Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

四国こんぴら歌舞伎大芝居       ― 又五郎 歌昇襲名披露公演 ―

2012-04-22 | 歌舞伎


囀りの象頭に抱かれ金丸座

10年ぶりに四国こんぴら歌舞伎を見てきました。
この琴平では初日には桜が満開だったそうですが、いまは葉桜に。

でも『一本刀土俵入』 『戻駕籠』 『四の切』の舞台では桜がふんだんに御目見得。
おまけに今年は又五郎丈、歌昇丈の襲名披露というおめでたい公演です。
しかも、日本最古の歌舞伎の芝居小屋で見られるのもこの上ない幸せ。

役者よし、狂言よし、劇場よし、
三拍子揃うことも「四国こんぴら歌舞伎大芝居」ならではの愉しみです。 

 


チョン チョン――柝が入って・・・・・

「さ~て本日は賑々しくご来場のお客さまがたに口上申し~あげまする・・・・・・・」

金丸座の劇場の前では木戸芸者の口上のはじまり始まり―。
この日は唐茄子に結んだ手ぬぐいも風情よく、木戸芸者に扮していたのは地元の小学生。
プロの役者さん顔負けの身のこなし、口跡もよく、見物客から拍手喝采でしたよ。

 


昨年の新橋演舞場からスタートした三代目又五郎、四代目歌昇の襲名披露興行。
名古屋の御園座、京都の南座、そしてこのたびの金丸座。

6月は博多座、7月の松竹座と襲名披露は続きます。
ここで特報です!!  
6月の博多座では夜の部に歌昇くんが『馬盥』で森蘭丸に挑戦します。

ぜひ、ぜひ観に行かなくちゃ 

 

                      

  ←画像は襲名披露に役者さんがご贔屓に配る手ぬぐいです。

  この手ぬぐい誰にもらったと思いますか?

  劇場の売店には販売しておりません。

  実を云うと、琴平の某うどん屋さんの若女将からいただきました。

  何気なく入った「うどん屋」さん。てんぷらうどんを注文したところ、メチャ美味しかった。

  なんでも琴平に来た歌舞伎の役者さんたちのご愛用の「うどん屋さん」だとか。

  その店の若女将が大の歌舞伎好き。

  「この間亡くなられた京屋さん(←雀右衛門)も何回かお見えになりました」

  「皮ジャンでサングラスして?」

  「そう そう そうなんですよ お客さんよくご存知ですね」
  
それから暫く若女将と歌舞伎談議。それも「うどん屋」の店先で。

 

 

 


金丸座は「日本最古の芝居小屋」としての価値が認められ、国指定重要文化財に。

画像の天井右上に渡された板が宙乗り装置の「かけずり」。

天井全体に竹が組まれているのは「ブドウ棚」。
これは舞台から客席一帯に桜吹雪、紙吹雪を降らす装置であるとか。 

 

 

 


さて劇場正面の木戸をくぐると、江戸の鼓動がきこえてくるような芝居小屋。

中では揃いの着物を着たお茶子さんのお出迎え。

10年前に来たときは地元の村のおばちゃんばかりだった。いまは若くて美人揃い。

「 中野さ~ん 」

と若い女性から声をかけられた。この讃岐路で知り合いの女性などいないのに・・・

振り返って見ると、なんと昨夜宿泊したホテルで何かと世話してくれたフロントのSさん。

昨日はホテルマン、今日は金丸座のお茶子さん。お見事な変身。

予約していた上場の升席に、Sさんがお手て繋いで案内してくれました。

 

平成生まれの若手役者の心意気 『一本刀土俵入』の記事こちらからどうぞ   

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平成生まれの若手役者の心意気  『一本刀土俵入』   ―こんぴら歌舞伎・ 金丸座―

2012-04-21 | 歌舞伎



種太郎改め四代目歌昇

  

