文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

再発信!といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである

2023年04月29日 18時03分55秒 | 全般

以下は前章の続きである。
韓国史という「偶像」の押しつけ
思想工作の影響を受けた政治家が、朴槿惠政権の内部や野党側には大勢いた。
今次の文在寅政権は政権自体が従北派だ。
彼らは「北朝鮮は故金日成国家主席が独立戦争を戦った。
だから北朝鮮に国家の『正統性』がある」と主張する。
「正統性があるのは南北どちらだ?独立戦争を戦ったから北朝鮮にある!」という解釈である。 
前にも少し触れたが、独立戦争といっても、金日成は東北抗日聯軍という中国軍のなかの一将校にすぎなかった。
1934年から6年間ほど戦い、最後は日本の討伐隊に追われて命からがら極東ソ連領に逃げ込む。
唯一の戦勝は普天堡の戦いのみ。
1937年、普天堡という町を取り囲み、材木屋に火を放ち、郵便局に押し入って金を盗み、交番を襲って警官10人を殺して逃げた、というだけのものだが、北朝鮮ではこれを「普天堡大会戦」と呼んで戦跡としている。
これでも一応の正統性は担保される。
他方で、韓国は近代史上、日本軍と戦ったことがない。
韓国が主張する戦いは1920年の青山里戦闘一回きりで、敵は朝鮮人匪賊だった。
日本の無条件降伏と米軍進駐によって棚ぼた式に独立を得た韓国には、そもそも国家の正統性というものがない。
一般の韓国人もそのことは知っていて、北の政権に比べて自分たちの政権に正統性の点て瑕疵があることに気づいている。
なんとか正統性を得るため、青山里の戦闘で勝ったという嘘を定着させようと韓国は骨を折ってきたが、戦場に残ったのは日本軍であった。
敗けたほうが戦場に残る道理はない。
正統性を保つために韓国が英雄として誇るのは、爆弾魔のテロリストだけだ。
爆弾テロリストを英雄に仕立てなければならないのは、いまの韓国の悲哀であり、私が危惧しているのは、反日教育でテロリストや爆弾魔を解放運動の英雄だと刷り込まれ、頭のなかがIRAのようになった韓国の若者が「自分も英雄になりたい」と思って、爆弾をもって海を渡ってくる危険性があるということである。韓国人は自分に都合のよいように歴史を作ってしまう。
そしてそれを偶像のように崇め、日本に押しつけてくるのである。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである
2018年10月10日
本章がGoogleで検索妨害の犯罪に遭っていた。
再発信する。
以下は前章の続きである。
日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。
対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。
前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。
これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。
民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。
囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。
これを豊かにするのが文化だ。
刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。
以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。
「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。
なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。
韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。
ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 
だから、命題として学習しなければならないのだ。
といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。
そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。
ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。
日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。
信仰などではない。
ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。
そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。
それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。
この稿続く。



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