うちのキヨちゃんはテレビがあまり好きではない。唯一楽しみにしているのが「東京フレンド○ー○」である。(この番組、何故かお年寄りに絶大な人気がある)
後は国民的に人気のある「渡鬼」。しかし、キヨちゃんは父の存命中は8時には布団に入っていたので、9時のドラマなど観ることなく眠っていた。再放送で何度か観た程度であるはずなのに、何故か
「良かった~。あれはええドラマじゃ~。」
とおばちゃん達の話に参加するのである。
ところが父が他界して、すべての時間が変わった。まず父と早めに済ませていた夕飯が私の帰宅までずれる。早朝の透析外しもなく、私の早出もないので朝定時に起きればいいわけで、一緒に9時までは居間で過ごすようになった。
今まで母子での時間はあまりなかったので、お肌の手入れを一緒にしたりテレビを観たり、それなりのだんらんを過ごしている。
しかし、最近はテレビもクイズ番組が多く、キヨちゃんは苦手のようである。私たちには面白くてもキヨちゃんには難解すぎる問題と、早すぎるトークのテンポで
「何が面白いのかちっとも分からん。」
となる。あんまり楽しめないのでは可哀想だとチャンネルを変えてみるが、お笑い番組はもっと難解らしい。
ところが、同じクイズ番組でも「おばあちゃんの知恵袋」的な番組は楽しめている。まず、テンポがゆっくりでナレーションも分かりやすい。そしてキヨちゃんでも参加できる内容で、知らないことは参考にもなるからである。しかも、意外にも結構キヨちゃんはこの2択を正解するのである。
「母さん、結構知っとるでえ。」
素直に誉めるのだが、知ってる割に実践している様子はない。
「知っとるんじゃけど、せんのんよな~。めんどくさくて。」
私の誉め言葉には、これまた素直に答えるキヨちゃんである。
・・・実践しろよ。
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後は国民的に人気のある「渡鬼」。しかし、キヨちゃんは父の存命中は8時には布団に入っていたので、9時のドラマなど観ることなく眠っていた。再放送で何度か観た程度であるはずなのに、何故か
「良かった~。あれはええドラマじゃ~。」
とおばちゃん達の話に参加するのである。
ところが父が他界して、すべての時間が変わった。まず父と早めに済ませていた夕飯が私の帰宅までずれる。早朝の透析外しもなく、私の早出もないので朝定時に起きればいいわけで、一緒に9時までは居間で過ごすようになった。
今まで母子での時間はあまりなかったので、お肌の手入れを一緒にしたりテレビを観たり、それなりのだんらんを過ごしている。
しかし、最近はテレビもクイズ番組が多く、キヨちゃんは苦手のようである。私たちには面白くてもキヨちゃんには難解すぎる問題と、早すぎるトークのテンポで
「何が面白いのかちっとも分からん。」
となる。あんまり楽しめないのでは可哀想だとチャンネルを変えてみるが、お笑い番組はもっと難解らしい。
ところが、同じクイズ番組でも「おばあちゃんの知恵袋」的な番組は楽しめている。まず、テンポがゆっくりでナレーションも分かりやすい。そしてキヨちゃんでも参加できる内容で、知らないことは参考にもなるからである。しかも、意外にも結構キヨちゃんはこの2択を正解するのである。
「母さん、結構知っとるでえ。」
素直に誉めるのだが、知ってる割に実践している様子はない。
「知っとるんじゃけど、せんのんよな~。めんどくさくて。」
私の誉め言葉には、これまた素直に答えるキヨちゃんである。
・・・実践しろよ。
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私の友人に芝居を生業としている人たちがいる。彼らは誰も厳しい世界で、苦労の連続である。
その中の一人が今中国に行っている。仕事がほとんどなかった状態からいきなり国営放送の連続ドラマのレギュラーというチャンスである。私は諸手をあげて喜び応援したが、行ってみるとかなり苦労があるようだった。
まず撮影期間。2月までは帰れないということだが、撮休もある。その間現地スタッフは北京などの町に帰ってしまうが、彼は土地勘もなく言葉も話せず缶詰である。
そして食事。日本食がいかに美味しいのか今回は思い知らされたようだ。ギャラの良い俳優はホテルでは食事せず、レストランに行くらしい。彼も誘ってくれるしおごってもくれるようだが、他の俳優やスタッフが文句も言わず食べていると、あからさまに「まずい」という態度には出にくいし、実費では辛い。
毎日がストレスだろうが、さらに今日こんなメールが来た。
3日ぶりに水が出ました。停電するし、トイレは詰まってるし・・・。
昨日村の人がたらいにお湯を張って、中に犬の死骸を入れて
毛をむしってました。・・・知らない内に食べてるかも・・・・。
・・・・。恐るべし中国。がんばれ!きっといいドラマになるさ!