種之助             隼人             米吉

 
歌舞伎界も新風を吹き込むためか若手が抬頭してきた。
そんな中で、最近めきめき成長してきたのが種太郎改め四代目歌昇である。

二年ほど前、国立劇場で見た舞踊『春駒』は平成生まれの若手ばかりの出演であった。
この舞踊には春駒売りに身をやつした曽我五郎が仇の工藤祐経に対面するために、芸者の手引きによって工藤の館に入り込み踊りを舞うという所作事である。
工藤には歌昇(←当時は種太郎)を筆頭に、弟の種之助、巳之助、新悟、米吉,壱太郎という次世代を担う若手ばかりであった。
ことに当時の種太郎の工藤は群を抜いてうまかった。
そのしっかりした踊りはひときわ目立った。いまも目に焼きついている。

もう一つは昨年の新橋演舞場での襲名披露で見た『寺子屋』である。
新歌昇は涎くり。
寺子屋の「涎くり」は歴代の役者で何人も見てきたが、新歌昇の「涎くり」がいちばん面白かった。
涎くりはとかく段取りだけで演じるひとが多い。新歌昇のは芝居がすごく丁寧だし、細かいところまで役づくりをしていて、しかもイトに乗っている。
最近は上演時間の都合で「源蔵戻り」ばかりだが、新歌昇の涎くりで「寺入り」を見てみたい気がする。


さて、こんぴら歌舞伎の『一本刀』。
歌昇(←平成元年生)は、儀十(←歌六)の子分で掘下根吉である。

この掘下根吉という役は、長谷川伸の『一本刀』ではいちばんよく書けている。
儀十の子分の中でも根吉だけは雰囲気が違う。ちょっぴりニヒルで、茂兵衛にも「お前はちっとはましだ」といわれるほどの遊び人。
つまりは『一本刀』の中で「いちばんおいしい役」でもある。

大詰の「布施の川」の出から、歌昇の根吉はこの役の性根をのみこんでいることがよくわかる。
「お蔦の家」でも、ふところ手でほかの子分たちとお蔦とのいさかいを戸口できいているのも、芝居(サマ)になっている。
去りがけの「堅気に化けたイカサマ師だ!!」のセリフもきっぱりと決めた。

しかし難もある。顔に切り傷をつけて工夫はしているものの、どう見ても遊び人には見えない。
大店の手代に見えてしまうのである。
根吉はやはり素袷せを身幅を狭くした着付けにしてほしい。
そうはいってもいい根吉である。


歌昇の弟種之助(←平成5年生)は序幕の女形と、大詰では若い船頭。
どちらも初役らしいが、若船頭は最近にない上出来。
まだ若いのにじつに細かい芝居をする。
ひとつ例を挙げれば、茂兵衛と老船頭との問答の中で、茂兵衛から「弥八の評判はようござんすか」と問われ、老船頭が「さあ・・・」と言い渋ったところで、
すかさず種之助の若船頭が「やめとけ あまりかかわらないことだべ」といったようなことを動作だけで親爺の船頭に相図をする。
それでいて片田舎の、ボっ~とした若者らしい風情がよく出している。 まさに有望株である。

それに隼人(←平成5年生)の町人伊兵衛も出色の出来であったことをつけ加えておきたい。

 

     ―座頭 吉右衛門の駒形茂兵衛―
 

              

                         駒形茂兵衛=吉右衛門                 お蔦=芝雀

若手歌舞伎俳優のことで紙幅がつきたので、簡単に記しておこう。
『一本刀』で吉右衛門の茂兵衛は何回か見ているが、今度はあっさりと演じて、しかも余裕十分である。
十年後、股旅姿で本花道から登場して、こんどは仮花道へ退場と、金丸座ならではのサービスもおこたらない。

今回の茂兵衛で感心したことが2つある。
一つは「布施の川」の場で、船大工との会話に、声による遠近法をつかったことである。
砂地に引き上げられた大きな船で仕事をしている船大工には、ひときわ大きな声で、船尾をなでている老船頭には普段どおりの声という具合に調子を変えた。

