ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

つくば市北条の街歩きと平沢官衙遺跡を巡るぶらり歩き

2023-03-13 07:11:35 | 日記

首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた史跡と文学碑を巡る街歩き、

コロナ禍で3年半ぶりの再開です。再開の1回目はヤスさんの住む茨城県つくば市内からほど近い筑波山

の麓にある「筑波神社の門前町として栄えた北条の街歩き」そして「平沢官衛遺跡」の見学です。つく

ばエクスプレスのつくば駅に集合した3人は市内バスでスタート地点である「筑波交流センター」へ向

かい、そこからヤスさんが準備した資料を片手に街歩きのスタートです。

 

ヤス:4年近くも会っていないと、お互いに年寄りが身についた体形や顔になっているね(笑)。でも

   こうして元気に再会できたのは嬉しいことだ。再開の1回目はコロナも避ける空気のきれいな筑

   波山の麓を案内しようと思う(笑)。今日はよく集まってくれました。

ノブ:声を掛けてくれてありがとう。満を持してやってきたよ。

ヒデ:私もだよ。こうして顔を合わせると、会っていなかった期間が無かったようだな。

 

一行はお互いの近況を話し会いながら、目的地の「北条」の街に向かって歩き始めました。

 

ヤス:最初に紹介するのは「つくばりんりんロード」だ。筑波鉄道の跡地をサイクリングロードにしてい

   る。霞ヶ浦周遊コースと合わせると180㎞にもなる本格コースだよ。首都圏からもたくさんのサイ

   クリングマニアが来るよ。

ヨシ:この鉄道は桜のトンネルを走る電車として有名だった。乗ったことがあるんだ。サイクリングロー

   ドの話も知っている。鉄道当時を思い出す桜並木がまだ残されているね。桜の季節のサイクリング

   は最高だろうな。人気があるのは分かるよ。

ヤス:次はこの用水路。鎌倉時代に作られた「裏堀用水路」という。筑波山を水源とする桜川から取水さ

   れて、沼田・大貫・杉ノ木・小沢を経てこの北条の街まで延長約5㎞ある。ここのブランド米「北条」

   を育む生命線の用水路として今も現役だよ。

ノブ:北条米(品種はコシヒカリ)は皇室への献上米だったことで有名になったんだよね。

ヤス:よく知っているね。筑波山からの恵みの水で育ったお米だ。米どころ茨城県の中でも超一流のお墨

   付きのお米だよ。

 

一行の話は弾みます。もう4年前に戻ったようです。最初の目的地である明治から昭和初期の面影を残す

北条の街中に入ってきました。

 

ヤス:これから歩く北条の街は筑波山の門前町として栄えた店蔵の残る町並みで、昭和の初期ごろまで

   は、土蔵造りの店蔵が立ち並らぶ、繫栄した町並みだったんだ。今日は今も残されている、往時

   の店蔵を中心に見て歩こう。最初に紹介するのは、この大塚屋店蔵だ。明治初期に店を始めてい

   る。屋号を「岩崎屋」といって、米穀・肥料などを扱い、郵便局でもあった。そして近年は初代

   の「北条ふれあい館」として情報発信の基地でもあった。今は土日のみの開放と聞いているから

   中には入れないんだ。

ノブ:ガラス戸越しに内部を見ると広い土間が見える。残念ながら今日は展示品などが土間に置いてい

   ないな。

ヨシ:土日に来て、ご主人の話を聞きたかったね。

ヤス:次は旧呉服店の田村家店蔵だ。現在は「北条ふれあい館」として、ここが情報発信の基地となっ

   ている。大正初期の建築だよ。二階が二棟に分かれるのが大正モダンな設計のようだけど、実は

   右側は後で増築したものだそうだ。黒漆喰の壁、ベンガラ塗りのべランダが美しく映えるね。

   ここも国登録有形文化財に指定されている。

ヒデ:反物を広げられる土間のたたずまいが、呉服屋の往時をしのばせるね。この大正モダンな店構え

   は、当時としてはかなり目立っただろうね。

ノブ:街の資料もあるし、お茶もいただけるし、観光案内所として十分な機能があるね。スタッフが常

   駐しているようだから、ここで追加の情報をゲットしておこう。

 

