách Tenseijingo. Khi Tatsuya Iwase tiết lộ rằng Katsuichi Honda đã đánh lừa Recruit, Honda đã vu khống Iwase tới 4 lớp, nói rằng, "kẻ thấp nhất trong tất cả loài người, thấp hơn cả gái điếm, cặn bã của một con người thực sự đáng khinh theo đúng nghĩa của từ này." Đó là một thói quen của Honda, nhưng theo cách tương tự, các mẫu độc đáo của một người xuất hiện trong các tác phẩm của anh ta. Từ "như vậy" trong câu "Người bị tình nghi là quốc tang, Nhật Bản là một quốc gia như vậy" thường xuyên xuất hiện trên Tenseijingo gần đây. "Như vậy" vô nghĩa là chung cho tất cả chúng. Yuzuru Tsuboi, người phụ trách "Các hạt cơ bản" của Bản tin Buổi tối, cũng đã viết một cụm từ. Câu nói của anh ấy, "Sontaku sẽ tiếp tục bao xa ...," là điển hình của anh ấy. Một ngày sau khi vụ việc xảy ra, Tsuboi đã viết một bài báo châm biếm trên tờ "Elementary Particles", trong đó anh ta cười nhạo cái chết của cựu thủ tướng và hỏi, "Còn việc xác minh chính trị của Sontaku thì sao? Ông có một lịch sử với cựu thủ tướng. Tại một cuộc tranh luận giữa các nhà lãnh đạo đảng, Thủ tướng Abe đã khiển trách ông, nói rằng, "Asahi không báo cáo những sự thật bất tiện" và ông gần như không kiềm chế được. Kể từ đó, anh ta đã vu khống Abe một cách ác độc. Nếu Nishiki yêu cầu anh ta làm như vậy, anh ta sẽ vui mừng vặn vẹo một cụm từ. Nhưng tại sao một phóng viên chính thức lại giả làm người đăng bài? Trên thực tế, trong quá khứ, Asahi đã viết những bài báo dối trá ác ý và vu khống về phụ nữ thoải mái và các chủ đề khác theo ý muốn, dẫn đến việc sa thải năm tổng thống, từ Seiki Watanabe và Toichiro Ichiyanagi đến Tadakazu Kimura. Chưa có một trường hợp nào như vậy ở bất kỳ công ty nào khác. Đó là một tờ báo khủng khiếp. Như mong đợi, các phóng viên của Asahi không còn có thể viết những bài báo dối trá và vu khống minh bạch như họ muốn. Nhưng họ vẫn muốn viết những lời nói dối. Họ cũng muốn vu khống cựu thủ tướng. Vì vậy, có vẻ như họ bắt đầu viết ra những ý định thực sự của mình dưới vỏ bọc của một bài đăng.

 


