「敬老の日」でもってお彼岸なのだそうな。
最近、祝祭日がころころ変わるんで、何が何の日やらパッと頭に浮かんでこない。
昔は、日付が固定されとったけんね。
敬老の日は9月15日、体育の日は10月10日と決まっておったはずだが、変わってしもうた・・・。
NHKの大河ドラマは幕末から明治維新の頃を舞台にしたドラマはだいたい見ている。例外は、忠臣蔵くらいか・・・。
それ以外の時代を舞台として扱ったものには、なぜだか食指が動かない。
明治維新前後、日本の歴史が大きく動いた激動時期、志士たちが日本を憂い、忠義に篤く生きた時代の熱さを感じたいってのもある。
ただ、皆が皆、そうだった訳じゃなくて、権力欲やら主導権争いやらもあって純粋なだけではないことも当然ある。
そして、歴史が動くとき、変わるとき、多くの命が失われていく。
近代以降、理不尽に多くの命が短期間に失わたのは、
明治維新前後の幾多の戦役、日清・日露戦争、第一次世界大戦、そして、満州事変から始まる日中戦争と太平洋戦争、
戦争では、兵士も民間人も日本人も外国人も、理不尽に実に夥しい多くの命が失われている。
「戦後」と言うときの「戦」とは、太平洋戦争を指して「戦後」といい、戦後に国体ががらりと変わった。
あれだけの犠牲を払ったのだから、国体が変わらないと浮かばれんだろう、という言い方はオカシイだろうか。
もし、アメリカ主体の連合軍に占領されず、戦前と同じ国体のままだとしたら、夥しい犠牲者をどう位置付けるだろうか。
「理不尽な犠牲者」ではなく「名誉ある英霊」として奉るのだろうか・・・、親族にとって哀しさは変わらんだろう。
そして、戦後
年間3万人が交通事故で死亡して「交通戦争」と呼ばれ、自動車の交通規制がは徐々に強くなった。
最初は原因不明と言われたけど、調べてみたら公害が原因で発病し、中には亡くなる方がいて、公害規制ができた。
誰もが危ないと思って行政や警察に申し立てても一向に措置されんかったのが、犠牲者が出ると即、ガードレールが出来たり、信号ができたり…
警鐘を鳴らされていたにも関わらず対応に動かず、「誰か死ななきゃ動かない」とまで揶揄される政治や行政の冷たさ・・・
なんだかね、その度合いが増してるように感じるのは気のせいだろうか、と思う。
新型コロナウィルス感染症対策
「自宅療養」とは都合のええ響きだが、直截に言えば病院に入院したくても出来んから自宅に居させられとる状態ってことで、
自宅療養中に人知れず亡くなってた方もいたりして、これは既に「医療崩壊」状態だと思うが、政府はそうは認めてない。
こうした事態も私から見れば「理不尽な死」だと思う。
そうした人達がいることを踏まえて、制度や医療体制を変えていかんにゃ、浮かばれんよのう…と心底思う。
大言壮語もええけど、こうしたことが二度とないようにするんが政治の役目じゃないんかのう。
「そうか、それなら安心じゃぁ」「それは安全じゃね」と言うてもらえる説明をするんもリーダーの役目じゃろうのう。
さて、今週の家庭菜園
じゃがいも 植えてから3週間、芽茎を出して、 元気のええ芽を残して間引き。
白菜が バスバスと葉を広げて・・・、 キャベツも巻き始めた?
福島の酒蔵で全国47都道府県の酒米を使って醸造したというお酒
街中の酒店では買えないだろうというのと会社のネットワークでの斡旋なので、応援の意味も込めて購入。
口当たりなめらかですっきりな味わいで美味かったっす。
ちょい悪さま:どうなりますかね~
今時の自民党員さん、派閥とかはあまり気にされない方も多いと聞きますが、、、
何がどう変わるのか、、よ~く見とかにゃなりませんですな。
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