作品・・・・「生死線」
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その中の一人が今中国に行っている。仕事がほとんどなかった状態からいきなり国営放送の連続ドラマのレギュラーというチャンスである。私は諸手をあげて喜び応援したが、行ってみるとかなり苦労があるようだった。
まず撮影期間。2月までは帰れないということだが、撮休もある。その間現地スタッフは北京などの町に帰ってしまうが、彼は土地勘もなく言葉も話せず缶詰である。
そして食事。日本食がいかに美味しいのか今回は思い知らされたようだ。ギャラの良い俳優はホテルでは食事せず、レストランに行くらしい。彼も誘ってくれるしおごってもくれるようだが、他の俳優やスタッフが文句も言わず食べていると、あからさまに「まずい」という態度には出にくいし、実費では辛い。
毎日がストレスだろうが、さらに今日こんなメールが来た。
3日ぶりに水が出ました。停電するし、トイレは詰まってるし・・・。
昨日村の人がたらいにお湯を張って、中に犬の死骸を入れて
毛をむしってました。・・・知らない内に食べてるかも・・・・。
・・・・。恐るべし中国。がんばれ!きっといいドラマになるさ!
作品・・・・「生死線」
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最近ちょっと過食気味である。支援センターに異動になってから、同僚は精神的に参ってひどく痩せたと聞いたが、私の場合何があっても食べる質でストレスで太ることはあっても痩せたりしない。
最近はストレスというわけではないが、お供えというものが常にあるもので、片端から片づけていると当然過食になる。また、今まで8時までに寝ていたキヨちゃんが寂しいからと9時までは私と過ごす。テレビを見たり話をしながら、お菓子や果物に手が伸びる。
また、今まで父に食べさせることに精一杯だったが、その心配がないので何でも作れる。父がいなくなると「高級食材」は消えたが、父の残りを食べるという計算がないので結構しっかり作りしっかり食べてしまう。そこへ「秋」という魔物。
これ以上食べたら冬眠しなきゃだめかな・・・。
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最近はストレスというわけではないが、お供えというものが常にあるもので、片端から片づけていると当然過食になる。また、今まで8時までに寝ていたキヨちゃんが寂しいからと9時までは私と過ごす。テレビを見たり話をしながら、お菓子や果物に手が伸びる。
また、今まで父に食べさせることに精一杯だったが、その心配がないので何でも作れる。父がいなくなると「高級食材」は消えたが、父の残りを食べるという計算がないので結構しっかり作りしっかり食べてしまう。そこへ「秋」という魔物。
これ以上食べたら冬眠しなきゃだめかな・・・。
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うちのキヨちゃんには「ふみこあいやん(ふみこ姉さん)」と呼ぶ姉がいる。齢90近くになるが、今でも米を作っては毎年送ってくれる。バリバリの鹿児島弁で内容の半分も分からない。陽気で泣くのも笑うのも豪快で、キヨちゃんそっくりである。遠いので行き来はないが、電話や手紙の交流はある。
そのふみこおばちゃんの息子さんが、この前父の葬儀の時には泊まりがけで来てくれた。それこそ年賀くらいしか交流のない方なので、私はあまり知らないが、キヨちゃんにはかわいい甥っ子である。鹿児島方面の親戚の香典や花輪の手配は、この人がすべて取り仕切ってくれたようだった。