但他們仍然想寫謊言。 他們還想誹謗這位前總理。

2022年09月10日 20時35分17秒 | 全般

以下是9月8日發行的標誌著周刊新潮結束的高山雅之連載專欄。 這篇文章也證明了他是戰後世界唯一的記者。 它不僅是日本人的必讀之書,也是全世界人民的必讀之書。 不知為何,我買了這期的一期,一直沒看,但毫不誇張地說,這篇文章是高山雅之的代表作之一。 如果我是諾貝爾文學獎評選委員會的成員,我會毫不猶豫地提名他。 朝日新聞在 POST 中揭示了它的真實意圖 千龍不錯。 它們比俳句更深刻,是了解歷史的絕佳方式,而且很有趣。 《解開結/它會變長》有什麼好笑的? 它與“抓住一個小偷,你會發現他是我的兒子”很好地押韻。 Shinran 和 Kobo / 原諒同一枚硬幣的兩個面”有點複雜。 空海本應在九世紀去唐朝,二十年後,本應掌握佛教的秘密。 但他“在兩年內了解了所有人”,所以他回到日本,在高野山創立了真言宗。 他了解那個時代的 LGBT 人群,他沒有禁止女性,而是允許孩子。 他也是修道的創始人。 Shinran創立了Jodo Shinshu教派,取消了對女性罪犯的禁令,並允許僧侶娶妻,這是Kukai無法做到的。 他與艾辛比丘尼結婚並生了一個孩子。 換言之,空海允許男性發生性行為,而真蘭則允許與妻子定期發生性行為。 全日本千龍協會的江畑哲男在 10 月號的《正論》中批評說,“錦九人的朝日千龍讓千龍的深奧蒙羞。 江畑指出,在前首相安倍被子彈擊斃後不久出版的《朝日千龍》的“七部選集”“是偽裝成千龍的政治宣傳。 他們確實很可怕。 “一個為嫌疑人舉行國葬的國家”,“Sontaku將在下一個世界繼續多久?” “哦,恐怕歷史就是這樣創造的。” 一位前總理的死被嘲笑和羞辱。 既沒有優雅也沒有機智。 即使是朝鮮日報和微博也沒有那麼糟糕。 此欄目稱為“讀者帖”。 然而,雖然其他報紙有一個“Senryū”專欄,其中有悼念前總理去世的帖子,但這個專欄中沒有。Ebata誠實地懷疑,如果不是政黨機關的一般報紙,它不可能取得這樣的成績。 選拔人錦葵人,本名栗田涉,原朝日新聞記者。 他是負責轉生神社的前朝日記者,至今仍以朝日為生。 十年前,安倍首相指出“慰安婦問題源於朝日散佈關於騙子吉田誠司的謊言”。 結果,朝日新聞社社長被免職。 朝日也將份數減半,降至三流紙張。 從那時起,Seiki Nemoto 和他的同事們一直對公司的座右銘“為安倍舉行葬禮”感到瘋狂。 “Morikake”和“Sontaku”都是Nemoto創作的塗抹故事。 而當這場狂熱的結果被揭露出來時,錦收到了一座符合朝日公司口號的千龍山。 這就像魔術一樣,”江畑懷疑道。 沒有帖子。 我完全贊成公司裡有人冒充海報的想法。 但是誰幹的? 其中一半可能是錦寫的。 然後是負責轉生神宮的有田哲文或山中俊博的作品。 當岩瀨達也透露本田克一吸納瑞克魯特時,本田對岩瀨進行了四層誹謗,稱“人類中最低等的,比妓女還低,真正意義上的卑鄙人類的渣滓”。 這是本田的一種習慣,但同樣地,一個人的獨特模式也會出現在他的作品中。 “疑似國葬,日本就是這樣的國家”這句話中的“這樣”這個詞在最近的轉生神語中頻繁出現。 毫無意義的“這樣”是他們所有人的共同點。 負責晚報“基本粒子”的 Yuzuru Tsuboi 也寫了一段話。 他的短語“Sontaku 將繼續多遠……”是他的典型代表。 事發後的第二天,坪井在《基本粒子》中寫了一篇諷刺文章,在文中嘲笑前首相的死,並問道:“宋塔政治的驗證呢? 他與前總理有淵源。 在黨內領導人的辯論中,安倍首相斥責他說,“朝日不報告不方便的事實”,他幾乎失禁。 從那以後,他一直在惡毒地誹謗安倍。 如果錦讓他這樣做,他會很樂意扭曲一個詞組。 但是,一個成熟的記者為什麼要偽裝成海報呢? 事實上,朝日在過去曾隨心所欲地撰寫關於慰安婦等話題的惡意謊言和誹謗文章,導致從渡邊聖樹、一柳藤一郎到木村忠和的五位總統被解職。 其他任何一家公司都沒有發生過這樣的案例。 這是一份可怕的報紙。 果然,朝日的記者們再也不能隨心所欲地寫透明的謊言和誹謗文章了。 但他們仍然想寫謊言。 他們還想誹謗這位前總理。 因此,似乎他們開始打著帖子的幌子寫下他們的真實意圖。

 


外国人に年間1200億円の生活保護費が支給されている。外国人に生活保護費を出す国は日本だけだ。生活できない外国人は本国送還が世界の常識だ。

2022年09月10日 20時34分38秒 | 全般

以下は今しがた発見した田母神俊雄氏のツイートからである。
@toshio_tamogami
外国人に年間1200億円の生活保護費が支給されている。
外国人に生活保護費を出す国は日本だけだ。
生活できない外国人は本国送還が世界の常識だ。
マスコミも野党もこれをほとんど追求しない。
不正受給問題もよく起きる。
安倍総理の国葬の費用よりははるかに額も多いこの問題を何故追求しないのか。

 


