文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

再発信!権威主義的で度し難い低能が多い新聞の編集委員にも、ちゃんとした人はいるのである。

2024年03月11日 08時17分04秒 | 全般

権威主義的で度し難い低能が多い新聞の編集委員にも、ちゃんとした人はいるのである。
2011年05月23日
その人の名前は、日経新聞、編集委員の滝田洋一さんである。
今朝の日経新聞5面から。

お願い政権の危なっかしさ。
責任あいまい「ご理解」頼み

文中黒字化と*は私。

電車のなかで、携帯電話の通話を「禁止」と言えばよいところを、「ご遠慮願います」などとアナウンスする。
命令を避けるようでいて、暗黙のうちに協力を求める。
察しの文化にもたれかかった政治や行政。
その手法が、東日本大震災このかた、とても目立つ。
浜岡原子力発電所の操業停止。
5月6日夜、菅直人首相が突然記者会見し、中部電力に要請した。
中部電は2回にわたって臨時取締役会を開いた。
首相自身が法的根拠がないと認める「お願い」。
従った場合に株主にどう説明するのか。
扱いに苦慮したことは想像に難くない。
結局、「国の指示・命令と同じ」(水野明久社長)と判断して、中部電はお願いを受け入れた。

 
操業停止を首相が決断しているようでいて、民間にゲタを預け、最終判断をさせる。
責任の所在が不明なやり取りに対し、首相の「思考過程がブラックボックス」と、米倉弘昌日本経団連会長が批判したのは当然だろう。


*これに対して、突然、何故か、政治的になったと仰る御仁は「ご英断」などと、弓削の道鏡まがいの事を、多分、自分とつるんでいるのであろう議員同席の、美食会合やらで言っていた訳だが。*
 
枝野幸男官房長官が5月13日に突然、金融機関に対して債権放棄を要請したのも話は似ている
銀行も一肌脱がなければ、政府の東京電力支援に国民の理解は得られない、と官房長官。
 物言えば唇寒しとばかり銀行経営者は当初、歯切れが悪かった。
そんななかで、東京証券取引所の斉藤惇社長は「東電は株主の会社であって政府の会社ではない」と述べた。
「法律などに基づいて介入すべきだ」との指摘に留飲を下げた人も少なくあるまい。

福島第1原発周辺の住民に対する指示。
事故直後の3月11日に首相が指示したのは、半径3キロ圏内の住民避難と3~10キロ圏内の屋内退避だ。
避難指示は半径10キロから20キロへと広げられ、20キロから30キロ区域が屋内退避の対象となった。
放射能リスクの開示が不徹底だったのと相まって、中ぶらりんな指示は住民を展望の立たない状況に追い込んだ。
 
すでに3月25日の時点で、枝野宣房長官は20キロから30キロの区域について、「自主避難を積極的に促進する」と述べている。
自主避難? 
そういわれても、誰でも生活の場が失われるのは嫌だし、寝た参りのお年寄りもいる。
「避難地域は当面住めないだろう。それが10年になるのか、20年になるのか」。
4月13日、首相の発言としてこんな内容が、内閣官房参与の口から伝わり、慌てて否定された。
情報を十分に提供せず、住民にギリギリの選択を強いるのは、弱者に優しい政治を掲げる政権とは思えない。

農産物の出荷自粛要請の成り行きも構図は同じだ。
「直ちには影響ない」「安全だが念のため」と言って、政府は当初、生産農家にゲタを預けようとした。
食品衛生法の暫定規制値を超えた野菜や牛乳について、出荷を止めるのは消費者の健康を考えれば当然である。
問題は検査、安全確認の体制が泥縄だったことにある。
健康への影響の総合的な評価を欠いたまま、個々の食品について規制値超えの発表が繰り返されれば、風評被害が広まるのは避けられない。
作付けすべきか、断念すべきか、農家に強いた選択は住民避難の場合とそっくりだ。

節電はどうか。
東電の計画停電は、街ばかりでなく人々の気持ちも暗くした。
「それ、本当に必要ですか」。
そんなフレーズに代表される自粛ムードが、消費の落ち込みに拍車をかけたのではないか。
夏の計画停電を避けようと、政府が節電を呼びかけ、自動車業界などは計画休業で応じようとしている。
経済活動への影響を最小限に抑えるための需要抑制。
呼びかけは理にかなっているにせよ、自粛と萎縮の悪循環が起きては元も子もない。
この問題でも政府の仕事は、電力需給をめぐる全体像を示すことである。
お願いやご理解といった「歴史の古層」が前面に出て、勢いを増しているのはなぜか。
まず、事態掌握の不全。地震、津波、原発事故といった複合災害に、「仮免政権」がハンドルから手を放したような状態になっている。
全体像や見通しをつかめず、成り行き任せで国民にゲタを預けるしかない。

次に政権トップの思想。
「市民派」を標榜し長い野党暮らしで権力の横暴を批判してきた手前、あからさまな権力行使にはためらいがあるのだろう。

*滝田さん、そうでもないんじゃないかな。
新聞やテレビは何故か報道しなかった訳だが、各週刊誌が…おおよそまともな週刊誌の全てが、指摘していた様に、裏では、霞が関のエリート達(彼らより遥かに頭の良い人間達です)を、傍若無人に怒鳴りつけていた訳ですから。
 