三七日も終わって、ようやく落ち着いたキヨちゃんに弔問客の記帳簿を初めて見せた。鹿児島方面からももちろん来ていたが、来られない人もふみおばちゃんの息子さんがまとめて記帳してくれていた。涙ぐみながら一人一人名前を確認するキヨちゃん。私も一緒になって見ていたときである。
それは名字も住所も間違いなく「ふみこおばちゃん」の物だが、名前は「とみこ」になっていた。私も今までうっかりしていたが、そういえばおばちゃんからの荷物は「とみこ」になっていたかもしれない。第一息子が書き間違えるわけもない。
「なあ、母ちゃん、ふみこおばちゃんはふみこじゃないん?」
今更ながら私が聞くとキヨちゃんも今更ながら驚いた様子で
「え・・・。ふみこおばちゃんに電話して聞いてみよか。」
と言った。(この時点でおかしいとは思うのだが)とにかく私はおばちゃんに電話した。
「おばちゃん。おばちゃんって名前ふたつある?ふみこなん?とみこなん?」
するとおばちゃんは豪快に笑った。
「(半分以上方言で分からなかったが)子供ん頃に、どっちの名前にするかて話があったじゃけっど、うちはとみこ。じゃっどん、きよちゃんは昔からふみこあいやんって呼んびょっとじゃけん。」
どうやら親がどちらかの名前にするか決めかねて、戸籍はとみこにしたが、おそらく呼び名は混ざっていたのだろう。それでキヨちゃんも愛称で呼び続けたに違いない。
しかし、どっちが本名かくらい知っていて当然だと思うのだが、キヨちゃんは私が聞くまで謎だったようである。私も私だが・・・さすがにキヨちゃん。おばちゃん、これからも「ふみこあいやん」でいいでしょうか???
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そのふみこおばちゃんの息子さんが、この前父の葬儀の時には泊まりがけで来てくれた。それこそ年賀くらいしか交流のない方なので、私はあまり知らないが、キヨちゃんにはかわいい甥っ子である。鹿児島方面の親戚の香典や花輪の手配は、この人がすべて取り仕切ってくれたようだった。
三七日も終わって、ようやく落ち着いたキヨちゃんに弔問客の記帳簿を初めて見せた。鹿児島方面からももちろん来ていたが、来られない人もふみおばちゃんの息子さんがまとめて記帳してくれていた。涙ぐみながら一人一人名前を確認するキヨちゃん。私も一緒になって見ていたときである。
それは名字も住所も間違いなく「ふみこおばちゃん」の物だが、名前は「とみこ」になっていた。私も今までうっかりしていたが、そういえばおばちゃんからの荷物は「とみこ」になっていたかもしれない。第一息子が書き間違えるわけもない。
「なあ、母ちゃん、ふみこおばちゃんはふみこじゃないん?」
今更ながら私が聞くとキヨちゃんも今更ながら驚いた様子で
「え・・・。ふみこおばちゃんに電話して聞いてみよか。」
と言った。(この時点でおかしいとは思うのだが)とにかく私はおばちゃんに電話した。
「おばちゃん。おばちゃんって名前ふたつある?ふみこなん?とみこなん?」
するとおばちゃんは豪快に笑った。
「(半分以上方言で分からなかったが)子供ん頃に、どっちの名前にするかて話があったじゃけっど、うちはとみこ。じゃっどん、きよちゃんは昔からふみこあいやんって呼んびょっとじゃけん。」
どうやら親がどちらかの名前にするか決めかねて、戸籍はとみこにしたが、おそらく呼び名は混ざっていたのだろう。それでキヨちゃんも愛称で呼び続けたに違いない。
しかし、どっちが本名かくらい知っていて当然だと思うのだが、キヨちゃんは私が聞くまで謎だったようである。私も私だが・・・さすがにキヨちゃん。おばちゃん、これからも「ふみこあいやん」でいいでしょうか???