但他们仍然想写谎言。 他们还想诽谤这位前总理。

2022年09月10日 20時30分04秒 | 全般

以下是9月8日发行的标志着周刊新潮结束的高山雅之连载专栏。 这篇文章也证明了他是战后世界唯一的记者。 它不仅是日本人的必读之书,也是全世界人民的必读之书。 不知为何,我买了这期的一期,一直没看,但毫不夸张地说,这篇文章是高山雅之的代表作之一。 如果我是诺贝尔文学奖评选委员会的成员,我会毫不犹豫地提名他。 朝日新闻在 POST 中揭示了它的真实意图 千龙不错。 它们比俳句更深刻,是了解历史的绝佳方式,而且很有趣。 《解开结/它会变长》有什么好笑的? 它与“抓住一个小偷,你会发现他是我的儿子”很好地押韵。 Shinran 和 Kobo / 原谅同一枚硬币的两个面”有点复杂。 空海本应在九世纪去唐朝,二十年后,本应掌握佛教的秘密。 但他“在两年内了解了所有人”,所以他回到日本,在高野山创立了真言宗。 他了解那个时代的 LGBT 人群,他没有禁止女性,而是允许孩子。 他也是修道的创始人。 Shinran创立了Jodo Shinshu教派,取消了对女性罪犯的禁令,并允许僧侣娶妻,这是Kukai无法做到的。 他与艾辛比丘尼结婚并生了一个孩子。 换言之,空海允许男性发生性行为,而真兰则允许与妻子定期发生性行为。 全日本千龙协会的江畑哲男在 10 月号的《正论》中批评说,“锦九人的朝日千龙让千龙的深奥蒙羞。 江畑指出,在前首相安倍被子弹击毙后不久出版的《朝日千龙》的“七部选集”“是伪装成千龙的政治宣传。 他们确实很可怕。 “一个为嫌疑人举行国葬的国家”,“Sontaku将在下一个世界继续多久?” “哦,恐怕历史就是这样创造的。” 一位前总理的死被嘲笑和羞辱。 既没有优雅也没有机智。 即使是朝鲜日报和微博也没有那么糟糕。 此栏目称为“读者帖”。 然而,虽然其他报纸有一个“Senryū”专栏,其中有悼念前总理去世的帖子,但这个专栏中没有。Ebata诚实地怀疑,如果不是政党机关的一般报纸,它不可能取得这样的成绩。 选拔人锦葵人,本名栗田涉,原朝日新闻记者。 他是负责转生神社的前朝日记者,至今仍以朝日为生。 十年前,安倍首相指出“慰安妇问题源于朝日散布关于骗子吉田诚司的谎言”。 结果,朝日新闻社社长被免职。 朝日也将份数减半,降至三流纸张。 从那时起,Seiki Nemoto 和他的同事们一直对公司的座右铭“为安倍举行葬礼”感到疯狂。 “Morikake”和“Sontaku”都是Nemoto创作的涂抹故事。 而当这场狂热的结果被揭露出来时,锦收到了一座符合朝日公司口号的千龙山。 这就像魔术一样,”江畑怀疑道。 没有帖子。 我完全赞成公司里有人冒充海报的想法。 但是谁干的? 其中一半可能是锦写的。 然后是负责转生神宫的有田哲文或山中俊博的作品。 当岩濑达也透露本田克一吸纳瑞克鲁特时,本田对岩濑进行了四层诽谤,称“人类中最低等的,比妓女还低,真正意义上的卑鄙人类的渣滓”。 这是本田的一种习惯,但同样地,一个人的独特模式也会出现在他的作品中。 “疑似国葬,日本就是这样的国家”这句话中的“这样”这个词在最近的转生神语中频繁出现。 毫无意义的“这样”是他们所有人的共同点。 负责晚报“基本粒子”的 Yuzuru Tsuboi 也写了一段话。 他的短语“Sontaku 将继续多远……”是他的典型代表。 事发后的第二天,坪井在《基本粒子》中写了一篇讽刺文章,在文中嘲笑前首相的死,并问道:“宋塔政治的验证呢? 他与前总理有渊源。 在党内领导人的辩论中,安倍首相斥责他说,“朝日不报告不方便的事实”,他几乎失禁。 从那以后,他一直在恶毒地诽谤安倍。 如果锦让他这样做,他会很乐意扭曲一个词组。 但是,一个成熟的记者为什么要伪装成海报呢? 事实上,朝日在过去曾随心所欲地撰写关于慰安妇等话题的恶意谎言和诽谤文章,导致从渡边圣树、一柳藤一郎到木村忠和的五位总统被解职。 其他任何一家公司都没有发生过这样的案例。 这是一份可怕的报纸。 果然,朝日的记者们再也不能随心所欲地写透明的谎言和诽谤文章了。 但他们仍然想写谎言。 他们还想诽谤这位前总理。 因此,似乎他们开始打着帖子的幌子写下他们的真实意图。

 


그러나 그들은 여전히 ​​거짓말을 쓰고 싶어합니다. 그들은 또한 전 총리를 비방하고 싶어합니다.

