=在りし日の三浦哲郎さん=
作家の三浦哲郎さんが亡くなられた。79歳だった。
三浦哲郎という名前は知らなくても、小説『忍ぶ川』の作者だといえば、どなたもご存知であろう。
料理屋で働く志乃という女性と大学生の恋を描いた叙情性の高い作品は栗原小巻さん主演の映画でも評判を呼んだ。
今日から見れば、古風すぎるほどの純愛物語だが、『忍ぶ川』が発表されたのは、高度成長で世の中が浮かれていた時代であったから、あの端正なまじめさは、かえって新鮮に見えたのであろう。
著者にサインしてもらった貴重な初版本
あまり知られていないが『十五歳の周囲』という三浦哲郎さんの処女作がある。
この作品がたまたま雑誌『新潮』(全国同人雑誌小説特集)に掲載されていて、むさぼるように読んだ時の感動を、忘れない。わたしは十七歳だった。
「たった一度だけ、遺書を書いた経験があります」
冒頭の一行は、今もわたしの脳裏に刻まれている。
東北の寒村を背景に、家族の系図を臆することなく誠実に綴った私小説だった。
この小説が三浦哲郎という作家との最初の出会いであり、「私小説」というジャンルがあることを知ったのもこの頃だった。
神楽坂の「山田家」の原稿紙に書かれた直筆の原稿
「夕立に洗われた並木の若葉が、点りはじめたネオンを宿して瞬いていた。
いちど人の流れが途絶えて鳴りをひそめていた歩道も、いつしかまた元の賑わいを取り戻していた。
ーびっくりさせやがって・・・・・・・・。
運ばれてきた紅茶にレモンを滑り込ませながら、彼は唇の端をわずかにゆがめた」
初期の短編『あめあがり』の冒頭である。
銀座の並木通りあたりにあるカフェからであろうか。
さきほどまで降っていた雨も上がった舗道を見た描写である。
何の技巧もない。しかしあたかも自分が見ているような臨場感のある文章である。
わずか900字程の短編で、主人公の「彼」が昔の恋人に偶然出逢っただけのストーリーだが、リアルタイムで語られる。恰も自分たちが小説の中にいるような、そんな錯覚に捉(とら)われるのです。
『忍ぶ川』から39年。
ういういしい洗い立ての白絣のような文章。隠し味のような叙情性。
句続点の打ち方一つまで研ぎ澄まして独自の文体を貫き通した作家だった。
おそらく、これだけの作家はこれから出てこないだろう。
短編『あめあがり』は、こう結ばれている。
「約束の時間はとうに過ぎているのに、待ちびとはいっこうにあらわれない・・・・・・・」
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