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くろべえ
隙を狙って 離れに走る
ごめんね くろべえ
もう そこには
父ちゃんは おらんのよ
父ちゃんが入院すると
クリは決まって 探してた
洗濯物で紛らせて
帰りをずっと 待っていた
くろべえ
クリは父ちゃんを待てたけど
お前はもう待てないの
がらんとした 寝室
お前がニャーって鳴くまでは
その広さに気づかなかった
ここにね この箱の中に
父ちゃんは 入っちゃったんだよ
お前に 理解できるかな
母ちゃんも 私も
まだ 本当は実感がないのに
くろべえ
おまえが 離れに走っても
気にならないくらい
時が経てば 平気になるのかな
不思議と悲しみはなくて
いつだって 元気だけど
ふとした何気ない瞬間に
いないことに 気づいてしまう
くろべえ ねえくろべえ
父ちゃんは もういないんだよ
探さないでよ
切なくなるから・・・・
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隙を狙って 離れに走る
ごめんね くろべえ
もう そこには
父ちゃんは おらんのよ
父ちゃんが入院すると
クリは決まって 探してた
洗濯物で紛らせて
帰りをずっと 待っていた
くろべえ
クリは父ちゃんを待てたけど
お前はもう待てないの
がらんとした 寝室
お前がニャーって鳴くまでは
その広さに気づかなかった
ここにね この箱の中に
父ちゃんは 入っちゃったんだよ
お前に 理解できるかな
母ちゃんも 私も
まだ 本当は実感がないのに
くろべえ
おまえが 離れに走っても
気にならないくらい
時が経てば 平気になるのかな
不思議と悲しみはなくて
いつだって 元気だけど
ふとした何気ない瞬間に
いないことに 気づいてしまう
くろべえ ねえくろべえ
父ちゃんは もういないんだよ
探さないでよ
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私は年に何度も同じ夢を見る。そんなことはないだろうか?多少のシチュエーションは違うが、内容は全く同じである。
ひとつは、雪。この夢は季節に関係なく夏でも冬でも見る。とにかく大雪が降って、一面銀世界。
ひとつは、旅行。バス停・飛行場・フェリー乗り場。場所は変わるけれど、行き先は北海道・・・らしい。でも、バスの乗りつぎが悪かったり、船や飛行機が来なかったり、遅れたりで、まず四国から出られない。
ひとつは引っ越し。決して綺麗な新しい家ではなく、古いアパート。トイレとお風呂が共同の学生寮みたいな作り。広くはないけど部屋がふたつあるとか、収納スペースが多いとかで満足している。
子供の頃は熱を出すと必ず見たのが、大きいスタンド(洋画に出てくる部屋にど~んと立っているような電気スタンド)と卓上の電気スタンド。真っ暗な空間にこの二つだけがぼんやり浮かんでる。そこにごろんごろんて大きな音がして鉄球が転がってくる。
ゆめうらないでちょっとチェックしてみた。当たってるような関係ないような・・・。
みなさんは決まった夢って見ない??
ひとつは、雪。この夢は季節に関係なく夏でも冬でも見る。とにかく大雪が降って、一面銀世界。
ひとつは、旅行。バス停・飛行場・フェリー乗り場。場所は変わるけれど、行き先は北海道・・・らしい。でも、バスの乗りつぎが悪かったり、船や飛行機が来なかったり、遅れたりで、まず四国から出られない。
ひとつは引っ越し。決して綺麗な新しい家ではなく、古いアパート。トイレとお風呂が共同の学生寮みたいな作り。広くはないけど部屋がふたつあるとか、収納スペースが多いとかで満足している。
子供の頃は熱を出すと必ず見たのが、大きいスタンド(洋画に出てくる部屋にど~んと立っているような電気スタンド)と卓上の電気スタンド。真っ暗な空間にこの二つだけがぼんやり浮かんでる。そこにごろんごろんて大きな音がして鉄球が転がってくる。
ゆめうらないでちょっとチェックしてみた。当たってるような関係ないような・・・。
みなさんは決まった夢って見ない??
