新年は4日から3日間仕事して、成人の日とで3連休。
昔は、といっても20年程前になるか、職場出ても仕事始めから2,3日は正月気分で過ごしてた。
今時分は、新年の挨拶くらいはするものの仕事始めの日から仕事振りは通常モード。
これも時代の流れ、正月気分なんかに浸ってちゃ仕事が滞ってしまって・・・ダメなんだろうね。
昨年末、弟と話し合って、今年の米作りをやめることにした。
「今年の」というより「今年から」というのが正確なかな。
自分たち兄弟とその子供たち家族が1年間食べるくらいの米は収穫できてはいたけど、
代掻き2回、田植え、それから稲刈りまでの水の管理と草取り、稲刈り、脱穀、籾擦り精米、
といった作業をこなす時間と労力を考えたら、食べる米を買うほうがええね、との結論になった。
特に、代掻きから稲刈りまでの田んぼの管理、田植えから当分の間は水の管理はほぼ毎日のこと、
自分も弟たちもそれぞれ仕事があって、そこまでの面倒を見ることに限界感を感じていた。
トラクターやコンバインを入れることができない無道路状態の田んぼというのも限界感を強めた。
隣り合う田んぼは3枚あるが、それらの田んぼにはそれぞれ進入路があって機械の乗り入れが可能だ。
機械でも入れることができたら、こういう選択にはならんかったかもしれんが、
実家に住む末の弟に一番負担がかかっていることに申し訳なさを感じながらも代替することもできず、
弟の提案に「続けようや~」とは言えんかった。
ただ、米作りをやめたとはいえ、田んぼとあぜ道の草刈りやらの管理はこれから先も続く。
水利組合の役や水路の共同管理にも参画せにゃいけん。
米作りやめても「田んぼ」から解放されるわけではないのだ。
代わりに面倒みてくれる人があれば、まだ幸いなこと。でも、機械の入らない田は誰もみてはくれない。
田んぼや山林を持つってことは、その面倒をきちんと見続けるという責任がつきまとうことなんだ。
百姓や山持ちが土地に縛り付けられるってのは、こういうことなんだな~と実感するのである。
自宅近くの田んぼに「コウノトリ」目撃
去年の7月に次いで2度目。
あ~~、望遠レンズが欲しい~~~。