もう一つは大詰「お蔦の家」から「軒の山桜」へと”盆”が回る。
この芝居のいちばんの見せ場であるが、なにぶん金丸座の盆は、舞台の間尺が狭いだけに小さい。
茂兵衛が土間でもう一歩寄らなければ盆が回らない。
そこでだ。単に盆をよけるのではなくて、「面目ございやせん」と芝居でもう一歩踏み込んだのには感心した。

芝雀のお蔦も自然体で、力まず、衒わず、素直に運ぶ芝居が吉右衛門に合っていた。
序幕が淡白のせいか、その分大詰ではイマイチ盛り上がらなかったのも事実である。

船戸の弥八が吉之助、辰三郎が錦之助、子守娘おてるに米吉
米吉歌六の長男で平成5年の生まれである。 

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今世紀白眉の舞台  ―仮名手本忠臣蔵 九段目―  (新橋演舞場)

2012-03-27 | 歌舞伎

 


「仮名手本忠臣蔵」十一段の中で、この「九段目」は最大の難曲といわれています。
しかも「九段目」はことのほか重い。

まず戸無瀬が敷きつめられた雪布の花道の"出”がとてもすぐれている。
本舞台の大石邸に向かって ひたすらに、真直ぐに歩いてゆく。
肚がずっしりと重く,意志の強さが見事に表現されている。
この曲の重圧こそが、戸無瀬という役の性根ではないだろうか。

そのニンにおいて、その品格において、まるで錦絵から出てきたような堂々とした戸無瀬であった。
この花道の出を見ただけで超一級の「義太夫狂言」を見た心地になる。

 

 

 藤十郎の戸無瀬 は竹本の有名な詞章「鳥類でさえ」 「共にひっそと」 

 「こう振り上げた手の内か」の三つのキマリに重量感があっていい。

 ことに「共にひっそと」は絶品。

 二重上手の刀を後方へ回してのキマリも鮮やかである。

 感心したのは、奥の物音を聞くという必死の性根がパッと出る。

 つまりは"型”だけでなく、そのウラに人間像がつくられているからである。

 

 

 

         


藤十郎(←画像/左)の戸無瀬が超一級の出来栄え。
義太夫狂言のツボを心得ているから、いいかえれば義太夫の詞のイキが身についているから、セリフ廻しを自在に芝居をはこぶ。
いってみれば、九段目を初めて見る観客にでも戸無瀬と娘小浪とは不義の仲だということがよくわかる。

幸四郎(←画像/右)の加古川本蔵も出色。
ニンのよさでは申し分なく、スケールの大きさ、その口跡のスバラシさではこの人の右に出る人はいないだろう。

 

   


菊五郎(←画像/左)の大星由良之助には誰もが思いもしなかっただろう。
初役とはいえさすが菊五郎、領分は心得ていてさっぱりと舞台を締めている。

福助(←画像/中央)の初役小浪も可憐でいい。
この役はとかく "謹んで務めるのが良なり”というヘンな芸談があるらしく、印象の薄い人が多い。
福助は自分の仕どころを十分に心得ての力演。

時蔵(←画像/右)のお石も初役とは思えない上出来。
先輩藤十郎を向うに廻して電光石火の大健闘。
萬屋さんらしい怜悧さ、厳しさが出たのは今までにないお石の味であった。 

 


「忠臣蔵 九段目」は異様な芝居である。

縁談が破断になったからといって、その家で娘を殺して母も死ぬ。

それもよそ様の邸宅の庭先・・・・・で。

また余談だが、この「九段目」の初演のあと、京都でこの芝居に似たような事件がおこった。

婚約破談になった家へ乗り込んだ兄が、花嫁衣裳の妹を刺殺する事件である。

これがまた、のちに小説になり、劇化されたそうだ。

 

