12月13日(金)昼前に父が息を引き取った。享年88歳。
翌土曜日の通夜、日曜日の葬儀と慌ただしく過ごしていてブログの定例週末更新もままならなかった。
私は長男なので喪主を務め、通夜・葬儀での親族代表挨拶、親戚へのお礼やら何かと気苦労もあったが、
お蔭さまでまずまず滞りなく執り行えたと思う。
まだ若く元気だった頃に晩酌しながら問わず語りに言っていたのは、
幼少時に父親を病気で亡くし、母親と姉と3人で実家に戻り、後に生まれた従兄弟たちと兄弟同様に育った。
自分を大人にしてくれたのは実家の〇〇おじいだ。とよく言っていた。
母と結婚してほどなくして商売を始めてからは、寝ても覚めても商売のことばっかし考えていた。
ただ、夏休みには毎年、車で家族揃って3日、4日の旅行に連れて行ってくれたり、川に鮎釣りに行ったり、
と自分の楽しみとともに私ら子供にも楽しみを共有してくれていた。
昭和の戦前生まれの価値観と独りでいろんなことをしてきた自負からくる言動とぶつかることも多々あった。
商売を弟に譲ってからしばらくして、完全リタイアをしてもらった。
それから認知能力がだんだん低下していっても仕事のことが気になって、
注文がどうだ、配達は大丈夫か・・・度々口にしては弟に拒絶されることもあったようだ。
母が健在だったころは、少々面倒くさいことも多々あったが、自宅で過ごしていた。
母が倒れて入院してから自宅での介護は困難になり、ホームでお世話になることにした。
その間に母が亡くなった。3年半ほど前のことである。
父を葬儀に参列させたが、自分の連れ合いの死去を理解しているのかどうかも怪しかった。
今年3月には父の実姉が亡くなったが、それも理解できていたのかどうか。
それでも、ホームの介護士の方々のおかげでおだやかに過ごしていた。
今月になって体調が悪くなりホームから病院に移ったが、10日程の加療の後に逝ってしまったのである。
忌引き中に銀行関係の手続きを済ませ、あとは不動産の相続登記、四十九日の法要・納骨が控えている。
しばらくは父の偉功を思い出しながら冥福を祈りたい。
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