2022年09月10日 20時28分36秒 | 全般

다음은 9월 8일에 공개된 주간 신초의 종영을 알리는 타카야마 마사유키의 연재 칼럼에서 발췌한 것이다. 이 기사는 또한 그가 전후 세계에서 유일한 언론인임을 증명합니다. 일본인뿐만 아니라 전 세계인이 꼭 읽어야 할 필독서입니다. 어쩐지 이번 주 호를 사서 한 번도 읽지 않았지만, 이 글이 다카야마 마사유키의 걸작 중 하나라고 해도 과언이 아니다. 내가 노벨문학상 선정위원회 위원이라면 조금의 망설임도 없이 그를 지명할 것이다. 아사히신문이 POST에서 본심을 드러냈다. 센류 좋습니다. 그들은 역사에 대해 배우는 훌륭한 방법인 하이쿠보다 더 심오하고 재미있습니다. "매듭을 풀면 / 길어질 것"에 대해 재미있는 점은 무엇입니까? "도둑을 잡아라. 그러면 그가 내 아들임을 알게 될 것이다. 신란과 공방/동전의 양면을 용서하라'는 내용이 조금 더 복잡하다. Kukai는 9 세기에 당나라에 갈 예정이었고 20 년 안에 그는 불교의 비밀을 마스터해야했습니다. 그러나 그는 "2년 만에 모든 사람을 이해"하여 일본으로 돌아와 고야산에 진언종을 세웠다. 그는 그 시대의 LGBT를 이해했고, 여성을 금지하는 대신 아이들을 허용했습니다. 슈도의 창시자이기도 하다. 신란은 정토신종파를 창시하여 여성범의 금지를 해제하고 승려가 아내와 결혼할 수 있도록 허용했지만 구카이는 할 수 없었습니다. 그는 에신 비구니와 결혼하여 아이를 낳았다. 즉, 쿠카이는 남성의 성교를 허용했고, 신란은 아내와의 정기적인 성교를 허용했습니다. 전일본센류협회의 에바타 테츠오는 「세이론」 10월호에서 “니시키 쿠진의 아사히 센류가 센류의 그런 심오함을 모욕했다”고 비판했다. 에바타는 아베 전 총리가 총에 맞아 사망한 직후 출간된 아사히 센류의 '선정 7작품'이 '센류로 위장한 정치 선전'이라고 지적했다. 그들은 참으로 끔찍합니다. "피의자에게 국장을 하는 나라", "손타쿠는 언제까지 다음 세계로 갈 것인가?" "아, 역사가 이렇게 만들어지는 것 같아 두렵다." 전직 총리의 죽음은 조롱과 굴욕이다. 우아함도 위트도 없습니다. 조선일보와 웨이보도 이 정도는 아니다. 이 칼럼을 "독자 게시물"이라고 합니다. 그러나 다른 신문에는 전 총리의 죽음을 애도하는 게시물이 있는 "센류" 칼럼이 있지만 이 칼럼에는 없습니다.에바타는 정당기관이 아닌 일반신문으로 이런 성과를 낼 수 없었을지 솔직히 의문이다. 선정자 쿠이진 니시키(본명 쿠리타 와타루)는 전직 아사히 기자이다. 텐세이진고를 담당했던 전직 아사히 기자로 지금도 아사히에서 생계를 이어가고 있다. 10년 전 아베 총리는 “아사히가 발원한 위안부 문제는 사기꾼 요시다 세이지에 대한 거짓말을 퍼뜨리고 있다”고 지적했다. 그 결과 아사히신문 사장이 해임됐다. Asahi는 또한 부수를 절반으로 줄이고 3류 종이로 떨어졌습니다. 그 이후로 네모토 세이키와 그의 동료들은 회사 모토인 "아베의 장례를 치러라"에 열광했습니다. "모리카케"와 "손타쿠"는 모두 네모토가 만든 비방 이야기입니다. 그리고 이 광란의 결과가 드러났을 때 니시키에게는 아사히의 회사 슬로건에 맞춰 센류의 산을 받았다. 마치 마술 같은 것 같아요." Ebata가 의심했습니다. 게시물이 없습니다. 나는 회사의 누군가가 포스터로 가장했다는 생각에 모두 찬성합니다. 근데 누가 그랬어? 그 중 절반은 니시키가 썼을 것입니다. 그리고 텐세이진고를 담당한 아리타 테츠후미나 야마나카 도시히로의 작품이 있었다. 이와세 타츠야가 혼다 카츠이치가 리크루트에게 스폰지를 했다고 폭로하자 혼다는 이와세를 네 겹으로 비방했다. 혼다의 습관이었지만, 마찬가지로 그의 글에는 사람의 독특한 문양이 나타난다. 최근 텐세이진고에서는 '피의자는 국장, 일본은 그런 나라'라는 문구에 '그런'이라는 단어가 자주 등장한다. 무의미한 "그런"은 그들 모두에게 공통적입니다. Evening Bulletin의 '초등 입자'를 담당하고 있는 츠보이 유즈루도 한 구절을 썼다. "손타쿠는 어디까지… 사건 다음날 츠보이는 '초미세먼지'에 비꼬는 글을 써서 전 총리의 죽음을 비웃으며 "손타쿠 정치의 검증은 어쩌냐"고 물었다. 그는 전 총리와 인연이 있다. 아베 총리는 당 지도부 간 토론회에서 "아사히가 불편한 사실을 보고하지 않는다"며 그를 질책해 거의 요실금에 가까웠다. 이후 그는 아베를 악랄하게 비방해 왔다. 니시키가 그렇게 하라고 했다면 기꺼이 그 말을 비틀었을 것이다. 그런데 왜 본격 기자가 포스터인 척 하는 걸까요? 사실 아사히는 과거에 위안부 문제와 기타 주제에 대해 악의적인 거짓말과 비방 기사를 마음대로 써서 와타나베 세이키, 이치야나기 도이치로, 기무라 다다카즈에 이르기까지 5명의 대통령을 경질시켰다. 다른 회사에서는 단 한 건의 사례도 없었다. 무서운 신문입니다. 예상대로 아사히의 기자들은 더 이상 투명한 거짓말과 비방 기사를 마음대로 쓸 수 없다. 그러나 그들은 여전히 ​​​​거짓말을 쓰고 싶어합니다. 그들은 또한 전 총리를 비방하고 싶어합니다. 그래서 글을 위장해 본심을 쓰기 시작한 것 같다.그러나 그들은 여전히 ​​거짓말을 쓰고 싶어합니다.

