傍から見てて、まともとは思えないこと言うてるな~ってなことが多々ある。
本心からそう思ってるのか、もしそうなら思考がおかしいんじゃないかとしか思えないこともある。
政治家でも特に大臣やなんたら担当議員の言葉ってのは組織を背負っているとはいえ、
大丈夫かと思ってしまうことも多々ある。
岸田首相も就任前は”聞く力”をアピールしたが、アピール倒れはすぐに露呈した。
「丁寧に説明する」ってのも、丁寧という言葉の意味が変わってしまったのかと思わされるほどだし、
木で鼻をくくったような対応が丁寧なことなのか、とブラックな辞典の語釈になりそうな情勢である。
先日、袴田さんの再審事案で検察側は「血痕が残っている可能性は数%ある」と主張していた。
もちろん、私は真相は分からないし、検察の主張が正しいのかどうか判断できない。
ただ、その報道を見ていて「何が何でも有罪にしたい」という検察の執念すら感じて恐ろしくなった。
こうして嘆いてみても、こんなことは世界中にゴマンとあって、驚くことじゃないのかもしれない。
むしろ、逆に普通のことなのかもしれない。
だからとって、傍から見ててまともじゃないこと言うてるな~って感覚をなくしちゃいけんと思う。
それと、自分の思う「まとも」が本当に「まとも」かどうかを常に自己点検しとかにゃいけん。
などと考え始めると「まとも」の基準っていったい何なんだろうということにもなってくる。
よく謂われる「〇〇での常識は世間では非常識」とか「〇〇目線で考える」とか、
自己点検の手段もそれなりにあるし、独りよがりにならないよう気を付けんにゃと思うのである。
山陰海岸の海、癒しの風景
今年はちょっと丁寧に育てているズッキーニ
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