今日はくろべえを動物病院に連れていく予定だったが、経過が良さそうなので見合わせることにした。代わりに主治医に頼んでおいた生命保険用の「死亡診断書」を受け取りに行く。料金4000円なり・・・。
買い物を済ませ、家に戻ってから気になっていた拭き掃除にかかった。お天気もいいし、父の部屋にも風を通した。
ところが拭き掃除が終わった頃から、頭痛と吐き気が襲ってきた。しばらく横になってみたが、一向に良くならない。
キヨちゃんは朝から「おやつ」を持って草刈りに出掛け、15時まで帰らなかった。夕飯の材料は揃えていたが、台所に立つ元気がなく、早めに風呂だけ沸かしておいた。山からもどったキヨちゃんにお風呂を勧め、続いて早めのお風呂にした。
ゆっくり浸かってみたが、疲れはとれない。これは夕飯作るどころか食べることも無理だと思ったので、久しぶりに「あんま」を頼んだ。
予想以上にこりこりだったが、あんまをしてもらうとかなり楽になった。お陰で夕飯もしっかり食べた。今夜は豆乳鍋。結局キヨちゃんに作り方だけ言って、作ってもらったが作ったキヨちゃん自身が絶賛していた。前に食べたことはすぐ忘れるので、新鮮な感動があるらしい。お得だ・・・。
くろべえよ、今夜はゆっくり寝かせてね。夜中の「起きて」攻撃は、毎夜3回はあるのだから。
ここをクリックしてお立ち寄りください。
買い物を済ませ、家に戻ってから気になっていた拭き掃除にかかった。お天気もいいし、父の部屋にも風を通した。
ところが拭き掃除が終わった頃から、頭痛と吐き気が襲ってきた。しばらく横になってみたが、一向に良くならない。
キヨちゃんは朝から「おやつ」を持って草刈りに出掛け、15時まで帰らなかった。夕飯の材料は揃えていたが、台所に立つ元気がなく、早めに風呂だけ沸かしておいた。山からもどったキヨちゃんにお風呂を勧め、続いて早めのお風呂にした。
ゆっくり浸かってみたが、疲れはとれない。これは夕飯作るどころか食べることも無理だと思ったので、久しぶりに「あんま」を頼んだ。
予想以上にこりこりだったが、あんまをしてもらうとかなり楽になった。お陰で夕飯もしっかり食べた。今夜は豆乳鍋。結局キヨちゃんに作り方だけ言って、作ってもらったが作ったキヨちゃん自身が絶賛していた。前に食べたことはすぐ忘れるので、新鮮な感動があるらしい。お得だ・・・。
くろべえよ、今夜はゆっくり寝かせてね。夜中の「起きて」攻撃は、毎夜3回はあるのだから。
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1日明け方に激しい声がしていたと思ったら、案の定くろべえが喧嘩の末負傷して戻った。耳は噛み切られびろんとしているし、胸からはまだばたばたと血が落ちていた。とにかく包帯代わりの手ぬぐいと脱脂綿を巻いて、後ろ髪引かれながら出勤した。
そこへ、前回書いたおばさまの訃報である。
翌日はキヨちゃんと民生委員さんに「生計同一証明書」というやつを書いて貰うために伺う予定が、来客があり私だけで伺い、その足でくろべえを動物病院へ。傷は思ったより浅かったが、薬を前回も飲ませるのに苦労したので相談すると
「効き目は弱いですが、通常1日しか注射は効きませんが、2週間持続する新薬があります。」
との話。お高そうなイメージだったが、何日も飲まない薬をもらうよりはと決断した。1000円の注射2本。3600円の注射1本。治療費や処置代、軟膏や処方食を入れると12000円を越えた。な、泣けてくる・・・。
帰りにまだ日はあるが香典返しのためのパンフレットをもらいに寄った。ところが、時期が時期だけに年末のお歳暮シーズンと重なり、早めの準備が必要とのことだった。