 


加藤氏、5類引き下げ「現時点で現実的でない」「必要に応じ検討」…「いつまで検討!」「じゃなんで外国人入れる?」

2022年09月10日 20時28分07秒 | 全般

以下は今しがた発見したトータルニュースワールドのツイートからである。
@TotalWorld1
加藤氏、5類引き下げ「現時点で現実的でない」「必要に応じ検討」/ネット「病院が限界と言ってるのは非現実的なのか?」「いつまで検討!」「じゃなんで外国人入れる?」

totalnewsjp.com
加藤氏、5類引き下げ「現時点で現実的でない」「必要に応じ検討」/ネット「病院が限界と言ってるのは非現実的なのか?」「いつまで検討!」「じゃなんで外国人入れる?」
コロナの5類への引き下げ「現時点で現実的でない」 加藤厚労相2022年9月9日新型コロナの感染症法上の扱いを、季節性インフルエンザと同じ位置づけに引き下げるかどうかについて、加藤厚生労働大臣は「現時点では現実的ではない」と

 

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5万枚のパネルに囲まれ メガソーラーから濁流 「命の危険感じて転居」…福岡県飯塚市

2022年09月10日 20時24分58秒 | 全般

以下は今しがた発見した全国再エネ問題連絡会のツイートからである。
@saiene_news

5万枚のパネルに囲まれ メガソーラーから濁流 「命の危険感じて転居」

#福岡県
#メガソーラー建設反対
nishinippon.co.jp
5万枚のパネルに囲まれ メガソーラーから濁流 「命の危険感じて転居」
土がむき出しの斜面に約5万4000枚(総出力2万1600キロワット)もの太陽光パネルが並び、住宅地を取り囲んでいる。福岡県飯塚市の白し...
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/984448/

 


Ama yine de yalan yazmak istiyorlar. Eski başbakana da iftira atmak istiyorlar.

2022年09月10日 20時19分01秒 | 全般
Aşağıdakiler, Masayuki Takayama'nın 8 Eylül'de yayınlanan Weekly Shincho'nun sonunu belirleyen serileştirilmiş sütunundan. Bu makale aynı zamanda savaş sonrası dünyada tek gazeteci olduğunu kanıtlıyor. Sadece Japonların değil dünyanın her yerindeki insanların okuması gereken bir kitap. Nedense bu haftanın sayısını aldım ve hiç okumadım ama bu yazının Masayuki Takayama'nın başyapıtlarından biri olduğunu söylemek abartı olmaz. Nobel Edebiyat Ödülü seçici kurulu üyesi olsaydım, en ufak bir tereddüt etmeden onu aday gösterirdim. Asahi Shimbun, POST'ta gerçek niyetlerini ortaya koyuyor Senryu iyidir. Haiku'dan daha derinler, tarih hakkında bilgi edinmenin mükemmel bir yolu ve komikler. "Düğümü çöz / daha uzun olacak" ile ilgili komik olan ne? "Bir hırsızı yakalayın ve onun benim oğlum olduğunu göreceksiniz" ile güzel bir şekilde kafiyeli. Shinran ve Kobo / Aynı madalyonun iki yüzünü bağışlayın" biraz daha karmaşık. Kukai'nin dokuzuncu yüzyılda Tang Hanedanlığı'na gitmesi gerekiyordu ve yirmi yıl içinde Budizm'in sırlarında ustalaşması gerekiyordu. Ama "iki yılda herkesi anladı", bu yüzden Japonya'ya döndü ve Koyasan'da Shingon mezhebini kurdu. O dönemdeki LGBT'leri anladı ve kadınları yasaklamak yerine çocuklara izin verdi. Aynı zamanda Shudo'nun kurucusuydu. Shinran, kadın suçluların yasağını kaldıran ve rahiplerin karılarıyla evlenmelerine izin veren Jodo Shinshu mezhebini kurdu, ancak Kukai bunu yapamadı. Eshin Bhikkhunī ile evlendi ve bir çocuğu oldu. Başka bir deyişle, Kukai erkek cinsel ilişkiye izin verdi ve Shinran karısıyla düzenli cinsel ilişkiye izin verdi. Tüm Japonya Senryu Derneği'nden Tetsuo Ebata, "Seiron" dergisinin Ekim sayısında, "Nishiki Kujin'in Asahi Senryu'su, Senryu'nun böylesine derinliğine gölge düşürdü. Ebata, Asahi Senryu'nun eski Başbakan Abe'yi bir kurşunla öldürdükten hemen sonra yayınlanan "seçilmiş yedi eserinin" "Senryu kılığında siyasi propaganda olduğuna" işaret ediyor. Gerçekten korkunçlar. "Şüpheli bir kişiye devlet cenazesinin verildiği bir ülke", "Sontaku öbür dünyaya daha ne kadar devam edecek?" "Ah, korkarım tarih böyle yazılıyor." Eski bir başbakanın ölümüyle alay edilir ve küçük düşürülür. Ne zarafet var ne de nüktedanlık. Chosun Ilbo ve Weibo bile bu kadar kötü değil. Bu sütuna "Okuyucu Gönderisi" denir. Bununla birlikte, diğer gazetelerde eski başbakanın ölümünün yasını tutan yazıların yer aldığı bir "Senryu" köşesi bulunurken, bu sütunda hiç yok.Ebata, siyasi parti yayın organı olmayan bir genel gazete ile böyle bir sonuca ulaşamayacağından dürüstçe kuşku duymaktadır. Gerçek adı Wataru Kurita olan seçici Nishiki Kuijin, eski bir Asahi gazetecisidir. Tenseijingo'dan sorumlu eski bir Asahi muhabiridir ve halen Asahi'de geçimini sağlamaktadır. On yıl önce Başbakan Abe, "rahat kadın meselesinin Asahi'nin dolandırıcı Seiji Yoshida hakkında yalanlar yaymasından kaynaklandığını" belirtti. Sonuç olarak, Asahi Shimbun'un başkanı kovuldu. Asahi ayrıca kopya sayısını yarıya indirdi ve üçüncü sınıf kağıtlara düştü. O zamandan beri, Seiki Nemoto ve meslektaşları, şirketin sloganı olan "Hold Abe'nin cenazesi" konusunda çılgına döndüler. "Morikake" ve "Sontaku", Nemoto tarafından yaratılan karalama hikayeleridir. Ve bu çılgınlığın sonuçları ortaya çıktığında, Nishiki, Asahi'nin şirket sloganına uygun olarak bir Senryu dağı aldı. Bu bir sihir numarası gibi," diye şüphelendi Ebata. Mesaj yoktu. Şirketteki birinin poster gibi davrandığı fikrine tamamen katılıyorum. Ama kim yaptı? Bunların yarısı muhtemelen Nishiki tarafından yazılmıştır. Sonra Tenseijingo'dan sorumlu olan Tetsufumi Arita veya Toshihiro Yamanaka'dan bir tane vardı. Tatsuya Iwase, Katsuichi Honda'nın Acemi'ye sünger çektiğini ortaya çıkardığında Honda, Iwase'ye dört kat iftira atarak, "insanların en aşağısı, bir fahişeden daha aşağı, kelimenin tam anlamıyla gerçekten aşağılık bir insanın tortusu" dedi. Bu Honda'nın bir alışkanlığıydı, ama aynı şekilde, bir kişinin benzersiz kalıpları onun yazılarında ortaya çıkıyor. "Şüpheli kişi devlet cenazesidir, Japonya böyle bir ülkedir" ifadesindeki "böyle" kelimesi son zamanlarda Tenseijingo'da sıklıkla yer almaktadır. Anlamsız "böyle" hepsi için ortaktır. Akşam Bülteni'nin "Temel Parçacıkları"ndan sorumlu olan Yuzuru Tsuboi de bir cümle yazdı. "Sontaku nereye kadar devam edecek..." ifadesi onun için tipiktir. Olaydan bir gün sonra Tsuboi, "Temel Parçacıklar"da eski başbakanın ölümüne güldüğü ve "Sontaku'nun siyasetinin doğrulanmasına ne dersiniz? Eski başbakanla bir geçmişi var. Parti liderleri arasındaki bir tartışmada, Başbakan Abe, "Asahi uygunsuz gerçekleri rapor etmez" diyerek onu azarladı ve neredeyse kendini tutamadı. O zamandan beri, Abe'ye şiddetle iftira atıyor. Nishiki ondan bunu yapmasını isteseydi, memnuniyetle bir cümleyi çarpıtırdı. Ama tam teşekküllü bir muhabir neden poster gibi davranır? Aslında, geçmişte Asahi, kadınları rahatlatmak ve diğer konularda istediği gibi kötü niyetli yalanlar ve iftira niteliğinde makaleler yazdı ve Seiki Watanabe ve Toichiro Ichiyanagi'den Tadakazu Kimura'ya kadar beş cumhurbaşkanının görevden alınmasıyla sonuçlandı. Başka hiçbir şirkette böyle bir vaka görülmedi. Korkunç bir gazete. Beklendiği gibi, Asahi'nin muhabirleri artık istedikleri gibi şeffaf yalanlar ve iftiralar yazamıyorlar. Ama yine de yalan yazmak istiyorlar. Eski başbakana da iftira atmak istiyorlar. Yani bir yazı kisvesi altında gerçek niyetlerini yazmaya başlamışlar gibi görünüyor.
 
