11月29日に埼玉県川越市の『喜多院に行って来ました。
川越大師『喜多院』 の歴史は奈良時代にまで遡ると言われています。
江戸時代の寛永年間の川越大火により殆どの建物が焼失してしまい、
3代将軍家光により復興されました。
この時江戸城紅葉山の別殿を移築して客殿・書院等に当てられました、
そのためこの喜多院には「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」があります。
①慈恵堂 喜多院の本堂となるもので慈恵大師が祀られています。
②~⑥多宝塔 元はこの位置でなく昭和48年にこの位置に解体修理復元されたそうです。
③
④
⑤
⑥
⑦鐘楼門(国指定重要文化財)
⑧鐘楼門
⑨慈眼堂 慈眼大師天海が祀られているそうです。
⑩~⑭慈眼堂近くの紅葉
⑪
⑫
⑬
⑭
次回庭園の紅葉を紹介する予定です。
これまでアクセス件数などは気にしていませんでしたが、前回の「能仁寺の紅葉」で1日のアクセス数で
約150万ブログ中7741位とランク入りとなりました。皆様方の閲覧に感謝し御礼申し上げます。
川越大師『喜多院』 の歴史は奈良時代にまで遡ると言われています。
江戸時代の寛永年間の川越大火により殆どの建物が焼失してしまい、
3代将軍家光により復興されました。
この時江戸城紅葉山の別殿を移築して客殿・書院等に当てられました、
そのためこの喜多院には「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」があります。
①慈恵堂 喜多院の本堂となるもので慈恵大師が祀られています。
②~⑥多宝塔 元はこの位置でなく昭和48年にこの位置に解体修理復元されたそうです。
③
④
⑤
⑥
⑦鐘楼門(国指定重要文化財)
⑧鐘楼門
⑨慈眼堂 慈眼大師天海が祀られているそうです。
⑩~⑭慈眼堂近くの紅葉
⑪
⑫
⑬
⑭
次回庭園の紅葉を紹介する予定です。
これまでアクセス件数などは気にしていませんでしたが、前回の「能仁寺の紅葉」で1日のアクセス数で
約150万ブログ中7741位とランク入りとなりました。皆様方の閲覧に感謝し御礼申し上げます。