今日は午前中におばさまの葬儀に列席。遠くにいる娘さん達とは、おじさまの葬儀前後にしかお会いしたこともなく、お互い交わす言葉もぎこちなかった。これから、おつきあいが出来ないから・・・と親族のたっての希望で、香典は受け取っては貰えなかった。
「分かってたら、お花でもしたら良かったなあ。花好きやったのに・・・」
そうおばさまのお友達がつぶやくのを聞いて、本当にそうすれば良かったと思った。
午後は満中陰の挨拶状の打ち合わせ。くろべえはお客が来ると飛んで逃げるのだが、負傷しているので、こたつから動かなかった。
休みも連日こんな感じでひどく疲れていた私は、夕方1時間くらいこたつで仮眠した。
明日ははや三七日。
そこへ、前回書いたおばさまの訃報である。
翌日はキヨちゃんと民生委員さんに「生計同一証明書」というやつを書いて貰うために伺う予定が、来客があり私だけで伺い、その足でくろべえを動物病院へ。傷は思ったより浅かったが、薬を前回も飲ませるのに苦労したので相談すると
「効き目は弱いですが、通常1日しか注射は効きませんが、2週間持続する新薬があります。」
との話。お高そうなイメージだったが、何日も飲まない薬をもらうよりはと決断した。1000円の注射2本。3600円の注射1本。治療費や処置代、軟膏や処方食を入れると12000円を越えた。な、泣けてくる・・・。
帰りにまだ日はあるが香典返しのためのパンフレットをもらいに寄った。ところが、時期が時期だけに年末のお歳暮シーズンと重なり、早めの準備が必要とのことだった。
今日は午前中におばさまの葬儀に列席。遠くにいる娘さん達とは、おじさまの葬儀前後にしかお会いしたこともなく、お互い交わす言葉もぎこちなかった。これから、おつきあいが出来ないから・・・と親族のたっての希望で、香典は受け取っては貰えなかった。
「分かってたら、お花でもしたら良かったなあ。花好きやったのに・・・」
そうおばさまのお友達がつぶやくのを聞いて、本当にそうすれば良かったと思った。
午後は満中陰の挨拶状の打ち合わせ。くろべえはお客が来ると飛んで逃げるのだが、負傷しているので、こたつから動かなかった。
休みも連日こんな感じでひどく疲れていた私は、夕方1時間くらいこたつで仮眠した。
明日ははや三七日。
仕事中キヨちゃんから着信があった。休憩中に留守録を聞く。1度目の留守録は長い沈黙だけが流れた。録音を失敗したのかとも思ったが、キヨちゃんらしくない。2度目の留守録は、しばしの間の後キヨちゃんの沈んだ声。
「・・・ニシノカのおばちゃん・・・死んだ。お風呂で・・・見つかったって。」
私は携帯を持ったまま小さく悲鳴を上げた。嘘だ・・・。
ニシノカ(屋号)のおばさんは隣の人で、つい先日、そう父の葬儀に顔を出してくれていたのだ。
私がデイサービスのスタッフだった頃、おばさんはおじさんと夫婦揃って利用者だった。指導員の一人が
「若いときに出会ってたら惚れてた。」
というほど、すらりとした上品なおばさまだった。働き者で、通りかかるといつも畑にいる人だった。
ある日デイサービスで計った血圧が高く、心配で翌日の休みに血圧計を持って家を訪ねた。ところが、おばさんは畑にいたのである。
「昨日あんなに高かったのに、無理しちゃいかんでえ。」
そういいながら、血圧を測った。
ある日、おばさんからうろたえて電話があった。
「すずちゃん、インスリン打てる?」
実はおじさんは糖尿病だった。そのおじさんの様子がおかしく目が見えないという。低血糖が疑われたが、いつも測定もインスリンもおじさん自身がしていて、おばさんは分からなかったのだ。近所のナースにも電話したが留守で他に頼る人がいなかったらしい。
とにかく急いで訪ねた。血糖値は高い位だが過血糖というほどでもない。血圧も高めだが倒れるほどではなかった。着いたときには目は見えており、受け答えも出来ていた。とにかく主治医に電話して指示を貰い、インスリンを投与した後、救急で通院した。