 
 
 

サキマ猛追!20ポイント以上の差が数ポイントまで詰まってきているようです!大波一つで追いつく状態です!

2022年09月10日 20時18分18秒 | 全般

以下は今しがた発見した闇のクマさん世界のネットニュースのツイートからである。
@CYXuAxfGlfFzZCT
#サキマ淳を沖縄県知事に 
サキマ猛追!
20ポイント以上の差が数ポイントまで詰まってきているようです!
大波一つで追いつく状態です!
この勢いで保育費・給食費・子供医療費全額無料を勝ち取っちまえ沖縄県民!

 


Aber sie wollen immer noch Lügen schreiben. Sie wollen auch deverleumden.

2022年09月10日 20時15分50秒 | 全般

Das Folgende stammt aus Masayuki Takayamas fortlaufender Kolumne, die das Ende von Weekly Shincho markierte und am 8. September veröffentlicht wurde. Dieser Artikel beweist auch, dass er der einzige Journalist in der Nachkriegswelt ist. Es ist ein Muss, nicht nur für die Japaner, sondern für Menschen auf der ganzen Welt. Aus irgendeinem Grund habe ich die Ausgabe dieser Woche gekauft und nie gelesen, aber es ist keine Übertreibung zu sagen, dass dieser Artikel eines von Masayuki Takayamas Meisterwerken ist. Wenn ich Mitglied der Auswahlkommission für den Literaturnobelpreis wäre, würde ich ihn ohne das geringste Zögern nominieren. Der Asahi Shimbun enthüllt seine wahren Absichten im POST Senryū ist gut. Sie sind tiefgründiger als Haiku, eine ausgezeichnete Möglichkeit, etwas über Geschichte zu lernen, und sie sind lustig. Was ist lustig an "Löse den Knoten / und er wird länger"? Es reimt sich wunderbar auf „Fang einen Dieb, und du wirst feststellen, dass er mein Sohn ist. Shinran und Kobo / Verzeihen Sie die zwei Seiten derselben Medaille“ ist etwas komplizierter. Kukai sollte im neunten Jahrhundert in die Tang-Dynastie gehen und in zwanzig Jahren die Geheimnisse des Buddhismus meistern. Aber er „verstand alle in zwei Jahren“, also kehrte er nach Japan zurück und gründete die Shingon-Sekte auf Koyasan. Er verstand LGBT-Menschen in dieser Zeit, und anstatt Frauen zu verbieten, ließ er Kinder zu. Er war auch der Gründer von Shudo. Shinran gründete die Jodo-Shinshu-Sekte, die das Verbot weiblicher Straftäter aufhob und Priestern erlaubte, ihre Frauen zu heiraten, was Kukai nicht durfte. Er heiratete Eshin Bhikkhunī und bekam ein Kind. Mit anderen Worten, Kukai erlaubte männlichen Geschlechtsverkehr und Shinran erlaubte regelmäßigen Geschlechtsverkehr mit seiner Frau. Tetsuo Ebata von der All Japan Senryū Association kritisierte in der Oktoberausgabe von „Seiron“, dass „Nishiki Kujins Asahi Senryū eine solche Tiefgründigkeit von Senryū blamiert hat. Ebata weist darauf hin, dass die „sieben ausgewählten Werke“ des Asahi Senryū, die veröffentlicht wurden, kurz nachdem der ehemalige Premierminister Abe durch eine Kugel getötet wurde, „als Senryū getarnte politische Propaganda sind. Sie sind in der Tat schrecklich. "Ein Land, in dem eine verdächtige Person ein Staatsbegräbnis erhält", "Wie lange wird Sontaku in die nächste Welt reisen?" "Oh, ich fürchte, so wird Geschichte gemacht." Der Tod eines ehemaligen Premierministers wird verspottet und gedemütigt. Es gibt weder Eleganz noch Witz. Sogar Chosun Ilbo und Weibo sind nicht so schlecht. Diese Spalte heißt "Reader Post". Während jedoch andere Zeitungen eine „Senryū“-Kolumne mit Posts haben, die den Tod des ehemaligen Premierministers betrauern, gibt es in dieser Kolumne keine.Ebata bezweifelt ernsthaft, dass sie mit einer allgemeinen Zeitung, die kein Parteiorgan war, ein solches Ergebnis nicht hätte erzielen können. Der