そして、政権と経済界の関係。突然のお願いに際しては、自民党政権時代のように、業界団体などと事前の根回しをしている様子がない。
その結果、楽屋裏が表に出てくるようになったという面もあろう。
一連のお願い政治に、これまで国民は黙々と協力してきた。
被災地を思い、事態の深刻さを理解しているから、あからさまな政府批判も少ない。
これは非常時の美点かもしれない。
だとしても、明確なルールを欠いたまま、お願いとご理解を繰り返すと、社会全体がどこに向かうのかが分からないのではないか。
今後の原子力行政については真っ正面から議論を戦わすべきだし、夏の節電も一律15%が妥当なのかどうか検討の余地はある。
国民にゲタを預けるなら、どこにどんなリスクがあるか、政策の得失はどうなっているのかを示すべきだ。
それなしに自主判断を強要するのは、苛政(かせい)というものではないか

2024/3/10 in Tokyo

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再々発信!再発信!前章で「どぶ板選挙」と書いた。その事が私の青年時代の記憶を呼び覚ました。

2024年03月11日 07時05分59秒 | 全般

再発信!前章で「どぶ板選挙」と書いた。その事が私の青年時代の記憶を呼び覚ました。
2024年02月20日

以下は覚書である。
前章で「どぶ板選挙」と書いた。
その事が私の青年時代の記憶を呼び覚ました。

私の母校に二人の大親友がいた。
一人は気仙沼出身者。
一人は宮城県北の出身者である。
私は、どちらの家も訪問し宿泊した事があった。
気仙沼の海岸線の美しさは今でも鮮明に覚えている。
後者は我が家を訪問した事がある。

彼は私とは全く違う形で、家庭的な悩みを抱えていた。
人生の進路を決める決定的な時に、彼は、母親の頬に平手打ちを食らわせた。
私は、偶然だったとはいえ、必然としか言えない状況が訪れた一瞬に、目にもとまらぬ速さで体が動いて、パンチを3発、父親の顔面に放った。
この間の経緯は既述の通り。
全く無抵抗だった父親は、その一瞬が過ぎた後、人生で一番良い言葉を言った。
「ここは俺の家だから、お前が出て行け」

日本を代表する超エリートになるための頭脳を授かった私の人生が、全く別な人生に決定的に切り替わった瞬間でもあった。

後者の彼は、大器晩成型の人間でもあった。
家庭的な苦悩の中で、一浪した後、現役も含めた全校生徒で一番になった。
だが、上記の様な経緯で、東大には行かず、地元の東北大学に進学した。
全共闘の時代である。
仙台の街も、学生がデモで練り歩いていたような時代だった。

私は一瞬にして、彼らの視界から消えた。
長い間、母校の同窓生名簿には、消息不明となっていたほどに。

彼は、私を、一律相反する事を指摘できる天才だと考えていた。
だいぶ経って、実家に帰省した私は、彼から、頻繁に届いていた葉書や手紙を見て、胸が痛んだ。

何故なら、そこには、学問を究める為に、最高学府に進学したにも関わらず、連日、全共闘の攻勢に遭遇して苦悩していた彼の姿が赤裸々だったからである。
「こんな時に、お前がいてくれたなら…お前なら、彼らの一律背反する論理を、瞬時に論破してくれたはずだ、私の苦悩を解決してくれたはずだ…」

もはや、京大に進学し、京大を背負って立つ事は、霧散した私は、それでも、何とか、京都にたどり着いて、とにかく食いつないでいた。
そんなある日、三条京阪の駅で、京大の学生が、アジびらを配っていた。
私は、彼に言った。
「あなたたちは、要は自民党の政治を変えたいと思っているんだろう。ならば、こんなところでビラを配っていることは無意味である。なぜならば、京都の様な大都会に住んでいる人間たちは、皆、批判的な精神等は持っている…私は、宮城県仙台の隣の漁村に、船主の一族として生まれた…とても親しい日々の交流があった、親戚のおじさんは、漁協の組合員である。選挙の季節になると、必ず、我が家の祖父母、母親に、今度の選挙は自民党の誰々に投票するように依頼に訪れる。勿論、我が家の祖父母や母親は、その人間が、国のために、何を為してくれ、国がどうなるのかなど考える事はない。それは日本中の地方が、まったく同様である。もし、あなたが本当に自民党を負かしたい、と思うならば、そのような事を、一生、行わなければならない。つまり、日々の戸別訪問活動が必要なのである。あなたは、そんな活動を一生続けてゆく覚悟があって、こんな事をしているのか?…中略
だから、私は政治には関わらない。私には、神様から与えられた頭脳を使わなければならない事があるからだ。そもそも、大学は最高学府である。あなたが為すべき事は、一にも二にも学問を究める事である。おまけにあなたたちは、生活を親に負っているはずだ。政治に対して、どのような態度を取るかなどは、貴方が社会人となって、自分の生計を自分で立てられるようになってから考えれば良い事であって、親のすねかじりをしている時に考えることではない。」

言わば、私をオルグしようとした彼が、全く予想外の角度から、反対にオルグされたわけである。
私は、あの学生は、政治で人生を棒に振ってはいないはずだと思う。
この稿続く。

本稿は、たくまずして、若者が政治の世界に入る事が、どれほど、無用無益な事か、日本国にとって大損失である事を明らかにしてもいる。

2024/3/10 in Tokyo

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