1週間ぶりの好天、外出はせず庭仕事とテレビ、読書で過ごす。
防衛費増額に絡んで、防衛力強化の話が報道される。
本当は逆なんだけど、政府の説明からはとにかく防衛費を増やしたいがために防衛力強化を言うてるようにしか見えない。
今の防衛力では「相手側のミサイル発射、特に第一撃を事前に察知して阻止することは難しい」から
「相手側がミサイル発射に着手した時点で反撃する能力を持つことは有効」との論理展開。
ただ、何をもって「着手した」という定義を示すのは難しいとの見解。
搬送式のミサイルを稼働させた時点なのか、ミサイル発射ボタンに指を乗せた時点なのか、
相手側の心の内と行動の両方が分からなければ「着手した」と言い切るのは至難の業、
ほとんど不可能と言ってよい。
だから、「定義」を示すのは難しいというのももっともだろう。
別の見方をすれば、「定義」めいたことを考えていても、軽々にしゃべるわけにもいくまい。
「正当防衛」という概念がある。
反撃しなければ危険が身に迫る状況での攻撃は正当とみなされる。
もちろん、そういう場面に直面したことはないが、もし仮に第三者がいないところで客観的に
「正当防衛」を証明する手段も証拠もない状況で相手を殺してしまったとして
「正当防衛」を主張して聞き入れてもらえるのだろうか、と思う。
アメリカでは相手の目の前で上着の内ポケットに手を入れる仕草だけで銃で撃たれてもしょうがない、
らしい。
たとえ、内ポケットには何も入ってなかったとしても。
だから、内ポケットに手を入れる前に上着の内側を見せるようにめくって武器とか持ってないことを
見せてからポケットのものを出す、ってのがマナーだとか・・・映画の見過ぎかな?
アメリカ、中国、ロシア、ついでに北朝鮮、それぞれの国民性や指導者層のメンタリティは日本人には理解できん部分も多い。
彼の国々には「相手が上着の内ポケットに手を入れる仕草」だけで自分を攻撃すると思い込んでいるように感じられる。
日本も最近かなり物騒になってきているが、日本人のメンタリティは刀を抜かれて剣先を向けられて「自分への明確な攻撃意図がある」というのがしっくりくる感性だ。
刀を抜く仕草だけでは反撃するにはまだ早い。反撃していいのは拳銃でいえば「引き金に指を掛けて銃口を向ける」という場面か。
政府のいう「着手時の攻撃能力」の話を聞いていると、要するにアメリカ流に「内ポケットに手を入れそうになったら撃つ」ってことなんだな、そんなふうに思える。
どの国も疑心を持つ相手に「上着をめくって内側を見せる」ということをせず、猜疑心を募らせて、遂にプーチンは一線を越えてしまった。
日本人のメンタリティではこの複雑な情勢に対応しきれないとは思わない。
ただ、メンタリティの問題ではなく、ここまでアメリカどっぷりに浸った日本の立ち位置が身動きの難しさを深めているように思われてしょうがない。
だから、いくら聞いても腑に落ちない、理解できない。
節分の恵方巻
仕事上のおつきあいで、5軒のお店のを購入
これは土曜日お昼の分、前日金曜日の節分に同じくらい食べてるんだけど・・・。
当分、巻き寿司は・・・・・・。
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