Selektor, Nishiki Kuijin, der mit bürgerlichem Namen Wataru Kurita heißt, ist ein ehemaliger Asahi-Journalist. Er ist ein ehemaliger Asahi-Reporter, verantwortlich für Tenseijingo und verdient immer noch seinen Lebensunterhalt bei Asahi. Vor zehn Jahren wies Premierminister Abe darauf hin, dass „das Problem der Trostfrauen von Asahi herrührt, der Lügen über den Betrüger Seiji Yoshida verbreitet“. Daraufhin wurde der Präsident der Asahi Shimbun entlassen. Asahi halbierte auch die Anzahl der Kopien und fiel auf drittklassiges Papier. Seitdem sind Seiki Nemoto und seine Kollegen über das Firmenmotto „Halte Abes Beerdigung“ hektisch. „Morikake“ und „Sontaku“ sind beides Verleumdungsgeschichten von Nemoto. Und als die Ergebnisse dieses Wahnsinns enthüllt wurden, erhielt Nishiki einen Berg Senryū in Übereinstimmung mit Asahis Firmenslogan. Es ist wie ein Zaubertrick", vermutete Ebata. Es gab keine Beiträge. Ich bin für die Idee, dass jemand in der Firma vorgab, das Plakat zu sein. Aber wer hat es getan? Die Hälfte davon wurde wahrscheinlich von Nishiki geschrieben. Und dann war da noch einer von Tetsufumi Arita oder Toshihiro Yamanaka, der für Tenseijingo verantwortlich war. Als Tatsuya Iwase enthüllte, dass Katsuichi Honda auf Recruit schwamm, verleumdete Honda Iwase in vier Schichten und sagte: „Der niedrigste aller Menschen, niedriger als eine Prostituierte, der Bodensatz eines wirklich verabscheuungswürdigen Menschen im wahrsten Sinne des Wortes.“ Es war eine Angewohnheit von Honda, aber auf die gleiche Weise erscheinen die einzigartigen Muster einer Person in seinen Schriften. Das Wort "solch" in dem Satz "Verdächtige Person ist Staatsbegräbnis, Japan ist ein solches Land" erscheint häufig in den jüngsten Tenseijingo. Allen gemeinsam ist das bedeutungslose „so“. Auch Yuzuru Tsuboi, der für „Elementary Particles“ des Evening Bulletin verantwortlich ist, schrieb einen Satz. Typisch für ihn ist sein Satz „Wie weit Sontaku weitermachen wird…“. Am Tag nach dem Vorfall schrieb Tsuboi einen sarkastischen Artikel in „Elementary Particles“, in dem er über den Tod des ehemaligen Premierministers lachte und fragte: „Was ist mit der Überprüfung der Politik von Sontaku? Er hat eine Geschichte mit dem ehemaligen Premierminister. Bei einer Debatte unter Parteiführern wies Premierminister Abe ihn zurecht und sagte: „Asahi berichtet keine unbequemen Tatsachen“, und er war fast inkontinent. Seitdem verleumdet er Abe bösartig. Wenn Nishiki ihn darum gebeten hätte, hätte er gerne einen Satz verdreht. Aber warum gibt sich ein vollwertiger Reporter als Poster aus? Tatsächlich hat Asahi in der Vergangenheit nach Belieben böswillige Lügen und verleumderische Artikel über Trostfrauen und andere Themen geschrieben, was zur Entlassung von fünf Präsidenten führte, von Seiki Watanabe und Toichiro Ichiyanagi bis hin zu Tadakazu Kimura. Bei keinem anderen Unternehmen gab es einen solchen Fall. Es ist eine schreckliche Zeitung. Erwartungsgemäß können Asahis Reporter nicht mehr nach Belieben transparente Lügen und verleumderische Artikel schreiben. Aber sie wollen immer noch Lügen schreiben. Sie wollen auch den ehemaligen Ministerpräsidenten verleumden. Es scheint also, als hätten sie begonnen, ihre wahren Absichten unter dem Deckmantel eines Posts zu schreiben.