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染五郎の荒川の佐吉   ー 三月 新橋演舞場 ― 

2012-03-26 | 歌舞伎

 
三月の新橋演舞場の昼の部は真山青果の『荒川の佐吉』、不朽の義太夫狂言の名作『仮名手本忠臣蔵』の九段目
どちらも弥生月にふさわしい趣きのある演目であった。

『荒川の佐吉』大詰の向島長命寺の堤では、舞台いっぱいに朝日に匂う桜が満開だ。
『仮名手本忠臣蔵』九段目では、雪の中を加古川本蔵の妻の戸無瀬が、娘の小浪をつれて、山科の閑居に、押しかけ嫁に来る場面で、輿入れの装束を着た花嫁の姿が、雪景の籠の中からあらわれるところは「谷の戸開し鶯(うぐいす)」のういういしさがあった。
この場面の雪はまさしく「春の雪」である。

 

 

 
さて、染五郎の佐吉は初役。
過去の上演では、佐吉は仁左衛門が当り芸として定評があった。
そのときの大工の辰五郎が染五郎だった。上出来の辰五郎であった。
『荒川の佐吉』が「子別れのお涙頂戴」の芝居ではないけれど、この辰五郎で客は泣くのである。
とえば『髪結新三』の勝奴にしろ、染五郎はどちらかというとシンを際立たせる芝居がとてもうまい。

今回は念願だった佐吉役。
自在に演じてはいるが、青果の描く「三下奴の孤独の哀しさ」が、見ていて伝わってこない。
このドラマを、一人の若者が一人前の男として、人間として生長していく過程としてとらえたか、どうかが問題である。

佐吉の孤独は、いってみれば誰もがもっている人生の孤独であり、それが見ているものの胸にひしひしとせまるのであるから。

                                            (画像上は序幕『両国橋のたもと』の一場面)

  

              

   

   

   


「ねんねんころりと子守唄を唄った・・・・・おれは辛かった・・・・」

佐吉のセリフである。
二幕二場(←画像/左)は佐吉のせりふにあるように、法恩寺橋畔で佐吉が子守唄を歌いながら赤子をあやしている場である。

ここで注目したいのが、この作品が書かれた当時長谷川 伸の『一本刀土俵入』、『瞼の母』と立て続けに発表された。
それの影響か、どうか知らないがこの場は長谷川 伸の『沓掛時次郎』 にどこか似ているような気がした。
そうはいってもこれは数少ない青果流のれっきとした「股旅物」である。

そこへ佐吉の親分である仁兵衛のイカサマが露見し、殺されたと徳兵衛(宗之助)が伝えに来る。
宗之助は最近立役が多いが、ただの適役にならずにうまく世話の人間をつくっている。
いつも思うのだが、師匠宗十郎を引き継いだ味のある芝居をみせてくれる。

この幕切れで佐吉ははじめて自分の孤独を知る。その孤独はまた赤子の孤独でもあった。

 

 

 

    


梅玉(←画像/左)の成川郷衛門が好演している。
佐吉がつい云った言葉がこの浪人成川郷衛門の心を動かして、佐吉の親分を斬らせるというプロセスが見ていてよくわかる。

大工の辰五郎は亀鶴(←画像/中央)、初役である。
序幕両国の茶屋で群集に混じっての”出”がよくない。影がうすいのである。それに散慢なのが気になる。
三幕あたりから”情”が出てきた。かつて『河庄』で三枚目役で傑作がある人だけに惜しい。

幸四郎(←画像/右)の相模屋政五郎はニンといい、貫禄があっていいのだが、佐吉説得の件りで言葉に重みが足りない。
もう少し肚のある突っこんだ芝居をしてほしかった。 

 

 


大詰は佐吉の家。、相政とお新(福助)を前にしての佐吉の述懐のある、この芝居のヤマ場。

憎悪、口淋しさ、愛情がうずまく青果独特の長セリフを芝居気なしで淡々と語ったのには感動した。
客席からも嗚咽がもれていた。
しかしだ。相模屋政五郎に卯之吉(←盲目の赤子。この場では5歳に生長している。)の将来を考えろという件りで、相模屋政五郎の言葉ひとつひとつに重みがないために芝居がいまひとつ盛り上がらなかった。