「北条ふれあい館」の方に建物と街の説明を受けて納得した一行は、大きな「つくば道道標」の前にや

ってきました。

 

ヤス:この「つくば道道標」はかつての筑波山参詣道の入口を示している。ここから筑波山神社までの

   道は「日本の道百選」に選ばれているんだ。3mを超えるこの道標は堂々たるもので、往時のに

   ぎわいを想わせるね。

ヒデ:北条の街の賑わいは徳川家光の時代に、筑波山神社の再建のために整備されたことが始まりだと

   書かれているね

ノブ:「日本の道百選」か、今度改めて歩いてみよう。

ヤス:次は小さいから見過ごすところだったよ。これが「市神様の石祠」だ。北条の町では昭和の初期

   まで、毎月定期的に「市」が開かれていたんだ。ここから約300m 先にも「市神様の石祠」があ

   って、そことの間が、その市場が開かれた場所だ。

ヒデ:市神様って何・

ヤス:道路沿いに祀られるこの石祠は、商人の神様だと考えていいよ。市場の場所はここから、次の市

   神様の間だよという目印でもあるのだろうね。

 

一行は久しぶりの歴史街歩きのペースを取り戻し、楽しむゆとりができたようです。更に街中を進みます。

 

ヤス:ここが宮本家店蔵だ。屋号を「宮清」といって、醤油醸造業として栄えた。見ての通り、この店

   蔵は関東地方でも屈指の本格的な土蔵造りで敷地も広い。昭和30年代に醤油の販売をやめた

   ので、南側の仕込み蔵などの建物は、その当時に取り壊されたけれど、北側の8棟は現存してい

   るんだ。すべてが江戸末期から明治初期のもので、 平成15年に残された8棟すべてが、国登録有

   形文化財になっている。店蔵として開放しているのは、私たちがいるこの道路沿いの棟だけだけ

   れど、中庭にある穀物(米)蔵が音楽ホールに改修されているんだ。ホールの名前は「宮清大蔵」

   という。

ヒデ:確かに大店だね。店蔵に入ると、いっとき江戸時代にタイムスリップするな。店内と外部を隔てる

   「揚(あげ)戸(ど)」は今でも可動するんだね。

ヨシ:他に、元禄時代の銭函や、帳場格子、印袢纏、大正時代の米国製レジスターなど、かつての商いの

   様子がわかるものや、木製冷蔵庫や行燈、箱枕、手鏡なども展示しているから、当時における商家

   の営みや生活が実感できるものが見られる。ここは人気だろうね。

ヤス:特にレジスターは当時家一軒分ぐらいの高価なものだっただろうと思うよ。こんな田舎と言っては

   失礼だが、このお店の繁栄を表す一品だね。

 

実はここのご主人から直接、防火・防災対策の工夫を中心に、店蔵の中の様子を解説していただきました。

先人の知恵に感心し、展示品に懐かしさを覚えたひと時でした。

 

ヤス:ここが旧矢中邸だ。昭和13年(1938年)に北条出身の実業家であり、建築研究家の矢中龍次郎により

   建てられた豪邸で、平成22年よりNPO法人「矢中の杜」が保存活用している。矢中氏による和風建

   築に近代的な手法が反映された昭和の調度品が残る居住棟、豪華な迎賓棟など、見どころがたくさ

   んあるよ。国登録有形文化財だよ。

ノブ:居住棟として建てられた本館は、木造平屋建なのに、一部に大谷石造の地下室もあったり、特徴的

   な陸屋根や山吹色の外壁のほか、随所に設けられた通気口、部屋ごとに異なる建具、建設当時のま

   ま残る調度品や設備など、多様な魅力に満ちていたね。

ヨシ:別館は「皇族のような上流階級の人々を迎賓できるように」という意図で建てられた迎賓棟だったね。

   1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造となっており、内部には豪華絢爛で格式高い意匠が随所に見ら

   れた。特に、ずらりと並んだ色鮮やかな板戸絵、サクラやケヤキ、スギなどの見事な銘木、天井高の

   高い空間づくり、特注の調度品など、見所がいっぱいだった。それに、本館同様、矢中氏がこだわった

   通気の工夫が至るところに心配りされていて、さすが研究者の建造物だなと思ったよ。

 

NPO法人「矢中の杜」は、永らく空き家だったこの邸宅を掃除し、少しずつ手入れをしながら、地域の文化

遺産として保存活用に取り組んでいます。ここは有料で屋敷内をガイドしていただきました。40年間も空き

家だったけど、屋敷内の風通しがよいので、自然循環だけで屋敷事体が全く痛んでいなかったとのこと。

そして、NHKの朝ドラ「エール」(2020年)で昭和初期のお見合いのロケ地として客間が採用されています。

客間は風格漂う豪華な意匠の部屋で、令嬢のお見合い場面にふさわしいものでした。

 

ヤス:この可愛い建物は昭和8年に建てられた旧常陸北条郵便局だ。昭和37年まで郵便局として活用され、

   電話交換業務も行っていたんだ。北条の小規模商店に多い、間口が狭く、奥行きが長い作りになって

   いて、道路に面した一階前面が洋風の郵便局、一階奥と二階が和風住宅になっている。現在は、郵便

   局時代の面影を残したままカフェ「ポステン」として営業されているよ。ここも国登録有形文化財に

   指定されている。

ヨシ:カフェという形で残されているのはいいね。コーヒータイムとしようか!

ヒデ:オイオイ、次に行っちゃうんかい!(笑)

ヤス:ここは八坂神社だ。この八坂神社は北条の町の氏神様だ。ここの五輪塔には経筒が納められていて、

   天文六年(1537)の造立と判明している。県内で造立年時が知られる二番目のものだよ。

ノブ:ここに古墳(?)と書かれている。古墳の上に神社があるということかな。

ヨシ:ここは旧街道によくある鍵の手の道路になっているね。昔の道が今もそのまま使われているんだな。

 

北条の街歩きを終えた一行は「平沢官衙遺跡」へ向かいました。ここは国指定史跡を整備して作った歴史

公園で、奈良・平安時代の筑波郡の役所の跡がある。復元された三棟の正倉が周囲の山々にはえて美しい

ところです。

 

ヤス:平沢官衛遺跡へはつくばワイナリーロードを通っていこうと思う。ブドウ畑の向こうに筑波山が見

   えてとても景色が良く開放感があるんだ。

ノブ:つくばワイナリーだね。知っている。2013年にワイン用のブドウ栽培を開始して、2019年には畑に

   隣接した醸造所を設置して、2020年4月には1stビンテージワインを発売したんだね。ここに書いて

   ある(へへ)。

ヨシ:筑波山を背景に広いブドウ畑を見ながら歩くこの道は、開放感がいっぱいで気に入ったよ。

 

一行は平沢官衛遺跡に到着しました。平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)は、茨城県つくば市平沢にあ

奈良時代平安時代の常陸国筑波郡郡衙跡で、国の史跡に指定されています。古代の律令制のなかで、

地方の統制を図り、税を確実に徴収する行政機関として、各地に設置されたのが郡衙です。昭和50年

(1975年)の発掘調査で、掘立柱建物跡55棟分も確認されました。現在は3棟が実物大で復元されています。

 

ヤス:平沢官衙遺跡を現代で例えるのであれば、市役所の周りに、市の倉庫・税務署・市長公邸などが

   集まっている市の中心地と言っていいと思う。蘇った古代の建物だね。右から「校倉(あぜくら)」

   「土倉」「板倉」だ。近くに礎石も復元されているからよく見てね。

ヨシ:これら高床式建物は、当時、税として収められた稲などを保管していたということだね。

ノブ:ここにいると千年以上前の歴史に触れられるということだ。筑波山を背景としたこの広さと、建造物

   のたたずまいは歴史ロマンを感じるにふさわしいね!

 

一行は一つ一つの建物をじっくり見て回りました。そして、それぞれの想いで史跡に対峙していました。

 

実はこのルートを歩いたのは2022年11月です。ですから、写真は歩いた当時の秋の様子となっています。

 

今回の(ぶらりだらだら)紀行文はこれでお終いです。次は何処を歩くのでしょうかね?


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