そして、姿は見えねど、鶯の鳴き声が響く。
これまで身の周りにあった「モノ」を減らすというのは、日々のゴミ捨てと違って気軽にはできるものではない。
そう、ゴミじゃなんだから。
かと言って、あまり考え過ぎても踏ん切りがつかなんだりすることもあるし、それなりのタイミングが要るものだと思う。
若い頃、ゴミは当然捨てるとして、雑誌やら本やら衣類、雑貨、人から見ればガラクタの類まで溜まる一方だったのは、
少しばかし収集癖的なところがあるのと、整理・処分のタイミングがなかった、あるいはそれを避けてきたかもしれない。
それでも、仕事の要請で転勤・引っ越しを何度か繰り返したので、それは半強制的なタイミングとなった。
また、転勤した先での住まいもさほど広くないので、そこに入るモノも自ずと限度があった。
高校卒業まで親元の実家にいたときは、本・雑誌はもちろんのことレコード、プラモデル、果てはコーラの空き缶までを本棚の上にうず高く並べていた。
同世代の人なら覚えているだろうが、今から30年か35年前のコーラの缶は海老茶っぽいメタリック塗装的な色合いだった。
その後、絵具の赤色のような缶に変わったので、メタリックの缶は更に希少なもと写ったのである。
自分のそういう収集癖のうち、そのコーラの空き缶を保存しているということが密かな満足でもあった。
でも、その空き缶の山は、おふくろにはかなり不評であった。
就職してしばらくして帰省してみたら、弟に代替わりした、かつての自分の部屋からその空き缶の山が綺麗になくなっていた。
おふくろが捨てたのだという。
就職して家を出る際に持ってこなかったからしょうがないものの、さっぱりした本棚の上を見たときはショックだった。
だから、ぼくは息子が家を出ていても、息子のモノを勝手に捨てない。
ねこまる様:お互いアラ50、まだまだ先はありますが、かといって何でもできる可能性が無限に広がっていう年代は過ぎてるのかな。
だからこそ、できないことを夢想することなく、できることをできる限りやって充実した壮年期を過ごしたいですね。