福助(←画像/中央)のお新は当り芸。
いかにも大店(おおだな)の女将さんらしい風情がある。芝居も丁寧だし、しっとりと品がある。
ただ、佐吉の「乳をさがして泣き立てられるとね・・・・」のせりふで、お新が自己の乳房にふれる所作はしないほうがよい。
新派めいた芝居になる。

 


終幕・・・・一生三下奴で暮らす覚悟をきめた佐吉の旅立ちの場である。
佐吉の気分は爽快である。花道七三で、   

         「やけに散りゃがる桜だなぁ・・・・」

このせりふはやり過ぎ、つくり過ぎである。
本舞台で見送る、卯之吉と辰五郎、相政とお八重らとのバランスを考えた「極めせりふ」であるべきだろう。

ほかに隅田の清五郎の高麗蔵は生彩に欠き、梅枝のお八重は5年後も変わりばえがしない。錦吾の仁兵衛はスケールが小さく、焦燥感が足りない。

 

★ 長~いおしゃべりになっちゃいました。
   最後までお付き合いいただき感謝いたします。
   よって『仮名手本忠臣蔵 9段目』のおしゃべりは次回にさせていただきます。★

 

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来春の開場にむけて歌舞伎座の工事が急ピッチ!!

2012-02-10 | 歌舞伎

   


わたしが銀座でコーヒーを喫むのはいつも「Ken’s」です。
人と待ち合わせをするのも、たいていこの店にしています。
その「Ken’s」までの行きかえりに目に入るのが今建て替え中の歌舞伎座です。

現在は上層部の鉄骨の組み立てが進んでいるようです。
最近はビルの高層部を吹き抜けにして、劇場にする傾向が少なくありません。
芝居をみるのに7階までのぼらなければならないのはうんざりです。

でも、新しい歌舞伎座は伝統の継承が大きなコンセプトだという。
つまり劇場部分は従来のように互屋根、唐破風、欄干など、前の歌舞伎座の意匠をそのまま踏襲されるようです。


歌舞伎座の正面玄関を一歩入ると、敷きつめられた赤い絨毯。大間です。これも従来のまま再現されます。
開演中だと、歌舞伎の下座音楽がこの大間にもきこえてきます。歌舞伎を見に来たんだと心が躍る瞬間です。
元NHKアナウンサーの山川静夫さんの話ですが、ひと昔前の歌舞伎座には2階にバーがあったとか。
初老の紳士が幕間にシャンパンを飲んでいる光景をよく見かけたそうです。
新しい歌舞伎座では、売店、食堂などは地下広場に集中して設けられるようです。

劇場の背後に建つ高層部分は、歌舞伎座という品位を保ち、引き立てる背景となるような捻子連子(ねりこれんじ)格子にするという。
要するによくあるオフイスビルじゃないってわけ。

(画像/左は現在の建設現場  画像/右は完成予想図   いずれも晴海通りに面した歌舞伎座正面) 

 

  


上の画像は昭和通りに面した工事現場と完成予想図です。

こちらは高層のオフイスビル部分で、1階はオフイスエントランス。建て替えまえは楽屋口のあったところです。
現在のオフイス空間が必要とする合理性を追及し、しかもより魅力的な新しい銀座のスポットになるように工夫されているようです。

また新しい建物は、地下鉄東銀座駅(←東京メトロ日比谷線)と直結されたり、3・11の震災で問題になった災害時の一時避難スペースも備えられているとか。


新しい歌舞伎座映像紹介

銀座のランドマークとして、新しい歌舞伎座の偉容の姿がお目見えするのは2013年・春の予定です。

私が下手につぶやくより、要領よく、映像紹介されてますので、歌舞伎に興味のあるお方は是非ご覧になってください  

 

 

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