久しぶりの週末の雨・・・空は見えず、気球やらも見えず。
アメリカで中国から飛来した気球が、過去に日本でも飛来していたことがあって、その時はただただ
眺めていて何の騒ぎもせんかったのに、アメリカで撃墜したとたんに、日本政府は大騒ぎである。
「正当防衛の範囲を超えても撃墜できるように法律解釈を変更すべきだ」といった議論まで出ている。
過去にスルーしておいて、アメリカが撃墜したらそれに追随して議論沸騰・・・
なんだかみっともない感が否めない。ま、今に始まったことじゃないんだけどね。
読書は趣味というか生活の一部みたいなもので、本が身近にない生活というのは考えられない。
活字に飢えているとも言える。新聞も1面から最後のページまで残さず読みたいけど、
時間も限られるなかでは興味ある記事を拾い読むことで我慢している。
そんな新聞の読み方のなかで、毎週欠かさず隅々まで目を通すのが「書評」のページである。
読み切れないときは、書評ページを破って「積ん読」状態にしておいて、トイレに持ち込んで読むとか、
寝る前に読み切るようにしているが、溜まる一方である。
書評を読んで気になる本の記事はスマホで撮影して記録している。
また、著名人が過去に読んで刺激を受けた本を10冊ほど紹介する記事も掲載されていて、
気になるとそのリストもスマホで撮ったりしている。
昔は手書きでメモしてたけど、今は便利になったものだ。
もちろん、今度本屋に行って買い求めるかもしれない用の備忘である。
ところが「書評」を読んで実際に買った本というのは実は少ない。
と書いてきて、考えたこともなかったが、なんで書評をこれほど気にして読むのか。
ひとつには、数千円もする何百ページもある本の中身をギュギュッと簡便に紹介してくれている。
それでなんとなく分かったような気分にさせてくれるからかもしれない。
あるいは、たまに知っている著者の本だったりすると「ほっほ~、そういう読み方をするんか」
といったこともあったりする。
新聞以外でも、たまに喫茶店で読む週刊誌でも、やっぱり書評のページに目がいく。
週刊文春に掲載されていた立花隆さんの「読書日記」はかなり面白かった。
そうして紹介されている本の半分くらいは読んでみたい気にさせてくれる。
12冊紹介されていたら6冊くらいに興味を掻き立てられるということになる。
これはけっこうな確率でその気にさせられているのではないだろうか。
書評氏の思うつぼである。でも、実際に買うことは稀なので、思うつぼに完全にはまったわけではない。
なんで書評に興味惹かれるのかよう分からんが、自覚できるのは「本が好き」ってことくらいか。
ただ、こうして興味を持つというか好奇心を持つというか、
そんな気持ちをボケずに死ぬまで持ち続けられたらええなぁ~と思うのである。
こういう本ばっか(でもないけど)読んどるから斜になるんだよな。
ちょい悪さま:コメ、ありがとうございます。
「蕎麦会」ええ晩じゃったですね、ほんとに。
食べ、飲み、騒いで、時に語らい、また大笑いして、「大人のオフ会」
あまり細かく思い出すと切なくなるので、ほどほどにして。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます