今日は父の三十五日である。人によっては3月掛け(死んでから四十九日までに3ヶ月をまたぐ)のは良くないと(何故かは知らないけれど)言い、三十五日でお墓に収めることもある。
うちも3ヶ月にかかるので住職に相談したが、
「悲しみを忘れるのには四十九日は必要。それまでは魂が家にいるのだから。」
と気にしなくていいとおっしゃってくれたので、来月の四十九日に法要をすることに決めた。
それにしても三十五日である。ばたばたと日常に追われて、早いような気もするが、違う時間を過ごしているような、止まっているような変な感じもある。大体、本当のところ実感がない。
父が死んだことも十分分かっているし、母との生活は既に始まっている。父を仏として扱っているし、遺族として振る舞っている。しかし、なんだろう、本当にいないのだという気がしない。
いつも仕事から戻ると母は、暮れてしまうと心細いと言いながら待っている。先日親戚に不幸があって、母が通夜に出掛けた。夕暮れ時、父の遺影を見ながら待っていると、初めて母の孤独を実感した。
今まで、夜勤であろうと早出であろうと一人で行動することは怖くなかった。また、父の付き添いで母がいない家で、一人夜を過ごすのも全然平気だった。なのに、本当に父がいない、その事実ただその一点でこんなにも心細いのだと今更ながら思い知らされた。
父さん、これから益々寂しい季節だね。私はこのもの悲しい冬枯れてゆく季節が一番好きだったけど、今年は堪えます。早く春になるといいね。
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うちも3ヶ月にかかるので住職に相談したが、
「悲しみを忘れるのには四十九日は必要。それまでは魂が家にいるのだから。」
と気にしなくていいとおっしゃってくれたので、来月の四十九日に法要をすることに決めた。
それにしても三十五日である。ばたばたと日常に追われて、早いような気もするが、違う時間を過ごしているような、止まっているような変な感じもある。大体、本当のところ実感がない。
父が死んだことも十分分かっているし、母との生活は既に始まっている。父を仏として扱っているし、遺族として振る舞っている。しかし、なんだろう、本当にいないのだという気がしない。
いつも仕事から戻ると母は、暮れてしまうと心細いと言いながら待っている。先日親戚に不幸があって、母が通夜に出掛けた。夕暮れ時、父の遺影を見ながら待っていると、初めて母の孤独を実感した。
今まで、夜勤であろうと早出であろうと一人で行動することは怖くなかった。また、父の付き添いで母がいない家で、一人夜を過ごすのも全然平気だった。なのに、本当に父がいない、その事実ただその一点でこんなにも心細いのだと今更ながら思い知らされた。
父さん、これから益々寂しい季節だね。私はこのもの悲しい冬枯れてゆく季節が一番好きだったけど、今年は堪えます。早く春になるといいね。