このふたつの出来事を、おばさんはひどく恩義に感じてくれ以後会うたびに
「あんたに助けられた命だから」
と口にした。私のしたことは本当に些細なことで、命の恩人呼ばわりされるのはとても気恥ずかしかった。
おじさんがその後亡くなり、以後おばさんはあまり出掛けず家で過ごすようになる。いつ見ても畑も庭もきれいだった。でも、寄る年波には勝てなかったのか、身体をいたわるようにしたのか、芋掘りにシルバー人材センターの人を雇っていたのだ。
そのシルバーさんが芋掘りをしながら、いつまでも戸が開かないのを不審がり近所の人と自宅に入り・・・。
「足が入ると眠れないから」
とお風呂をかかさなかったおばさん。お風呂に浸かったまま発見された。楽だったろうか、寒くなかったろうかと胸が痛んだ。葬儀の日、掛けてくれたねぎらいの言葉に
「おばちゃんも気を付けて。寒くなるから。無理せんとな。」
そう言ったばかりだ。
近所との交流があっても、助け合っていても、こういう孤独な死がありうる。そのことが本当に悲しい。
ここをクリックしてお立ち寄りください。
「・・・ニシノカのおばちゃん・・・死んだ。お風呂で・・・見つかったって。」
私は携帯を持ったまま小さく悲鳴を上げた。嘘だ・・・。
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私がデイサービスのスタッフだった頃、おばさんはおじさんと夫婦揃って利用者だった。指導員の一人が
「若いときに出会ってたら惚れてた。」
というほど、すらりとした上品なおばさまだった。働き者で、通りかかるといつも畑にいる人だった。
ある日デイサービスで計った血圧が高く、心配で翌日の休みに血圧計を持って家を訪ねた。ところが、おばさんは畑にいたのである。
「昨日あんなに高かったのに、無理しちゃいかんでえ。」
そういいながら、血圧を測った。
ある日、おばさんからうろたえて電話があった。
「すずちゃん、インスリン打てる?」
実はおじさんは糖尿病だった。そのおじさんの様子がおかしく目が見えないという。低血糖が疑われたが、いつも測定もインスリンもおじさん自身がしていて、おばさんは分からなかったのだ。近所のナースにも電話したが留守で他に頼る人がいなかったらしい。
とにかく急いで訪ねた。血糖値は高い位だが過血糖というほどでもない。血圧も高めだが倒れるほどではなかった。着いたときには目は見えており、受け答えも出来ていた。とにかく主治医に電話して指示を貰い、インスリンを投与した後、救急で通院した。
このふたつの出来事を、おばさんはひどく恩義に感じてくれ以後会うたびに
「あんたに助けられた命だから」
と口にした。私のしたことは本当に些細なことで、命の恩人呼ばわりされるのはとても気恥ずかしかった。
おじさんがその後亡くなり、以後おばさんはあまり出掛けず家で過ごすようになる。いつ見ても畑も庭もきれいだった。でも、寄る年波には勝てなかったのか、身体をいたわるようにしたのか、芋掘りにシルバー人材センターの人を雇っていたのだ。
そのシルバーさんが芋掘りをしながら、いつまでも戸が開かないのを不審がり近所の人と自宅に入り・・・。
「足が入ると眠れないから」
とお風呂をかかさなかったおばさん。お風呂に浸かったまま発見された。楽だったろうか、寒くなかったろうかと胸が痛んだ。葬儀の日、掛けてくれたねぎらいの言葉に
「おばちゃんも気を付けて。寒くなるから。無理せんとな。」
そう言ったばかりだ。
近所との交流があっても、助け合っていても、こういう孤独な死がありうる。そのことが本当に悲しい。
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